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焼きそばパン大戦争  作者: 清泪(せいな)
第三章 メロンパン大逃走

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第五十三話 メロンパン大逃走

 光に包まれ、自分の身体が崩れていくのを、笠沼正太は感じていた。

 その緑の瞳に映るのは、剥がれるように崩れていく己の変色した皮膚と、泣き崩れ膝をつく小早志真理亜の姿だった。


 ただ、殺してみたかった。

 その興味を、小早志真理亜に向けたことは、一度もなかった。


 マンションの壁に叩きつけられ、崩れていく正太と目が合った瞬間、小早志は思い出していた──

 彼がまだ保育園児だった頃、足を骨折したあの日のことを。


 マンションの裏手にある小さな公園。

 ジャングルジムの頂点から飛び降りて、足を骨折し入院した。

 見舞いに訪れた小早志に、正太は「格好悪い」と笑ってみせた。

 泣きもせず、子どもらしからぬ軽口を叩く正太。

 その笑顔に安堵した小早志が、代わりに泣いた。

 泣き止まない彼女に、正太が差し出したのは──メロンパンだった。


「お姉ちゃん、僕ね、メロンの美味しさがわからないんだ。保育園の先生がさ、“早く治るようにって”って買ってきてくれたんだよ。あのメロン」


 病室のベッド脇、木製のバスケットに盛られたフルーツの中央に、立派なメロンが鎮座していた。

 保育園外での事故なのに、随分と律儀だなとそのときは思ったが──

 あとから聞いた話では、あれは“園外活動”と称された小さな遠足だったらしい。

 他の園児がはしゃいでジャングルジムから飛び降り、それを正太も真似するように促されたそうだ。

 安全を考えて砂場を選んだらしいが、何人もが着地したその場所は、既に踏み固められていたという。


「メロンがあんまり美味しくないって言ったらね、お母さんが“貧乏舌め”って笑ってさ。じゃあメロンパンはどう? って、買ってきてくれたんだ」


 そう言って差し出されたメロンパンを、小早志は口にした。

 甘かった。驚くほどに。


「ねえ、お姉ちゃん。メロンパンって甘いんだよ。すごく美味しい。メロンと全然味が違うのに、なんでメロンパンって言うんだろうね?」


 正太の問いに、小早志は首をかしげながら、パンをもうひと口頬張った。

 メロンが苦手だった自分は、メロンパンも敬遠してきた。

 けれど──あのときのメロンパンをきっかけに、自分の好物になった。


 ──病室で笑っていた正太の姿が、いま、光に包まれて崩れていく彼の姿と重なって見えた。


 すでに身体のほとんどは崩れていた。

 その顔には、もう笑みはなく、虚ろなまま消えていこうとしていた。



「見えるかい、ほら。あそこだよ。あれが、君の“お友達”──笠沼正太少年が、“無情にも祓われる”という、現実の光景だ」


 マンションの駐車場。停められた車のそばに、二人の人影。

 一人はスクールカウンセラーの斎藤だった。

 隣で地面にへたり込む人物に、指を差して告げる。


「……さて。君にも、もう一度説明しておくよ。理解してるとは思うけどね、念のため。鬼として祓われる──というのは、単なる除霊や封印なんて優しい処理じゃないんだよ。要は“死”さ。君があの日、体験した奇跡のような現象──元に戻るだとか、過去が修正されるだとか、そんな都合のいいご都合主義は、今回は期待できない。そもそも、彼女たちのご先祖様でさえ為し得なかったことだからね。それでも──それを百も承知で、彼女たちは彼を“殺した”というわけだ。いや、もっと正確に言おうか──“助けなかった”」


 へたり込んだ人物は、指差された先を茫然と見つめていた。

 頬には涙が伝っていたが、それを拭おうとはしなかった。


「君は、助けたかったんだろう? あの夜、お姉さんを助けられなかった自分を、どうしても救いたかった。それで今度こそ、誰かを、命を──たとえその相手が連続殺人犯であっても、見捨てたくなかった。違うかい?……ああ、わかってるさ。君が刺されようが構いやしなかったんだろう。誰か一人でも助けることが、君の贖罪だったんだ」


 へたり込んだその肩が、小刻みに震えた。

 それは痛みによるものではなかった。

 ──また、届かなかった。

 そんな記憶を呼び起こす、“無力”の恐怖だった。


 カウンセリングで封じ込めていた記憶が、再び顔を出す。

 ドアを開けた先にあった、首吊り死体。

 いつも笑っていた姉が、無表情で揺れていた、あの夕暮れ。

 見上げたマンションの光の中に、押し込めてきた記憶が滲んでいた。


「だが、現実は非情だ。誰かを助けるには、誰かを見殺しにしなきゃいけない時がある。それが、祓い師って連中の流儀らしいよ。いや、違うな──“彼女たち”の一族にとっては、それが“正義”なんだ。多くを救うために、目の前の一人を捨てる。 ね、酷い話だろ?……僕は、少しだけ、同情すら覚えるよ。ほんの、ほんの少しだけね。すべてを救うことなんて、やっぱり不可能なんじゃないかとさえ、思わされる」


 斎藤はネクタイを締め直した。

 白いワイシャツに黒いネクタイ。

 まるで喪服のような出で立ちは、大柄な体に窮屈そうだった。


 マンションの光が、その背中を照らしていた。


「──さて。君は、どうしたいんだい。高城和美さん。まだ“誰かを助ける”ことに、しがみつき続けるつもりかい? それとも、今度こそ、自分自身を救ってやりたくなったかい?」


 へたり込む和美の位置からでは、斎藤の表情は影になってよく見えなかった。

 いつものように人懐こい笑みを浮かべているのか。

 それとも、“鬼”と名乗って自分をここまで連れてきた男の顔は、

 ──まさしく鬼にふさわしいものなのかもしれなかった。

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