第百十話 朱雀の領域
凄惨な光景にと染まってしまった病院を、吐き出しそうになりながらも抜け出した和美は振り返る事無くそのまま次の試練場へと向かって走り続けた。鬼の結界内のことならば、人の生き死にも西生家の《無かった》事にする術法で元通りに出来るはずだ。それに対して、笠沼正太の殺人は鬼の結界外で鬼となるきる前の笠沼正太の手で行われたので元通りにはならなかった。ならば、結界外で行われた覚醒した鬼による殺人は、《無かった》ことになどなるのだろうか。
和美が抱いたその疑問、その不安に対して答えてくれるものはこの場にいない。今和美に出来るのは、このまま小早志真理亜の分体の群れに自分を狙わせつつ引き連れていくことだ。全てを斬り払う、という案も病院の二階に降りるまで考えていたのだが、斬っても斬っても数が減っていっくような実感は得られず、むしろ増え続けてるような気がしたからだ。一人では到底対処しきれない。そう判断した和美はとりあえず次の試練場を目指しつつ、西生家関係者の増援を期待した。
乃木市立南図書館までの距離はかなりあった。一般的な感覚で言えば、希望総合病院から乃木市立南図書館までは車などの交通手段を使って行くような距離だ。和美は改めて、自転車を借りて来なかった事に後悔した。アニメや映画みたいにそこらに違法駐車されてあるバイクや車を無断拝借出来ればいいが、和美には運転経験も無ければピッキングの技術も無かった。とすれば、やはり移動手段は走り一択となる。
後方からは狙い通り、小早志真理亜の分体の群れがついてきていた。息切れで立ち止まれば、即殺しにかかってくるだろう。
相手は精神体で、浮遊体である。宙を悠々と浮かんでついてくる。走る和美がどこまで逃げれるのか、試しているのだろうか。いや、遊んでいるのだろうか。緑は興味の色、小早志真理亜の分体は和美の限界に興味を持ったのだろう。
やってやろうじゃないか、などと闘志を燃やすほど和美には余裕は無い。時おり足を止めては振り返り、呼吸が整うまで小早志真理亜の分体を斬り払っていた。異様な精神体、と言えど元となるのは小早志真理亜の思考であるからか、動きとしては単調なものが多く、冷静に対処出来れば押し込まれるような相手ではなかった。
厄介なのはその纏う緑の光の挙動が、人の形をしてるその姿からは想像だに出来ない動きをするところであるが、その始点となる小早志真理亜の分体そのものを見ておけば、それも次第に見切れるようになってきた。
そうやって、走っては振り返り対処して、また走り出してを繰り返して、暫く南下していくとそれは起こった。
出来れば住宅街を避けつつ人の少ない道を、と車道はあるものの人通りの少ない場所を選びつつ和美が走っていると、ある地点で突然小早志真理亜の分体が爆ぜた。宙を浮遊して追いかけるその姿が急に文字通り爆散した。先頭を行く分体が爆散したことに異変を感じつつも、そこまで思考能力を保持していないのか、それが和美の仕業だと思ったのか、他の分体は構わず和美への攻撃にと接近してきた。
そして、続けて爆ぜていく。
接近は危険だと判断した後、緑の光を伸ばすのだが、光は赤に遮断されてる。
町名が変わる線引きが何処かは和美にはわからなかったが、どうやら朱雀の護る範囲内に足を踏み入れられたらしく、赤の力が緑の鬼の侵入を拒んでいるかのように見えた。
爆発が燃え広がって、近づく小早志真理亜の分体の群れを燃やし尽くしていく。緑の光が赤い火に焼かれるという奇妙な光景を見せられて、和美は息を飲んだ。




