第百九話 認識のずれ
試練の相手であり説明役として顕現された笠沼正太を斬り払ったことにより、説明されない合否不明の時間が流れてしまった。和美の手の中にあるミニチュア錫杖が緑とも青とも言えるような光り方をしているので、試練はどうやら達成出来た様子だった。
気持ちの落ち着かない和美は、近くにあるベッドに座り一息吐く。和美の呼吸だけが、静かに反響する病室。今一度、病室内をぐるっと見回す。四隅に設置されたベッドの頭を置く部分、その上部にはネームプレートがあるのだが、どのベッドの場所にも名前は記載されていなかった。病室の外にも名前がなかったので当然のことではあるのだが、笠沼正太が現れたベッドの所にも名前がなかったので和美は、また一息吐いた。
時間としては五分ぐらいが経っただろうか。病室には時計が設置されていないので、和美は体感頼りだった。和美の手の中にあるミニチュア錫杖が力を授かり終わったのを示すように、光るのを止めた。玄武の試練の時に比べて随分早いもんだな、と和美は思ったがそれについて誰かが説明してくれるものでもないので首を傾げるしか出来なかった。
力の授かりが終わると、次にミニチュア錫杖は三番目の試練場を指し示す光を放つ。一瞬のフラッシュ。和美の脳裏に映像が焼きつく。
乃木市立南図書館。
脳裏に焼きついた映像に、和美は見覚えがあった。市の中央近辺にある中央図書館に比べれば小規模になるが、南の方にも確かに図書館はある。中学生の時に何度か利用したことがあった。
なぜ図書館が朱雀の場所に?、という疑問が浮かんだが、それを言い出したら玄武が学校である理由とか青龍が病院である理由とか、こじつけぐらいの理由ばかりである。赤は怒りの色だったところからすると、置いてある書物に怒りの要素とかがあるのだろう。
とにかく、次の場所もわかったので、和美は病院を後にすることにした。まずはこの部屋から出なければ。そう思い、病室のドアへと近寄る和美。開けようとスライドドアの取っ手に手をかけた瞬間、和美はドアごとぶっ飛ばされた。
力を授かる試練が終わり、張られていた結界が解かれていた。つまりそういう事だと、のしかかったドアを手で除けて和美は理解して立ち上がる。床に打ちつけた身体、斬られた傷が開き血が溢れるのがわかる。
病室に漂っていたのは、病院の薬の匂いが混じったような独特な匂いであった。そして、壊されたドアの向こう、廊下から漂う匂いは、鼻にこびりつくような強烈な血の匂い。笠沼正太の殺害現場で一度直面した、死臭。
ドアを破壊したのは、小早志真理亜の分体。一人ではなく、和美から見える範囲でも十人はいる。宙に浮かぶ緑色の光を纏った少女が、ひしめくように病室になだれ込んで来る。
もう躊躇っている場合ではない。殺されない為に、ただそれだけに抵抗するというわけでもない。これ以上、殺させない為。小早志真理亜の生み出した分体、本人では無いとしてもそれを行使してるのは本人だ。小早志真理亜が自らの意思で、人を殺したのだ。それが漂う死臭でハッキリとわかった。
和美はなだれ込んで来る小早志真理亜の分体に向かって、光の刀を振りかざした。縦に横にと薙ぎ払っていく。実体を伴っていない光による存在なのか、斬った手応えは手には無かったが、小早志真理亜の分体は悲鳴をあげることなく掻き消えていった。
斬ることで得る感触は気持ちが悪いとしか感じないが、和美は改めて覚悟を決めることにした。数も数えるのがうんざりするほど次々に現れる小早志真理亜の分体の相手をしながら、和美は廊下へと出て更に覚悟を決める必要があると実感する。試練の結界が解除されて、逃げ込んできたであろう誰かの、誰か達の、血が廊下や階段に飛び散っていた。
今まで散々、鬼が現れることで人が死ぬと言われ続けてきたのに、こうしてそれをしっかりと実感するのは初めてだ。笠沼正太に関していえば、彼が殺人鬼だからだと、変換されたからその認識がぶれていた。今和美の目に見えるこの惨状は、そのぶれを許しはしなかった。
小早志真理亜は、鬼である。人を殺す、鬼である。躊躇いは、また別の誰かを殺す事を許す行為だった。




