第十一話「黎明の恩寵」2
第二章 開かれた鳥籠
黄金の光が収束し、地下礼拝堂に再び静寂が舞い戻った。 かつて黒い泥が暴れまわり、絶望的な破壊の限りを尽くしていた空間は、今は嘘のように浄化され、清浄な空気が満ちていた。 崩れかけた石壁の隙間から、細い月光が差し込んでいる。
ルカ・ノクスの背中にあった光の翼が、キラキラと輝く粒子となって霧散していく。 それと同時に、彼女の身体から力が抜けた。 糸が切れた操り人形のように、膝から崩れ落ちそうになる。
「……私、守れましたか?」
消え入りそうな声。 だが、そこには自分の命よりも他者を案じる、彼女の芯の強さが滲んでいた。
「ああ。……守れたとも」
エリアスは、声を詰まらせながら頷いた。
「お前が守ったんだ。……この街も、我々の命も。何もかも」
彼は、周囲を見渡した。 あれほど荒れ狂っていた泥の魔獣は跡形もなく消滅し、祭壇には二つの黒いケースが鎮座している。ただ鎮座しているだけではない。その表面からは禍々しい瘴気が消え、まるで長い眠りについたかのように静まり返っていた。聖騎士として数多の戦場を渡り歩いてきたエリアスでさえ、これほどの「完全な浄化」は見たことがなかった。
「……見事だった」
エリアスは、娘の頭を優しく撫でた。 その掌の温かさに、ルカは安堵したように微笑み、深く息を吐いた。
「よかった……」
そのまま、彼女は深い眠りへと落ちていった。エリアスの腕の中で、規則正しい寝息を立て始める。
その寝顔を見つめながら、エリアスの表情が苦渋に歪んだ。喜びだけではない。 どうしようもない喪失感と、予感が彼の胸を締め付けていた。
(……恐れていた時が、来てしまったか)
彼は知っていた。 ルカの中に眠る力が、いつか彼女をこの平穏な日常から引き剥がすだろうことを。 だからこそ、彼はこのセプティマ・ザイオンという中立地帯に隠れ、彼女を外界から遠ざけ、ただの少女として育てようとしてきた。 剣の使い方も、魔術の理も教えず、ただ花を愛し、お茶を淹れる普通の暮らしを。
だが、運命は残酷だ。 「黒胎」との共鳴が、無理やり彼女の覚醒を促してしまった。一度開いた蕾は、もう二度と元には戻らない。
「……この街という鳥籠では、もう彼女を隠し通すことはできない」
エリアスの呟きが、冷たい石室に木霊した。 その背中を、ミレイユ・クロウが悲しげに見つめていた。 彼女もまた、覚悟を決めた目をしていた。
傍らでその様子を見ていたキリコ(九十九霧狐)とジン(夜刃迅)は、何も言わずに視線を交わした。 運び屋として数々の修羅場を見てきた彼らにはわかっていた。ここにあるのは、親と子の、残酷で優しい「別れ」の予兆であることを。
その夜。 礼拝堂の奥にある、ミレイユの私室。 暖炉の火が爆ぜる音だけが響く静かな部屋で、話し合いが持たれた。円卓を囲むのは、キリコ(九十九霧狐)、ジン(夜刃迅)、チャーリー・S。 そして、エリアスとミレイユ・クロウ。
ソファには、目を覚ましたばかりのルカが、毛布にくるまって座っている。
「……結論から言います」
ミレイユが、静かに口を開いた。彼女の顔色は悪いが、その碧眼は真実を告げる決意に満ちていた。
「ルカは……ただの戦災孤児ではありません。彼女は、遥か神話の時代に癒やしを司った『慈愛の神アウレリア』の血を引く、正当な末裔です」
「神の……末裔?」
キリコが息を呑む。ジンも驚きを隠せない。
「はい。あの子の中に眠っていた因子が、『黒胎』の放つ魔界の瘴気と共鳴し、強制的に覚醒したのです」
ミレイユは、ルカの方を優しく見つめた。
「あの子が放った光……《黎明の恩寵》。それは、あらゆる負のエネルギーを中和し、あるべき姿へと還す、絶対的な『癒やし』の権能。……魔界の泥を止めることができたのは、彼女がその対極にある存在だからです」
ルカは、自分の手を見つめていた。自分の中に、そんな大きな力が眠っていたなんて。 実感が湧かない。けれど、あの時感じた温かい光の奔流は、確かに自分の中から溢れ出たものだった。
「ですが……」
ミレイユの声が沈む。彼女は、テーブルの上に置かれた二つの黒いケースに視線を落とした。
「この『黒胎』は、ルカの力で中和され、一時的に休眠状態になっています。……ですが、これは根本的な解決にはなっていません」
「休眠、か。……また起きるってことか?」
ジンが、腕組みをして問う。
「ええ。黒胎の本質は『渇望』です。……今はルカの光でお腹がいっぱいになって眠っているだけ。時間が経てば、再び飢餓を訴え始めるでしょう」
ミレイユは、悔しげに唇を噛んだ。
