第百十四話 殴って殴って殴って吹っ飛ばす、ただそれだけの話
那間良との距離は歩数で言えば十歩と、互いの間合いからは離れていたーーはずだった。
鈎が吠え、右手に集中して光の刀を出現させようとした和美の左頬は気づけば強く殴られていて酷く歪んでいた。顔に当たる衝撃が、後から追いかけるように全身へと伝播していき身体が捻れるように浮かび上がる。
何が起きたのか、などと疑問に浮かぶより早く殴られたと理解して和美の身体は吹っ飛ばされた。
朱雀の力で一般客の視界に入らないようになっていたのだが、貸出カウンターに女子高生が一人倒れ込んだとなると存在をかき消すことは難しくなった。職員の女性が驚きの声を上げ、注目が一気に集まる。
一度強く認知されてしまえば朱雀の介入は無効化されるのか、二階中央に突如現れた修行僧のような人物と、その修行僧に次々と殴りかかるロングウルフカットの女性にも周りの客達は気づき、周囲は一気に騒がしくなる。
一瞬で、先程まで横に立っていた和美が、ほんの一瞬で吹っ飛ばされたことに鈎は困惑していたが、和美の心配をする余裕など那間良が与えてくれはしなかった。
朱雀の忠告が脳裏に焼きつき、間髪入れることなく次々と拳を振りかざしてくる女性が赤鬼の残滓に影響を受けた人物であることは理解出来たのだが、これまで祓い師として携わってきた仕事の中でここまで人間離れした相手と対峙した経験は無い。
目に追えない速さの踏み込み、目に追えない速さの拳打。鈎がやれていることは防御ではなく、防御の真似事をして錫杖を両手で構え突き出してるに過ぎない。
それでいて和美のように殴り飛ばされないのは、案内人として選ばれた恩恵、朱雀の恩恵だと言える。
朱雀の方角の守護候補であった赤鬼に対して、それが残滓に影響されただけであれ、直接的な排除は出来ないのだが、逆に赤鬼側からも朱雀の恩恵受けし者にも直接的な攻撃は出来ないのだ。
それは新たな守護者が候補すら定まっていない現状、守護者確保の方が強く働いてなおさら朱雀側から赤鬼を排除出来なくなっていた。
「ハハッ、オイスザクッ、オイスザクッ! コノオンナ、ツヨイデ? ハンパナオマモリナラブットバスカラナァ」
攻撃が当たらない。那間良の拳は鈎の身体に当たらず、見えない空気の壁のような何かにぶつかっては弾かれる。だがしかし、那間良は弾かれた反動を利用してそれを次の拳の振りかぶりへと繋げていき連打は止まらなかった。
攻撃が当たらない。朱雀と赤鬼の関係を鈎は脳裏に焼きついた情報から理解していたし、それが実際働いていることも身体に痛みが訪れないことで理解していた。だがしかし、それが絶対では無いのではないかと那間良が繰り出す連打から恐怖して身を強ばらせていた。
実力不足を理由に今回の主戦場となる中央から外され、街の警戒、外回りへと回された鈎はこれまで小鬼を祓う程度の仕事しかしてこなかった。西生に連なる分家のものとして、鬼と対峙する場面に同行はしたことはあるものの、鈎自身が鬼を祓った経験は無かった。
「しまったーー」
そう口にしたのは、鈎の口であり朱雀の言葉であった。
鬼は認知の存在である。
哀願を認知し青鬼に飲まれ、憤怒を認知し赤鬼に飲まれ、興味を認知し緑鬼に飲まれーー。
認知し受け入れて、鬼に飲まれていく。
鈎は自分が眼前に迫る那間良に恐怖してることを理解した。眼前に迫る、赤鬼の残滓に影響された者に、恐怖してることを理解した。
しまった。そう口にした時、既に遅く、そしてそれが決定的となった。
鈎の足元、影から現る赤い腕が四本。鈎の身体を影へと引きずり込むように、鈎の身体にまとわりつくように伸びる腕。それは小鬼ともなりきれない赤鬼の残滓。
「アアナンヤ、ブットバスマデモナイヤナイカ。イッラッシャイ、ニィチャン、オニノセカイヘヨウコソ」
そう言って甲高い声でケタケタと那間良は笑うと、言葉とは裏腹に腕を大きく振りかぶると鈎の顔を殴りつけ和美と同じように吹っ飛ばした。




