第十話「新たな胎動」1
第一章 境界の宿場町
鉄道を失い、荒野に伸びる錆びついた線路の上を歩き続けること二日。 ユーガリア大陸の乾燥した風は、肌の水分を容赦なく奪い去り、喉の奥に鉄と砂の味をへばりつかせていた。
太陽は真上にあり、影を足元に縫い止めている。遮るもののない荒野で、キリコ(九十九霧狐)はフードを目深に被り、無言で足を運んでいた。その横を歩くジン(夜刃迅)は、背負った二つのケース――天帝の小箱と、『黒胎』の封印櫃――の重みを確かめるように、時折肩を回す。 彼らの背後では、チャーリー・Sがアロハシャツの襟をはだけさせ、暑さに辟易したように溜息をついていた。
「……暑ぃ。干からびてビーフジャーキーになっちまうぜ」
「文句を言わないでください、チャーリーさん。……貴方、水神でしょう? 自分で冷やせばいいじゃないですか」
「この乾燥地帯じゃ、大気中の水分を集めるだけで重労働なんだよ。……ああ、キンキンに冷えたビールが恋しい」
軽口を叩きながらも、彼らの瞳から警戒の色は消えていない。 いつ、どこから追っ手が現れるかわからない。 そして何より、ジンが背負っている『黒胎』が、時折ドクンと脈打ち、所有者の精神を蝕もうと瘴気を漏らしているからだ。
陽炎の向こう。揺らめく景色の中に、異質なシルエットが浮かび上がった。
それは、蜃気楼ではなかった。 赤茶けた荒野のただ中に、突如として出現したオアシスのような都市。
『セプティマ・ザイオン』。
ユーガリア大陸の中継地点に位置するその街は、歴史の断層に咲いた徒花のような、奇跡的なバランスで成り立つ「境界の都」だった。
近づくにつれて、その異様さが鮮明になる。街の東側は、反り上がった瓦屋根と朱塗りの柱が並ぶ、東洋的な建築様式。 対して西側は、尖塔を持つ石造りの教会や、重厚なレンガ造りの家々が並ぶ西洋風の街並み。 それらが中央の広場を境にして、あるいは無秩序にパッチワークのように混じり合い、一つの都市を形成している。
風に乗って、夕刻を告げる教会の鐘の音と、寺院から流れる線香の香りが同時に漂ってくる。 10年前の「白紙の審判」以降、大陸を横断する巡礼者や商人、そして行き場を失った亜人たちが集まり、独自の文化を形成した中立地帯。 どこの国にも属さず、誰の干渉も受けない、吹き溜まりの聖域。
「……やっと、人の飯にありつけるな」
ジンが、ひび割れた唇を舐めた。 彼の胃袋は限界を訴えている。携帯食料の味気なさにはもう飽き飽きしていた。
「油断しないで。……中立ってことは、無法地帯ってことよ」
キリコが釘を刺す。
「わかってるよ。……だが、まずは水だ。それから肉だ」
三人は、街の入り口にある巨大なアーチ型の門へと差し掛かった。門扉はなく、誰でもウェルカムと言わんばかりに開かれている。 だが、その足元には見えない結界のラインが引かれているのを、キリコの『千里眼』とチャーリーの神気は感じ取っていた。
一歩、踏み出す。 その瞬間。
ジャキッ。
硬質な金属音が、三人の足を止めた。殺気ではない。 もっと純粋で、研ぎ澄まされた「警告」の音。
「止まれ」
立ちはだかったのは、一人の屈強な男だった。
白髪交じりの髪をオールバックにし、無精髭を生やした巨漢。 身につけているのは、使い古された革のコートと、胸元に鈍く光る銀色のプレート。 そして、その腰には、現代の兵器にはない重厚な輝きを放つ、聖銀の長剣が帯びられていた。
エリアス・ノクス。 ただ立っているだけで、背後に鉄壁の城塞が見えるような、圧倒的な存在感。
「……その荷物、ただの旅人のものではないな」
エリアスの声は低く、腹の底に響いた。 彼の視線は、ジンたちではなく、ジンが背負っている黒いケースに釘付けになっていた。
「観光客なら歓迎する。……だが、『災い』を持ち込む者は通さん」
彼が剣の柄に手をかけると、周囲の空気がビリビリと震えた。 その身のこなし、放たれる剣気。 それは、ただの門番や傭兵のものではない。
「……へえ。この街の番犬は、随分と上等な牙を持ってるみたいね」
キリコが目を細め、警戒態勢を取る。 だが、その正体までは読み切れていない。口を開いたのは、彼女たちの背後にいたチャーリーだった。
「おいおい、懐かしい構えだな、ダンナ」
チャーリーが、サングラスをずらしてエリアスを見た。 その瞳には、10年前の戦場の記憶が蘇っている。
「聖銀の剣に、その体幹……。かつてのH.L.O.H.の聖騎士様が、こんなところで用心棒か?」
「……ほう。目端が利くな、風変わりな御仁だ」
エリアスは否定しなかった。10年前、崩壊した組織から離れ、流浪の末にこの街へ辿り着いた古強者。 彼は今、この街の自警団長として、外敵から「聖域」を守っているのだ。相手の正体までは分からずとも、その底知れぬ実力だけは本能で悟っている。
「そのチンピラのような風体……だが、只人ではないな。纏う気配が、人間の器を超えている」
エリアスは剣を構えたまま、チャーリーを油断なく見据えた。
「悪いが、通してもらうぜ、おっさん」
ジンが、ケースを地面に置き、ゆっくりとライダースのジッパーを下ろした。 背中の翼が、内側で蠢く。一触即発。
「よしなさい、エリアス」
その時、エリアスの背後から、彼を制するように穏やかで、しかし凛とした女性の声が響いた。
「……彼らは敵ではありません」
現れたのは、神秘的なヴェールを被った女性だった。亜麻色の髪、慈愛に満ちた碧眼。質素なシスター服を纏っているが、その身から溢れ出る清浄な空気は、周囲の砂埃さえも浄化しているようだ。
ミレイユ・クロウ。 かつて宗教都市ヴァルチアンに住んでいた、天使の一族の末裔。 彼女の背中には、目に見えない翼の気配が漂っている。
「ミレイユ様。……しかし、この者たちが持っているのは」
「ええ、わかっています」
ミレイユは、エリアスの横を通り過ぎ、キリコたちの前へと歩み出た。彼女は、ジンが足元に置いた黒いケースを、悲しげな目で見つめた。
「ようこそ、黒狐のお二人、そして玄武様」
彼女は、初対面であるはずの彼らの正体を、正確に言い当てた。そして、静かに告げた。
「……貴方たちが運んでいる『呪い』の臭い、ここまで届いていますよ」
彼女の視線が、黒いケースを貫通し、その中にあるドス黒い泥の鼓動を見据えているようだった。
「……知ってるのか? 黒胎を」
ジンが問う。
「ええ。……招かれざる客ですが、追い返すわけにはいきませんね」
ミレイユは、ヴェールを少し上げ、微笑んだ。
「どうぞ、中へ。……この街もまた、その『呪い』とは無縁ではないのですから」
その言葉の意味を測りかねながらも、キリコとジン、そしてチャーリーは顔を見合わせた。 拒絶ではなく、奇妙な共感。 この街には、何かがある。 自分たちが運んできた「荷物」と共鳴する何かが。
三人は、エリアスに導かれ、セプティマ・ザイオンの門をくぐった。 夕日が、彼らの長い影を石畳に落としていた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




