2話
「セフラ……ください。……しないと」
聞き覚えのある声が、聞こえる……。誰かが……俺の名前を……。
「ん……」
まるで疲れているかのように体が重い。まだ少しだけ動きたくない。
声を無視しようと無意識で体を横に動かす。
すると今度は声だけではなく、俺の体を揺らすように優しく動かされる。
ゆっくりと瞼を開くと、木調の天井と銀髪の少女の顔が目に映った。
「ライラか……」
無表情でこちらを見つめる少女の名前はライラ・ヴェイン。
ライラはこちらが起きたのを確認すると、俺に触れていた手を離し、ゆっくりと距離をとる。
「セフラ。今日は朝一でクエストを受けると言っていたでしょう。そろそろ冒険者ギルドが開きますよ」
そうだ。昨日の夜、ライラに早朝から冒険者ギルドに行こうと誘ったんだった。
どうやら寝坊しかけている俺を起こしに来てくれたようだ。
上半身を起こし、窓を見ると明るい光が斜めに差し込んでいる。
意識がハッキリし始めると、自分の着ている服が汗でぐっしょりと濡れていることに気づく。
これは朝から冷たい水を浴びる必要があるかもしれない。
「少しうなされていた様に見えましたが、大丈夫ですか?」
さっきまで見ていた夢を思い出す。
あれは……幼い頃、故郷で起きた出来事だった。ルシフルが……俺の兄を最後に見た光景。
時々、夢で見ることがあったが、あの夢ばかりは慣れない。
「……ふっ。大丈夫に決まってるだろ。ありがとうなライラ。すぐ準備するから、少し待ってろ」
部屋のタオルを持ち出して、勢いよく2階にある部屋の窓から飛び出す。難なく着地すると、中庭の中央に据えられた井戸へ向かい、そこから水をくみ取る。
上半身の服を脱ぎ捨て、濡らしたタオルで体を拭いていく。
「うぅ……冷たい……。朝の水は冷えてて苦手だ」
汗を拭いながら飛び出した建物を見る。俺が住む家、孤児院がいつもと変わらずそびえたつ。
3階建ての木造の建物。外壁は白く塗られているが、所々に年季を感じさせる汚れがある。
「あぁ! セフラ兄ちゃんもう外にいる!」
孤児院からシンプルな麻素材の服装をした小さな子どもたちがゾロゾロと出てきた。
何人かがこちらに向かって走ってくる。
「ねぇねぇ! 今日は何して遊ぶ?」
興奮気味で遊びに誘ってくるこの子どもたちは、俺と同じ孤児たちだ。
最近、かなりの頻度で遊んでやっていたから今日も遊べると思っているらしい。
しかし、残念ながら今日はそうもいかない。
「悪いな。今日は冒険者ギルドでクエストを受けるから遊べないわ」
「えぇーー! 一緒に遊ぼうよ」
「むり。他のみんなで遊んどけ。俺は忙しいん、ぐぁ!」
高い声を無視しながら体を拭いていると、頭に強い衝撃が走る。
何かがぶつかったようで、頭を押さえ、地面に落ちたものを見ると丸められたタオルが落ちていた。
「セフラ! まーた窓から飛び出したでしょ! 他の子が真似したら危ないからやめろって注意したの忘れたのかい!」
孤児院の扉から出てきている栗色の癖毛の女性、エルマがお玉を片手に持って鬼のような表情でこちらを見ていた。
エルマは孤児院を経営している2人のうちの1人で、孤児院に住む子どもたちにとって母親のような存在だ。
まずい。以前も同じ注意をされたのに、また忘れてた。あの時はお説教だけで済んだが、エルマの表情はそれだけでは済ませないと物語っている。というかすでに物が投げられているのだが、どう言い訳したものか……。
エルマはじっとこちらを見つめ、少しだけ静寂が走る。
「……ごめん。忘れてた」
次の瞬間、お玉をぶつけられた。
◇◆◇◆◇◆
「はぁ。朝からひどい目にあった」
部屋に戻り、鏡の前に立つ。鏡に映る自分の黒髪はまだ寝癖がついたままだった。
「エルマは何度も伝えていたので、セフラが悪いですよ」
ライラは淡々とした表情で俺を注意する。銀髪を肩口で切りそろえた小柄な少女は、エルマの味方のようだ。
少しくらい俺の味方でもいいのではないかと思ったが、エルマが正しいのは自分でも理解しているので文句は言えない。
ライラはすでに準備を終えており、動きやすい黒の長袖シャツ、同色のタイトなズボン、腰には細いベルトを巻いて、小型のナイフを複数携帯している。
俺の背後でずっと待っている少女の視線から、どこか急かされているように感じてしまう。
ふと背後のライラの気配がわずかに薄らいだ。
気にせず身だしなみを整えていると、ガキィンと硬い何かがぶつかる音が部屋に響く。
後ろを振り向くと、虚ろとした目でライラは小型のナイフを持って、こちらへ突き刺すような態勢をしていた。ナイフは俺の背中に当たる手前で、空中に浮かぶ黒い球と衝突して止まっている。
「……」
ライラは無言でこちらを見つめている。
俺は彼女のその目を見て、思わず口を開く。
「あぁ。いつものやつね」




