旅の現実
旅に出て五日。
ミティは財布の中身を数えていた。
宿代。
食事代。
飲み水。
お金は確実に減っていた。
(このままじゃ……)
宿へ泊まるのは、今日でやめよう。
そう決めた。
日が暮れる前。
街道から少し離れた草地で足を止める。
旅人が使った痕跡があった。
(ここなら……)
冒険譚には書いてあった。
冒険者は野営をすることがあると。
だから、自分にもできると思っていた。
(なんだかワクワクする)
荷物を下ろし、枝や葉を集める。
これでいいはず。
火打石も火打金も買ってある。
ミティは石を打ち鳴らした。
カチン
カチン
火花は出ない。
「……あれ?」
もう一度。
カチン
カチン
何度やっても同じだった。
(どうして……)
本には『火打石で火を起こす』そう書いてあった。
でも、やり方までは書いていなかった。
辺りは少しずつ暗くなっていく。
風が吹く。
集めた葉がさらさらと舞った。
ミティは火打石を握り締めたまま、小さく息を吐く。
「……駄目だ」
その夜。
夕食は、昼に買っておいた硬いパンを半分だけ。
温かいスープもない。
温かいお茶もない。
昼のうちに汲んだ水を少し飲み、パンをかじる。
昼間は暖かかった風も、夜になると冷たく感じた。
膝を抱え、毛布へ身体を包む。
空を見上げると、満天の星が広がっていた。
王都では決して見ることはできなかっただろう。
「……きれい」
その美しさを眺めながらも、身体は少しずつ冷えていく。
(旅って……)
(知らないことばかりなんだ)
夜風が静かに吹き抜ける。
眠りにつくまで、まだ長い時間が残っていた。
◇
それから数日。
昼下がりの街道を、青年は一人歩いていた。
依頼を終え、町へ向かっている帰り道だった。
擦り切れ、ところどころに補修跡の残る灰褐色の外套。
その下には、くたびれた生成りのシャツを着ている。
胸元から腰へ交差する革ベルトや、傷の刻まれた革手袋も、長年使い込まれたものだった。
前腕には、金属と革で作られた投槍器が装着されている。
短槍を射出するための特殊な武器だ。
腰にはいくつもの革袋と短いナイフ。その隣には、短槍の入った弾倉ポーチも下がっている。
暗いオリーブグレーのズボンと、足に馴染んだ革靴。
そして背中には――
長大な両手剣。
何度も研ぎ直された刀身には、無数の細かな傷が刻まれていた。
どの装備も徹底的に使い込まれ、徹底的に手入れされている。
その時だった。
街道脇の草むらに、白いものが見えた。
一人の少女だった。
風が吹く。
草の上へ、雪のように白い髪が静かに流れた。
青年は足を止める。
ゆっくりと近付き、その場へしゃがみ込んだ。
少女は淡い灰青色の外套を身につけていた。
長めの裾には、植物を思わせる繊細な刺繍が施されている。
土埃に汚れ、ところどころ泥が跳ねてはいるものの、その生地が上質なものであることは一目で分かった。
外套の下には、生成りのブラウス。
柔らかな生地で仕立てられ、襟元や胸元には細かな刺繍が施されている。
その上から、淡いくすみ緑のベストを重ねていた。
前面には細い紐による編み上げが施され、こちらも丁寧な仕立てだった。
腰には革のベルト。
そこにはいくつかのポーチが備えられている。
脚には灰色の細身のパンツ。
その上から濃い茶色の革靴を履いている。
靴には泥がこびりついていた。
けれど、革そのものはまだ新しい。
長年使い込んだというより、旅に出てから付いた汚れだった。
そして――
右手のすぐそばには、一本の長い杖が落ちていた。
寒冷地に生える古木から作られた杖。
自然な木肌を残した長い杖身には、小枝が絡みつくように組まれている。
その先端には、淡い青白い氷晶の球体。
内部には細かな雪の結晶を思わせる模様が浮かんでいる。
光を受けるたび、それらがかすかに揺れた。
青年は杖へ一瞬だけ視線を向ける。
それから、少女へ目を戻した。
旅装束は土埃で汚れている。
けれど、青年の目はそこで止まった。
汚れてはいる。
それでも、生地そのものは悪くない。
縫い目は丁寧で、仕立てもきちんとしている。
外套も、ブラウスも、ベストも。
冒険者が着るには、少しばかり上等な服だった。
靴も同じだった。
泥に汚れているものの、革はしっかりしている。
安価な旅靴ではない。
杖もそうだった。
魔力を扱うためにきちんと作られた品だ。
それでも、その整った顔立ちは、この街道には不釣り合いなほど目を引いた。
年齢は十代後半くらいだろうか。
見たところ外傷はない。
「……」
肩へそっと手を添える。
「聞こえるか」
返事はない。
首元へ指を当て、脈を確かめる。
(脈は弱いが安定している)
「……生きている」
小さく息を吐く。
次に荷物へ目を向ける。
水袋は空だった。
荷物には食料も残っていない。
青年はしばらく黙って荷物を見つめていた。
服は上等。
靴も悪くない。
持ち物にも粗末なものは少ない。
それなのに、水も食料も尽きている。
旅の装備を揃えることはできても、旅そのものを知らない。
(水、食料なし。脱水か)
その結論に至るまで、時間は掛からなかった。
それでも街道から大きく外れず歩いてきた。
無茶をしたのだろう。
青年は少女へ視線を戻した。
「……仕方ない」
そのまま肩へ腹部を乗せるように担ぎ上げ、片腕で脚を支える。
まるで、負傷者を運ぶことに慣れているような手際だった。
少女はぐったりと身体を預けたまま、何の反応も示さない。
地面には、少女が落とした杖だけが残されている。
青年は一度だけ振り返った。
そして杖を拾い上げると、空いた手に持った。
青年はそのまま歩き始めた。