「私の力では、これ以上の封印は不可能です。……完全に消滅させるには、やはり……」
「ミサイア共和国にある聖遺物『ゴルゴダ』の力が必要だな」
チャーリーが言葉を継いだ。
「あれは、かつて神と悪魔を調律した聖地の欠片だ。……この泥を浄化できる唯一の炉心だと言っていい」
「……その通りです」
ミレイユが頷く。そして、彼女は意を決したようにルカを見た。 その瞳は、母親のような慈愛と、導き手としての厳しさに満ちていた。
「そして……貴女も、行くべき時が来たのかもしれません。ルカ」
「……え?」
ルカが顔を上げる。
「貴女の力は、貴女自身が思っている以上に大きく、そして尊い。……この小さな礼拝堂に閉じ込めておいていいものではありません。世界が……傷ついたこの時代が、貴女の『癒やし』を必要としています」
「でも……私は……」
ルカは、助けを求めるようにエリアスを見た。お父さん。いつもなら、「ここにいろ」「危険なことはするな」と言ってくれるはずの、過保護な父。 だが、エリアスは沈黙を守っていた。
「ルカ」
ミレイユが、ルカの手を取った。
「貴女自身は、どうしたいのですか? ……『外』の世界を、見てみたいとは思いませんか?」
「外……」
ルカの脳裏に、昼間の光景が蘇る。黒い泥に飲み込まれそうになった父を、自分の力で救った瞬間。そして、キリコやジンといった、外から来た人々の自由で力強い姿。
「……私は」
ルカは、震える声で言葉を紡いだ。
「私は……知りたいです。自分の力のことを。……そして、かつて私を助けてくれた、シスター・ノア様のことを」
彼女は、自分の原点であるアストエルの記憶を、断片的にしか覚えていない。だが、あの温かい手の感触だけは、魂に刻まれている。
「それに……あの子たち(黒胎)も、私がそばにいれば……また暴れ出しても、止めてあげられるかもしれません」
それは、あまりに純粋で、無垢な動機だった。
「……そうか」
沈黙を守っていたエリアスが、重い口を開いた。 彼はゆっくりと立ち上がり、暖炉の上に飾られていた小さな木箱を手に取った。 蓋を開けると、そこには一本の短剣が収められていた。
刀身は短く、繊細な装飾が施されているが、その輝きは冷たく鋭い。聖銀の短剣。かつてH.L.O.H.の聖騎士が、最後の守り刀として、あるいは誇りを守る自決用として帯びていた、神聖な刃。
彼は、その短剣を鞘ごと両手で持ち、ルカの前に跪いた。 主君に剣を捧げる騎士のように。 いや、旅立つ我が子に、己の全てを託す父親として。
「持って行け」
エリアスは、静かに告げた。
「これは……お前を守るためだけの剣ではない」
彼は、ルカの震える手を取り、短剣を握らせた。 ずしりとした重み。だが、それは決して持ち上がらない重さではない。 少女の手にも馴染む、命の重さ。
「お前が選んだ道を……迷い、立ち止まった時に、そのイバラを切り開くための剣だ」
「お父、さん……」
「行け、ルカ。……鳥籠の扉は、もう開いている」
エリアスの声が震えた。 それが、彼にできる精一杯の激励であり、別れの言葉だった。
ルカは、短剣を胸に抱きしめた。 鞘の冷たさと、そこに残る父の体温が、涙を誘う。
「……はいッ! ……行ってきます!」
少女は泣きながら、それでも力強く微笑んだ。それは、守られるだけの子供が終わりを告げ、一人の「救い手」が誕生した瞬間だった。
キリコは、その様子を壁際で静かに見守っていた。隣のジンが、鼻をすする。
「……ちっ。湿っぽいのは苦手なんだよ」
「あら、泣いてるの? 鬼の目にも涙ね」
「うっせ。目にゴミが入っただけだ」
ジンは誤魔化すように顔を背けたが、その表情は優しかった。 彼らもまた、かつて祈に背中を押され、旅立った子供たちだ。ルカの姿に、10年前の自分たちを重ねていたのかもしれない。
「……決まりね」
キリコは、パンと手を叩いて空気を変えた。
「荷物は増えちゃったけど……追加料金はまけておくわ。その代わり、道中は賑やかになりそうよ」
「よろしく頼むぜ、ルカ」
ジンが、ルカに向かってニカっと笑った。
「俺たちの背中は貸してやる。……その代わり、俺たちが怪我したら、そのピカピカの光で治してくれよな」
「はい! ……よろしくお願いします!」
ルカは涙を拭い、深く頭を下げた。
夜が更けていく。 セプティマ・ザイオンの空には、満月が輝いていた。それは、新たな旅立ちを祝福するかのように、青白く、優しく地上を照らしていた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




