第五話「幽霊の包囲網」2
第二章 ゴーストライン
ドラゴンラインを抜け、旧東海道へと続くハイウェイ。 『黒狐号』は、アスファルトに染み付いた雨の匂いを切り裂きながら疾走していた。 東帝都の過密なビル群が背後へと遠ざかり、視界には荒涼とした山肌と、朽ちかけた防音壁が流れていく。だが、その開放感とは裏腹に、キリコ(九十九霧狐)の背中を這い上がる悪寒は、距離を重ねるごとに冷たさを増していた。
「……おかしいわ」
キリコは、ヘルメットのシールド越しにバックミラーを睨みつけた。何も映っていない。レーダーも、熱源センサーも、後方からの接近物を一切感知していない。だというのに、肌を刺すような視線だけが、ねっとりと張り付いて離れない。 それは、獲物の首筋に狙いを定めたハンターの殺気とも、監視カメラの無機質なレンズとも違う。もっと異質で、生理的な嫌悪感を催す「空白」の気配。
「気配がないのに……『視線』だけ感じる」
キリコがインカムで呟くと、ハンドルを握るジン(夜刃迅)も短く頷いた。
「ああ。俺の翼もざわついてやがる。……何かが、俺たちの真上にいる」
頭上。 鉛色の雲が垂れ込める空には、鳥一羽飛んでいない。 だが、キリコの『千里眼』は、雲の切れ間に潜む微細なノイズを捉えていた。
音もなく、熱も発さず、風に乗るように滑空する無数の小型ドローン。 その表面は特殊な吸音材と光学迷彩で覆われ、レーダー波を完全に吸収している。 『ナイトマウス』。アークステイツ連邦が極秘裏に開発した、完全無音・無熱源の偵察ユニット。 それらが発する超音波のエコーロケーションが、二人の位置をミリ単位の精度で捕捉し続けていたのだ。
「囲まれているわ。……それも、とびきり質の悪い幽霊たちに」
突如、ジンの直感(第六感)が、脳髄を焼き切るほどの警鐘を鳴らした。 殺気ではない。 「死」そのものが、物理的な形をとって迫ってくる予感。
「キリコ、伏せろッ!!」
理由を問う暇もなく、ジンは車体を強引に右へと傾けた。 タイヤが悲鳴を上げ、膝がアスファルトを削る。
ギャギィィン!!
刹那、二人の頭上が「裂けた」。 直前まで二人の首があった空間を、不可視の刃が通り抜けたのだ。衝撃波が遅れて届き、ガードレールが飴細工のように捻じ切れ、アスファルトに深さ数十センチの亀裂が刻まれる。
「な……ッ!?」
キリコは息を呑んだ。 弾丸ではない。ビームでもない。 何もない空間から、唐突に斬撃だけが発生したのだ。
「何だ!? 今のは!」
「いいえ、そこに『いる』わ!」
キリコが指差した空間。 そこには、陽炎のようなノイズが揺らめいていた。 風景が不自然に歪み、光が屈折している。だが、そこには誰もいない。いや、脳が「そこに誰もいない」と認識させられているのだ。
光学迷彩などという生易しいものではない。 観測データそのものをリアルタイムで削除し、世界から自身の存在情報を隠蔽する『フェイズヴェール装甲』。カメラやセンサーはおろか、人間の認識機能さえも滑り落ちる、「透明人間」たちの部隊。
アークステイツ連邦・国家秘密部局『ゴーストライン』。
世界中のロストテクノロジーを回収し、歴史の闇に葬り去るために組織された、存在しないはずの特殊部隊。
『Target confirmed(目標確認)。……『ドラゴン・グレイン』を確保せよ』
何もない空間から、合成音声のような冷徹な指示が響く。 ハイウェイ上に展開するステルスバンの中から、隊長イーヴォ・ハーケンが指揮を執っているのだ。
そして、ノイズの中から、二つの影が実体化する。認識阻害を一部解除し、攻撃態勢へと移行した姿。マットブラックの強化外骨格に身を包み、顔のないバイザーを向けた異形の兵士たち。
近接戦闘のスペシャリスト、ガブリエル・ストラド。重火器とドローンを操る、カイ・マーデン。
「貰っていくぞ、運び屋」
ガブリエルが、重力を無視した挙動で肉薄する。彼が振るうのは、刀身が存在しないかのように高周波で振動する長剣、『ハウリングゼロ・ブレード』。 毎秒数万回の微細振動が、触れた物質の分子結合を強制的に解離させる、防御不能の魔剣。
「チッ、厄介なオモチャ持ってるな!」
ジンが、走行中のバイクから跳躍した。 背中のライダースが裂け、漆黒の翼が爆発的に展開される。彼は空中で翼を硬質化させ、ガブリエルの斬撃を受け止めた。
ギギギギギッ!!
