第十一話「黎明の恩寵」1
第一章 泥の聖堂
その瞬間、地下礼拝堂を支配していた絶望的な闇が、物理的な質量を持って切り裂かれた。
それは、剣閃のような鋭い光ではない。 夜明けの地平線から溢れ出し、世界を優しく、しかし抗いようのない力で塗り替えていく、圧倒的な「朝」の到来だった。
カァァァァァッ……!!
視界が白金に染まる。 腐臭と湿気に満ちていた地下室の空気が、一瞬にして清浄なものへと置換されていく。
ルカ・ノクスが、顔を上げた。恐怖に濡れていた瞳は、今や黄金の湖のように凪ぎ、神々しい輝きを宿している。 彼女の背中から噴出した光の粒子が、重力に逆らって渦を巻き、巨大な一対の翼を形成した。
固有能力《黎明の恩寵》。
「……あ、あぁ……」
ルカの喉から、歌のような吐息が漏れる。翼が羽ばたくたびに、黄金の波紋が広がり、迫りくる『融合魔獣』の黒い泥を押し返していく。 物理的な衝撃ではない。光に触れた泥が、ジュワジュワと音を立てて泡立ち、その禍々しい黒色を剥ぎ取られ、ただの乾いた白い砂へと還元されていくのだ。
「グオォォォ……!?」
怪物が、困惑の声を漏らした。数千の亡者の呻き声が混じり合ったような、不協和音の咆哮。 彼らにとって、光とは「焼かれる」ものであり、「拒絶される」ものだったはずだ。だが、この光は違う。熱くない。痛くない。 ただ、どうしようもなく「満たされて」しまう。 終わりのない飢餓と憎悪を動力源とする彼らにとって、その「癒やし」は存在の根底を揺るがす猛毒だった。
「……すごい」
瓦礫の陰で、キリコ(九十九霧狐)が眩しさに目を細めながら呟いた。 彼女は、その光の質を知っていた。10年前見た天羽祈の「調律」の光。 神と悪魔を強制的に混ぜ合わせ、無効化する灰色の力。
だが、ルカの光は少し違う。 あれが「矛盾を抱えたままの肯定」だとするなら、これは「穢れを洗い流す純粋な赦し」。 より原初的で、無垢な祈りの形。 古の時代、傷ついた世界を癒やしたとされる慈愛神アウレリアの奇跡そのものだ。
「ルカ……! お前、その力は……!」
エリアス・ノクスが、聖剣を握りしめたまま立ち尽くす。 娘を守るためにボロボロになった身体を、ルカの光が優しく包み込み、傷を塞いでいく。彼が隠し、遠ざけようとしてきた「神の血」が、今、娘の意志で開花したのだ。
「……お父さん」
ルカが、父を見た。 その表情には、もう怯えはなかった。 あるのは、愛する人を傷つけさせないという、静かで強烈な母性にも似た決意。
「下がっていてください。……この子たちは、私が鎮めます」
彼女は、泥の巨人へと向き直った。 怪物は、本能的な恐怖と、それ以上の食欲に突き動かされ、無数の触手を槍のように突き出した。
「グオォォォッ!!」
触手が殺到する。ジン(夜刃迅)が翼を広げて迎撃しようと動くが、ルカがそれを手で制した。
「ジンさんも。……手出し無用です」
ルカは、迫りくる触手の群れに対して、防御さえしなかった。 ただ、両手を広げ、抱擁するように胸を開いた。
「……還って」
ルカの言葉が、物理的な振動となって空気を震わせた。
触手が、ルカの体に触れる寸前で静止した。 いや、触れることができない。彼女の周囲に展開された「絶対不可侵領域」が、悪意あるものの侵入を拒んでいるのではない。悪意そのものを「解体」しているのだ。
「あなたたちの悲しみも、飢えも……私が受け止めます」
ルカが、一歩踏み出した。 黄金の翼が大きく広がり、地下室全体をドーム状に包み込む。 光の粒子が、雨のように降り注ぐ。
それは、鎮魂歌。10年前に世界からあぶれ、形を失い、泥となって彷徨っていた魂たちへの手向け。
「……あ、あぁ……」
「……暖かい……」
「……お腹、空いてない……」
怪物の表面に浮き出ていた無数の苦悶の顔が、次々と安らかな表情へと変わっていく。 彼らが求めていたのは、破壊でも食事でもなかった。 ただ、誰かに見つけてほしかった。 誰かに、その痛みを分かってほしかった。
ルカの光は、彼らの飢餓を「慈愛」で満たし、この世に留まる理由を消滅させていく。
サラサラサラ……。
巨体が、崩れ落ちた。 足元から頭頂部まで、急速に乾燥し、風化していく。 断末魔の叫びは、安らかな吐息へと変わり、どす黒い瘴気は黄金の粒子となって昇華された。
天井の穴から、本物の朝日が差し込んだ。 地下室に満ちていた闇が完全に払拭される。
後に残されたのは、祭壇の上の台座に戻り、静かに鼓動を止めた二つの黒いケース――『黒胎』だけだった。中に封じられていた活性化したエネルギーは、ルカの光によって完全に中和され、今はただの黒い泥の塊に戻っていた。
「……終わった、のか?」
チャーリー・Sが、展開していた水壁を解除し、へなへなと座り込んだ。神獣の力をもってしても抑えきれなかった暴走を、たった一人の少女が、暴力を使わずに鎮めた。 その事実に、彼は改めて「神の血脈」の恐ろしさと尊さを思い知る。
「……ルカ」
エリアスが、震える声で娘の名を呼んだ。光が収束する。 翼が霧散し、ルカはゆっくりと地面に降り立った。 その身体が、ぐらりと揺れる。
「……お父、さん」
ルカは、エリアスの方を振り向き、安心したように微笑んだ。そして、糸が切れたように意識を失い、崩れ落ちた。
「ルカッ!!」
エリアスが駆け寄り、娘を抱き止める。安らかな寝顔。 その頬には、大粒の涙が伝っていた。守れたことへの安堵と、初めて力を行使したことへの畏れ。
「……よくやった。……立派だったぞ」
エリアスは、娘を強く抱きしめ、男泣きに泣いた。ミレイユ・クロウも、涙を拭いながら歩み寄る。
ジンとキリコは、その親子の姿を、少し離れた場所から見守っていた。朝日に照らされた地下室には、神聖な静寂だけが満ちていた。 それは、長い夜が明け、新たな運命が動き出す予感に満ちた朝だった。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




