1ー7. タヌキ様、跳ぶ
昼を過ぎた辺りから、タヌキ様がヒクヒクと可愛い鼻を動かして進んでいく。
居住区を出て、一般官吏のいる表の院へ。
私はその後に付いて行き、エリアスさんはいつもより緊張した面持ちで周囲を警戒している。
「タヌキ様がこんな風に警戒している時は何かが起きるから気を付けて」
「わかりました」
なるほど、これが警戒か。一つ学んだ。
進んだ先でタヌキ様が顔を上げる。
見つめた先にいたのは会う度に馬鹿にしてくる女性官吏だった。
今日は二人とも箱を抱えている。
「うわっ! またタヌキ! もーなんなの気持ち悪い。あっち行って! もーこんなのに敬意とか無理だよ、絶対」
「え……あ、うん」
あからさまに文句を言う女性と曖昧に返事をする女性。
「でも、タヌキ様には失礼のないようにって言われたよ?」
「それがさらに腹が立つのよ! 王宮官吏ってもっと志高いとこなのかと思ってたのにね! なんであたしらが怒られなきゃなんないの! タヌキ如きに! ムカつく」
「ちょっと! いい加減に……?」
文句を言っている女性官吏が抱えている箱から液体が滴っている。ポタリと落ちた地面がジュッと焦げた。
「あなたたち、それっ! ……タヌキ様っ!?」
注意しようとしたら、タヌキ様が二人に向かって走って行った。
普段おっとり走るタヌキ様とは思えない俊敏さで、グッと体を縮めたあと、前足と後ろ足を大きく広げて飛び上がる。壁に前足を突いて跳ね、後ろ足で一人の女性官吏の抱えていた箱を蹴り飛ばした。
「ちょっ、何すんのよっ!」
「タヌキ様っ!」
女性官吏が抗議したが、手から離れ放物線を描いて飛んだ箱が突然爆発した。
走り出していた私は、爆発したことに驚きはしたが、それよりも、タヌキ様のお体が柵の向こう側にあったことの方が問題だった。
走って、手を伸ばす。
なんとかタヌキ様を捉えて引き寄せ胸に抱いた。
あっ、と思った時には体は柵を越え、投げ出されていた。
落ちる、と思いタヌキ様をしっかり抱いて固く目を瞑った。
しかし、力強い腕に引き寄せられ、固いものに包まれる。
「あっぶなっ!」
耳元で聞こえた声に目を開けると、エリアスさんに抱き込まれていた。
「焦ったぁ。タヌキ様もマリーちゃんも平気?」
空色の瞳に心配そうに覗き込まれ、ドッと心臓が音を立てた。
「え? あ、はいっ! ありがとうございます! タヌキ様は」
タヌキ様は腕の中でこちらを見上げていた。
持ち上げて、体全体を確認する。怪我はないようだ。
「怪我はないみたいです。よかった」
「はぁ、肝が冷えたよ。マリーちゃん、結構無茶するね」
「いや、体が勝手に動いちゃって……」
心臓はまだ激しく鳴っている。
この高さから落ちたらただじゃ済まなかったのだから仕方ない。
「あっ、それよりも爆発は?」
箱を持っていた女性は座り込んで泣きじゃくっている。
それはそうだろう。結構大きな爆発だった。あの時、タヌキ様が蹴らなければ、今彼女の両腕は無かっただろうし、場合によっては命を落としていた。
ほっと息を吐いて、タヌキ様を見る。
キョトンとしたまんまるのお目目が見上げてくる。先程の勇ましく俊敏なお姿が嘘のような可愛らしさだ。
「素晴らしいお働きでした、タヌキ様」
タヌキ様に囁くと、
「マリーちゃんもね」
そう言ってエリアスさんが頭を撫でてくれた。
「タヌキ様っ!」
宰相閣下が血相を変えて向こうから走ってくる。
泣きじゃくる女性には目もくれず、タヌキ様に一直線だ。
「タヌキ様、ご無事ですか?」
「怪我もなく、問題ありません」
エリアスさんが答える。
「何があった?」
「あの女性の持っていた箱が爆発しました。タヌキ様のご判断で蹴り飛ばされたので怪我人はおりません」
宰相閣下は頷き、泣きじゃくる女性に声を掛ける。
「お前たちは技術課の新人だったな。誰か、技術課に行ってメルヴィンを呼んできてくれ」
近くにいたものに指示を出し、テキパキと聞き込みをしていく宰相閣下。
タヌキ様を抱きしめたまま、泣きじゃくる女性官吏に近付いた。
「お怪我はありませんか?」
顔を上げた女性官吏にハンカチを差し出す。
女性官吏はハンカチを持った私の手をガシッと握り。
「ごべんなざい! タ、タヌキざまぁ、助けてくれて、ありがとぉーございまじだぁー」
ずみまぜんでじだぁ〜と謝りながら、床に突っ伏して泣いている。
困ってエリアスさんを見上げると、ジト目で女性官吏を見ている。
何だか以前エリアスさんが言っていた通りになった。
とりあえず、ハンカチを握らせてその場を離れた。
程なくして彼女たちの上司である男性がやってきた。
細身で神経質そうに眼鏡を押し上げる仕草をする人だ。
「申し訳ありません。指導は徹底的に行っていたのですが、新人なもので。それに彼女たちは私の話を聞かず──」
なんだか言い訳の多い人だなという印象を受ける。
技術課は、魔道具の整備や点検などを行う部署だ。
王宮中で使われている全ての魔道具を扱っている。かなりの数になるため人員もそれなりに多く、重要な部署だ。
「あ、ここ怪我してるよ」
エリアスさんに言われて振り返る。
指差されたところを見ると、肘から腕の半ばまでを擦りむいていた。
「医務局行こう?」
「ああ、このくらい平気です。昔はこんな怪我ばかりしてましたから。部屋に戻れば救急箱もありますし」
「あー、うん。じゃあ、戻って治そうか」
「? ……はい」
タヌキ様と屋敷に戻る旨伝えるために、宰相閣下に声を掛けると、私の腕を見てふっと表情を緩めた。
「戻ってちゃんと治してもらえ。良くやった」
「え、あっ、……はいっ!」
「うるさい」
「すみません」
褒められたのが嬉しくて、思わず大きな声が出た。




