旅立ち
王都を出る朝。
空は雲ひとつない青空だった。
門の前で一度だけ立ち止まり、ミティは静かに振り返る。
遠くに見える王都の街並み。
十四年間生まれ育ち、そして五年間を過ごした場所。
「……行こう」
小さく呟き、一歩踏み出す。
足元の石畳はやがて土の街道へと変わり、王都の喧騒も少しずつ遠ざかっていく。
風が頬を撫でた。
少しだけ冷たい。
それでも、不思議と嫌な気はしなかった。
子どもの頃から、旅の話が好きだった。
父の仕事で屋敷を訪れる商人たちは、遠い国の話をたくさん聞かせてくれた。
青く澄んだ湖。
夏でも雪が残る山々。
見たこともない花が咲く草原。
港町に並ぶ色鮮やかな市場。
その話を聞くたび、胸が高鳴った。
書庫に籠もっては冒険譚を読み漁り、まだ見ぬ景色を想像していた。
『大きくなったら、冒険者になりたい』
そう話した私に、父は笑って頭を撫でてくれた。
『世界は広いぞ』
『たくさん歩いて、たくさん見てこい』
母は優しく笑いながら言った。
『帰ってきたら、お土産話を聞かせてね』
その約束は、もう叶えることはできない。
それでも私は少しだけ空を見上げた。
「……行ってきます」
返事はない。
けれど、どこかで二人が見守ってくれている気がした。
旅は、思っていたよりもずっと楽しかった。
街道沿いに咲く小さな花、名前も知らない鳥のさえずり。
風に揺れる草原。
自然と笑みがこぼれる。
これが旅なんだ。
幼い頃に憧れていた世界。
ミティは少しだけ胸を躍らせながら、再び歩き始めた。
◇
ミティは街道沿いの小さな町へ立ち寄っていた。
宿屋の食堂は、昼時ということもあり多くの旅人で賑わっている。
ミティは窓際の席で簡単な昼食を食べていた。
ふと、隣の席から陽気な笑い声が聞こえる。
「嬢ちゃん、一人旅かい?」
振り向くと、日に焼けた中年の男性が笑っていた。
背には大きな荷物。
腰には使い込まれた剣。
一目で旅慣れた人物だと分かる。
「はい」
「昨日、王都を出てきました」
男は少し驚いたように目を丸くする。
「へぇ、初めての旅か」
ミティは照れくさそうに笑って頷いた。
「実は、小さい頃から旅に憧れていたんです」
「なるほどな」
男は笑いながらパンをちぎる。
「旅費はどうするんだ?」
「え?」
「宿代に食費。町から町へ移動するなら、それなりに金がかかる」
「……」
「旅人なら冒険者ギルドを覗いてみるといい。依頼をこなせば金になるし、次の町の情報も手に入る」
「冒険者ギルド……ですか?」
「ああ」
「旅人や傭兵が集まる場所だ」
「初心者なら色々教えてもらえることもあるぞ」
ミティの表情が明るくなる。
「そんな場所があるんですね」
「ありがとうございます」
男は照れくさそうに笑った。
「困った時はお互い様さ」
食後、ミティは教えられた場所へ向かった。
町の中心に建つ石造りの建物。
入口には剣と盾の紋章が掲げられている。
「ここが……冒険者ギルド。」
少し緊張しながら扉を開く。
中では多くの冒険者たちが談笑し、掲示板には数え切れないほどの依頼書が並んでいた。
受付へ向かうと、女性職員が穏やかに微笑む。
受付の女性は書類を一枚取り出し、ミティの前へ差し出した。
「こちらにお名前と生年月日、ご出身地をご記入ください」
「はい」
ミティが紙へ手を伸ばす。
すると、受付の女性がふと思い出したように口を開いた。
「それと……識字能力はどのくらいでしょうか?」
「……え?」
思わず顔を上げる。
「識字能力、ですか?」
「はい」
受付の女性は穏やかに頷いた。
「読み書きができるか、どの程度まで可能かを確認しています」
ミティは少しだけ目を瞬かせた。
「問題なく読み書きできます……」
「それでしたら問題ありません」
受付の女性は微笑む。
名前と生年月日を書く。
受付の女性は、ミティが携えている杖を見ると、優しく尋ねた。
「魔法をお使いになるのですか?」
「はい、氷属性です。」
女性は少しだけ驚いたように目を丸くした。
「珍しい。」
「氷属性なのですね。」
「治癒魔法などは?」
「基礎なら少し。」
「訓練や実戦経験などは?」
「実戦経験はないです。」
「家庭教師の先生や王立学院で……」
一瞬だけ言葉を止める。
「……ですが卒業前に退学となりました」
受付の女性はそれ以上は尋ねなかった。
「登録は可能です」
その言葉に、ミティはほっと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます」
登録手続きを終えると、女性は掲示板を指さした。
「初めてでしたら、このあたりの依頼がおすすめですよ」
ミティは掲示板へ近付く。
そこには様々な依頼が貼られていた。
『薬草採取』
『荷物運搬』
『家畜の捜索』
『井戸の清掃』
一枚ずつ依頼書を眺めていく。
依頼の内容だけでなく、受注条件が書かれているものも多かった。
『経験者のみ』
『町の住民のみ』
『冒険者ランクC以上』
「……結構、条件があるんだ」
思っていたよりも、簡単には受けられないらしい。
それでも、掲示板の端に貼られていた一枚の依頼書が目に留まった。
『薬草採取』
報酬は300クート
(これなら私にも……)
そう思った時だった。
「初めて受けられるのでしたら、少しご説明いたしますね」
受付の女性が近付いてくる。
「こちらの薬草採取は町の東にある森で行います」
「比較的安全な場所ですが、稀に魔物が現れることがあります」
ミティは思わず顔を上げた。
「魔物が……?」
「はい」
「そのため、一人で向かわれる方はあまりいらっしゃいません」
「護衛を雇われるか、経験者の方と一緒に向かわれることをおすすめしています」
ミティは依頼書を見つめる。
報酬は300クート
受付の横には、護衛依頼の案内も貼られていた。
半日同行 500クート
ミティは静かに計算する。
(……足りない)
依頼を達成しても、護衛代の方が高い。
受付の女性は困ったように笑った。
「最初は皆さん、町の中のお使いなどから始められますよ」
ミティは小さく頷いた。
「ありがとうございます」
ギルドを出る。
憧れていた旅。
依頼を受けて旅費を稼ぐ。
簡単にできると思っていた。
けれど現実は違った。
旅には知識がいる。
経験がいる。
そして、お金も。
ミティは鞄の紐を握り直した。
(旅って……)
(思っていたより、ずっと難しい)
それでも、その足は止まらなかった。
自然と口元が緩む。
まだ始まったばかりなのだから。




