第十話「新たな胎動」2
第二章 隠された祭壇
街の入り口での一触即発の邂逅を経て、キリコ(九十九霧狐)、ジン(夜刃迅)、そしてチャーリー・Sの三人は、エリアス・ノクスとミレイユ・クロウに導かれ、街外れの丘の上に佇む古い礼拝堂へと招かれていた。
セプティマ・ザイオンの街並みを見下ろすその場所は、この街の特異性を象徴するかのような、奇妙で美しい建築だった。 ゴシック様式の尖塔を持ちながら、屋根には東洋風の瓦が葺かれ、壁面には十字架と共に蓮の花のレリーフが刻まれている。 宗教や文化の境界が溶け合い、ただ純粋な「祈り」の場として機能している静寂の聖域。
重厚な木の扉をくぐると、堂内はひんやりとした冷気と、古びた紙の匂い、そして微かな薬草の香りに満たされていた。 ステンドグラスから差し込む夕日が、床の石畳に極彩色のモザイク模様を描いている。
「……座っていてください。粗茶ですが、用意させます」
エリアスは、背負っていた大剣を祭壇の脇に置き、奥の部屋へと声をかけた。 その態度は、先ほどまでの門番としての険しさとは打って変わり、不器用な家長のそれだった。
「ルカ。……お客様だ」
「は、はい! 今すぐに!」
奥から、鈴を転がすような可愛らしい声が響いた。パタパタという足音と共に現れたのは、一人の少女だった。
質素な麻のワンピースに、白いエプロン。 栗色の髪を後ろで緩く束ね、少しそばかすのある頬を紅潮させている。 年齢は18歳前後だろうか。 その瞳は、汚れを知らない子供のように澄んでおり、戦火に焼かれたこの大陸にあって、奇跡のような無垢さを保っていた。
ルカ・ノクス。 エリアスの養女であり、ミレイユが手塩にかけて育てた少女。
彼女は、湯気の立つティーポットとカップを載せたトレイを抱え、緊張した面持ちでジンたちのテーブルへと近づいてきた。
「よ、ようこそいらっしゃいました……。あの、お茶です。ハーブティーですけど……」
「ありがとう、お嬢ちゃん。……気が利くな」
チャーリーが、サングラスを外してニカっと笑いかけると、ルカは「ひゃぅ」と小さな悲鳴を上げて顔を赤くした。強面の男たちに免疫がないのだろう。
「……頂くわ」
キリコがカップを手に取る。 温かい陶器の感触と、立ち上るカモミールの香りが、荒野の旅でささくれ立った神経を優しく撫でる。 ジンもまた、無言でカップを口に運んだ。 彼の手元――足元には、黒く重厚な金属ケース『黒胎』の封印櫃が置かれている。 彼は片時も、その呪われた荷物から手を離そうとしない。
「……それで? 俺たちをここへ招いた理由はなんだ?」
ジンは、茶を一口啜ると、鋭い視線をミレイユに向けた。ただの親切心で、怪しい運び屋を聖域に招き入れるはずがない。 彼女は「知っていた」のだ。このケースの中身を。
ミレイユは、静かに向かいの席に腰を下ろした。 そのヴェールの奥にある碧眼が、悲しげに揺れている。
「……単刀直入に申し上げます」
彼女の声は、祈るように低く、澄んでいた。
「貴方たちが運んでいるもの……。そのどす黒い『悪意の塊』を、この街に留めておくわけにはいかないからです」
「……気づいてたか」
「ええ。……隠しきれるものではありません」
ミレイユは、ジンが足元に置いたケースを指差した。厳重な物理ロックと、チェン爺が施した呪術的な封印。それらをもってしても、ケースの隙間からは、コールタールのような粘着質の瘴気が滲み出し、床の石畳をじわじわと変色させていた。
「『黒胎』……。10年前の災厄の残滓。世界を蝕む病巣」
ミレイユがその名を口にした瞬間。 お茶のおかわりを注ごうとしていたルカの手が、ピタリと止まった。
「……あ」
カチャリ。 ティーポットとカップがぶつかり、乾いた音を立てる。 ルカの顔色が、みるみるうちに蒼白になっていく。
「……怖い」
ルカは、後ずさりをした。 その視線は、ジンそのものではなく、足元のケースに釘付けになっている。 まるで、そこにこの世で最も恐ろしい怪物が潜んでいるのを、本能で察知した小動物のように。
「……それ、泣いてる。……怒ってる……!」
「ルカ?」
エリアスが、弾かれたように娘に駆け寄る。 震える肩を抱き寄せ、その視線を遮るように立ちはだかる。
「見なくていい。……お前が気にするものではない」
「でも、お父さん……! 聞こえるの。……『お腹すいた』って……『全部食べたい』って……!」
ルカは、耳を塞いでうずくまった。彼女には聞こえているのだ。 ケースの中に封じ込められた泥の、終わることのない飢餓の叫びが。 常人には感知できないはずの魔界の波動を、彼女は受信してしまっている。
「……感度が高いわね」
キリコが、ルカを観察しながら呟いた。 ただの孤児にしては、霊的な感受性が強すぎる。あるいは、彼女自身の中に、何らかの「因子」が眠っているのか。
