03
キーボードを打つ手を止め、すっかり冷めてしまったコーヒーが入るマグカップを手に取ると同時に、視界の右下にデジタル数字が現れ3度点滅して消えた。
(18時か…今日も残業だなー)
チラリと見たマグカップ横には、大橋さんから新たに回ってきた書類の山が出来ていた。
軽く溜め息が漏れる。
(軽く腹に入れてからやるか。昼は栄養ゼリーだけだったし、流石に固形物が食べたい。)
「全て保存してからパソコンをオフ。」
周りにも聞こえない程の小さい声だったが、デスクに映し出されていたキーボードが瞬時に消え、パソコン画面も消えて白い壁だけが残った。
「ちょっとコンビニ行ってくるわ。」
「先輩、MIAコーヒーお願いします!」
「あいよ。」
両手を合わせギュッと目を瞑る関に、軽く手を上げ返事を返しつつ部屋を出た。
◇◇◇
エレベーターで一階まで降りると、一緒に乗り合わせた人達は皆正面玄関へと向かい、一人人気のない裏口へと向かった。
(アップルパイ食いてーなー
一口サイズのなら会社裏のコンビニにあったな。
そう言えば、前に一度取引先で出された本物のリンゴを使ったアップルパイ…
あればこの世の物と思えない程旨かったなー
コンビニのアップルパイはアップルパイで旨いんだが、本物のリンゴを使ったモノとなると別格というか、今まで食べてたモノをアップルパイと呼んで良いのか分からなくなるレベルだった。)
記憶を思い出し、あの時の旨さに恍惚とした表情が浮かんでしまう。
(月でも地球発祥の農作物は作っているが、環境が適していない為に作ることが出来なかったりと、作れる物は限られている。
しかも、作付面積制限や栽培数制限が設けられている物も多く、出回る数は少なく価格も自ずと高い。
その為、月で流通している物の大半を占めているのは遺伝子操作されたプランター栽培の野菜か、農作物に似せて作った加工品だ。だが、似せて作っているとはいえ、本物と比べると全くの別物と分かるくらいに違いがある。
それでもそれらに需要があるのは、地球産の本物が高額な輸入コストのせいで、月産と比べられない程庶民が簡単に手を出せない金額で取引されているからにすぎない。
そう、月に住む平凡なサラリーマンが気軽に手を出せないのだ。しかし…
本物のアップルパイ…
食べないなー…
今度母さんが月に帰ってくる時に買ってきてもらおうかな…)
ふと、昼間関と話した紙煙草を思い出した。
(耕作禁止品の煙草を月で買うとなると、シガレットだと安くても1本3万程だと以前聞いたことがある。
高いどころの話ではない。
贈答用や記念日に買うことはあるが、缶コーヒーもどき1本110円の世界に生きる月庶民が常に食すなど夢の又夢。
売る側も端から庶民向けにとは考えていないだろう。
こういったものは、専ら貴族向けなのだ。
そう、月には貴族がいる。
我が国を含む6つの国には、貴族が存在し、国に依っては下位貴族の準男爵なら金で買えたりする。
その結果、この国には準男爵が結構存在している。金持ちはほぼ準男爵と考えて良い程だ。)