不快な高音が鼓膜を劈く。 火花が散り、ジンの鋼鉄の羽毛が、削り節のように舞い散る。翼の強度が、振動の破壊力に負け始めている。
「硬度など無意味だ。……分子レベルで断ち切る」
ガブリエルがさらに踏み込む。 翼ごとジンの身体を両断しようとする刃。
同時に、後方からカイの放つスマートミサイルが、熱源探知でキリコ(と箱)を狙って殺到する。 バイクに取り残されたキリコに、回避の術はない。
「見えない敵なんて、どうやって戦えばいいのよ!」
キリコが叫ぶ。 通常の視覚では、フェイズヴェールを展開した彼らを捉えきれない。 攻撃の瞬間だけ実体化し、すぐに認識の外へと消える。これでは、反撃のしようがない。 目隠しをされたまま、断頭台に立たされているようなものだ。
「……なら、見るんじゃなくて『視る』んだよ!」
キリコは覚悟を決めた。 彼女はバイクのタンクに身を伏せながら、両手で独特な印を結んだ。人差し指と親指で輪を作り、それを重ね合わせる。 脳の血管が切れそうなほどの集中力で、霊力を瞳に集める。
『千里眼(狐の窓)』――最大出力。
「……見せてみなさいよ。アンタたちの『正体』を!」
キリコの視界が変質する。 色彩が反転し、世界が情報の奔流となって流れ込んでくる。彼女は、物理的な光を見ているのではない。 彼らが世界に干渉した瞬間に生じる、微かな「因果の歪み」を視ているのだ。
空間のノイズ。 殺気のベクトル。 大気の揺らぎ。 そして、フェイズヴェールの隙間から漏れ出す、電子の脈動。 全てが、光のラインとなって脳内に投影される。
見えた。 「いないことになっている」場所の、確かな輪郭が。
「ジン! 2時の方向、距離15メートル! ノイズの裂け目を狙って!」
キリコの指示が飛ぶ。 それは、何もない虚空を指し示していた。だが、ジンは疑わない。相棒の目は、一度たりとも嘘をついたことがないからだ。
「おうよッ!!」
ジンが翼を広げ、ガブリエルの剣圧を弾き飛ばした。そして、キリコの指示した「何もない空間」へ、弾丸のように突撃する。
『堕天の斬撃』。
黒い翼が、空気を切り裂く。その切っ先が捉えたのは、虚無。……ではない。
ガギィン!!
何もないはずの空間で、硬質な金属音が響いた。ジンの翼が、隠れていたガブリエルのフェイズヴェール発生装置を、正確に破壊したのだ。
バチバチバチッ!
青白いスパークが走り、ノイズが晴れる。強制的に実体化させられたガブリエルが、驚愕に目を見開いて吹き飛んだ。
「……視えているのか。面白い」
指揮車のイーヴォが、モニター越しに呟いた。 完璧なステルス迷彩を、生身の感覚と呪術的な視力だけで看破した。この運び屋たちは、ただの人間ではない。 皇国の闇に潜む、未知の変数。
「だが、深追いはリスクが高い」
イーヴォは冷徹に判断した。奇襲の優位性は失われた。これ以上の戦闘は、任務の遂行に支障をきたす。彼らは軍人であり、殺し屋ではない。 感情に流されることはない。
『All units, disengage(全機、離脱せよ)』
撤退信号が出される。 ガブリエルとカイは、即座にスモークを焚き、再び認識の外側へと消えていった。
「今回は挨拶だ。……その箱は、いずれ必ず回収する」
風に乗って、死の宣告が残された。 ゴーストラインの部隊は、蜃気楼のように消失した。
「……行っちまったか」
ジンが翼を収め、バイクに戻ってくる。 その肩には、振動剣による裂傷が刻まれていた。
「大丈夫?」
「かすり傷だ。……それより、厄介な連中に目をつけられたな」
ジンがエンジンを吹かす。キリコは、桐の箱を強く抱きしめた。アークステイツの本気。 それは、運び屋の仕事の範疇を遥かに超えつつあった。だが、だからこそ燃える。 どんな理不尽な暴力からも、この荷物を守り抜く。 それが、黒狐便の矜持だ。
「行きましょう、ジン。……京帝の結界なら、幽霊どもも手出しできないはずよ」
バイクが加速する。 夕闇が迫るハイウェイを、二つの影が疾走していく。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