「……ごめんなさい、驚かせてしまって」
ミレイユが立ち上がり、ルカの背中を優しく撫でた。 その手から淡い光が溢れ、ルカの震えを鎮めていく。 そして、ミレイユは決意を込めた瞳で、キリコたちに向き直った。
「……やはり。貴方たちも『それ』を持っているのですね」
「『も』?」
ジンが眉をひそめる。
「どういう意味だ?」
ミレイユは、答えの代わりに歩き出した。 礼拝堂の最奥、祭壇の裏側へ。 彼女が壁の燭台を操作すると、重苦しい岩の擦れる音と共に、隠し扉が開いた。 そこから漂ってきたのは、冷たく湿った地下の空気と――ジンが持っているものと全く同じ、吐き気を催すほどの濃密な瘴気だった。
「……来て下さい」
ミレイユに促され、三人は地下へと続く階段を降りた。螺旋階段の底。 岩盤をくり抜いて作られた、冷たい石室。 その中央に、厳重な結界陣が敷かれた台座があった。
そして、その上に鎮座していたのは。
「……マジかよ」
ジンが絶句する。 キリコの狐耳が、逆立つように跳ね上がった。
そこには、ジンが持っているものと同じ規格、同じ形状の、もう一つの黒いケースが安置されていたのだ。いや、ケースだけではない。 封印が緩んでいるのか、ケースの隙間からは黒い泥が触手のように溢れ出し、台座を侵食している。
「二つ目の……『黒胎』?」
キリコが息を呑む。 世界に散らばったはずの災厄の種が、こんな辺境の街に存在していたとは。
「数ヶ月前……この街の地下水脈、その源泉付近から発見しました」
ミレイユが、苦渋に満ちた声で説明する。 彼女は、この泥が発見されて以来、片時も離れずに封印の維持に努めてきたのだ。 その顔色の悪さは、生命力を削り続けてきた証だった。
「最初は、ただの汚染物質だと思いました。……ですが、これは生きている。目覚めないように私が封印してきましたが……もう、限界が近い」
ミレイユは、悲しげに泥を見つめた。
「世界中に散らばった魔界の残滓は……互いに引き寄せ合い、融合しようとする性質があるのです。……貴方たちが街に入った瞬間から、この子の鼓動が激しくなりました」
「……呼んでるってのか」
ジンが、自分の足元に置いたケースを見る。中の泥が、ドクン、ドクンと脈打っているのが、ブーツ越しに伝わってくる。 地下室の泥もまた、それに呼応するように蠢きを増している。
共鳴。 二つの災厄が、互いを認識し、一つに戻ろうとしている。
「……マズイな」
チャーリーが、サングラスを外して天井――地上の方角を見上げた。 神獣としての勘が、最大級の警報を鳴らしている。
「おい、姉ちゃんたち。……のんびりお喋りしてる場合じゃなさそうだぜ」
チャーリーの言葉が終わるか終わらないかの瞬間だった。
ズズズズズ……ッ!!
地下室全体が、いや、街そのものが震え始めた。 地震ではない。空間そのものが捻じれ、悲鳴を上げているのだ。
「……ッ、共鳴が強まっている!」
キリコが叫ぶ。 彼女の『千里眼』には見えていた。 二つのケースから立ち昇る黒いオーラが、螺旋を描いて絡み合い、天井を突き破って天へと昇っていく光景が。
ガタガタガタガタッ!!
台座の上のケースが、暴れ出した獣のように跳ね回る。 封印の護符が、次々と発火し、燃え尽きていく。
「くっ……! 封印が持たん!」
エリアスが叫び、腰の聖剣を引き抜いた。 刀身に聖なる光を宿し、結界を物理的に補強しようとする。 だが、溢れ出す瘴気は、聖なる光さえも飲み込み、黒く染めていく。
「……あ、ぁ……ッ!」
その時。エリアスの背後にいたルカが、頭を抱えて崩れ落ちた。彼女の悲鳴が、共鳴音と重なる。
「熱い……! 身体が……焼ける……ッ!」
ルカの全身から、眩いばかりの金色の光が漏れ出した。それは、黒い泥とは対極に位置する、神聖で、清浄な輝き。 黒胎の瘴気が、彼女の体内に眠っていた「神の因子」を刺激し、本人の意思とは無関係に、強制的に覚醒させようとしているのだ。
「ルカ!?」
「……まさか。この子は、ただの孤児では……」
ミレイユが、信じられないものを見るように目を見開いた。かつて戦災孤児としてシスター・ノアに保護され、縁あって引き取られたこの少女。彼女の中に眠っていたのは、ただの魔力ではない。 古の時代、傷ついた世界を癒やし、人々を導いたとされる『慈愛の神アウレリア』の血脈。
光と闇。神と魔。相反する二つの力が、狭い地下室の中で衝突し、臨界点を超えようとしている。
パリーン!!
ついに、限界が訪れた。 二つのケースの留め金が同時に弾け飛び、蓋が開いた。 圧縮されていた黒い泥が、爆発的に膨張し、津波となって地下室を飲み込まんとする。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




