誤魔化せないもの
―キャンプ2日目
陽光が差し込むグラウンドに、無機質な電子音が響き続ける。
ハァ……ハァ……
呼吸が荒くなる。肺が焼けるようだ。
体力測定を好む人間なんて、この世にいるのだろうか。
学生時代の持久走やシャトルランと同じく、この業界で恒例のYO-YOテスト(注1)もまた、歓迎される存在ではない。
一定のリズムで鳴る機械音に支配され、20メートルをひたすら往復する。
単調で、逃げ場もない、ただ限界まで追い込まれるだけの時間。
楽しいはずがない。
それでも――ドイツ時代に叩き出した”1840m”という数字は、自分の価値を証明してくれた記録でもある。
嫌いになりきれない理由が、そこにあった。
「ハァッ……クソッ……もう脚が……!」
「慎吾、もうひと踏ん張り。だけど膝に無理させるなよ〜」
坂本コーチの声が飛ぶ。
すでに脱落した選手たちが見守る中、限界は確実に近づいていた。
コンディションは悪くない。むしろ、仕上がっている感覚はある。
それでも――止まる。
言い訳にしたくない現実だ。
「……無理だっ……!」
足が止まった。
「えーと、慎吾は1320mだな」
「うわっ! 慎吾さんさすがっすね!!」
「今まで一度もそこまで走ったことないっすよ……」
周囲から声が上がる中に、異質な声が混じる。
「お前――酷くなったなぁ」
恩師の言葉が刺さる。
1320m――数字としては、今でも十分に優秀だ。
それでも――
確実に落ちている。自分でも、分かっている。
せめて、まだ“戦える数字”を維持していることを救いにするしかない。
呼吸を整えながら顔を上げると、最後の2人が同時に止まった。
「2人とも1640m」
「ハァハァ……自己ベストだけど……慎吾さんのベストにはまだまだ……」
道枝が悔しそうに息を吐く。
その横では、横尾がしたり顔を見せている。
「……余裕で勝ったな。やっぱり、このチームのトップ下に相応しいのは俺なんすよ」
すぐにこちらに鋭い視線を向けてくるあたり、相当意識しているようだ。
俺だって、紅白戦とYO-YOテストで全てが決まるとは思っていない。
草彅監督のサッカーは俺の方が知っている。
その自負だけは、まだ消えていなかった。
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午前のメニューを終え、選手たちが集められる。
「今のメニュー終わったら、一旦監督のところ集合な〜」
「次はどんなメニューかな?」
「YO-YOテストもやった、フィジカルもやった、ボールも触った……ほな次は戦術ちゃうか?」
ざわめく中、草彅が視線を向けてくる。
「慎吾、俺が使う基本フォーメーションは?」
「……一番多かったのは、4-2-3-1です」
「そうだな。戦術は?」
「サイドを有効に使ったスピードある攻撃と、全員で流動する守備です」
「そんなんでもまだ覚えてるじゃねぇか。じゃあ、その戦術を落とし込んでもらうか」
空気が変わる。ここからが、本番だ。
「前線4人と後方6人に分かれてプレーしてもらう。それぞれの連携を深めるように、細かいことは言わないから自分たちで考えてやってみて」
「はい、じゃあ攻撃陣、ビブス着て〜」
ビブスを取りに向かおうとした、その瞬間。
「慎吾、君はボランチでプレーするように」
「……えっ?」
一斉に声が上がる。
「俺、やったことないですよ?」
「――ボランチ」
言葉はそれだけだった。
「……わ、分かりました……」
引き下がるしかない。
横尾の口元が、わずかに歪んで見える。
――これはやられたな。これで去年より成績が上がれば、あいつにとって最高のアピールになる。狙い通りか。
「監督っ!! 昨日の練習での自分は、ボランチへの理解が足りてないってことですか?」
「……まぁ、そんなところ」
どこか煮えきらない返事が返ってきた。
草彅監督は全てを説明するタイプではないし、基本褒めることもしない。
それでも、その鉄仮面の中には親心が隠れていることを知っている。
まだ、自分に求めているものがある。
もっと根本的ななにかが。
それだけは確かだった。
なら――やるしかない。
「よし!! 気合い入れて行こう!!」
ボランチでコンビを組む香取の肩を叩く。
「気合い入ってますね、慎吾さん」
「監督はもっとボランチ理解してほしいみたいだ」
「でも慎吾さん、トップ下のときボランチめっちゃ気遣ってくれますけどね」
「……香取くん。人生で初めてのポジションだ。動き方は逐一指示して修正してくれ。頼む」
「了解です」
「健さんもGKから、大野もCBから指示頼んます」
「おう」
「了解っす」
「俺もSBから見てるっす!!」
「いや、薮は……なんかまぁ大丈夫」
「なんでですか~!!」
――うん、コミュニケーションは問題ないな。
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「おい、パス!! ……ッチ、道枝動けや!!」
「っす……!」
「慎吾、右締めろ!!」
「道枝っ!! 早くパス寄越せ!!」
「慎吾さん、俺がチャージします!!」
「リターン!! 早くしろや!!」
声が飛び交う。思考が追いつかない。
「中井さん、横尾マーク!!」
「…分かった!」
だが――すでに十分なスペース。
「もう遅いわ……そんなレベルかよ。デ・フリース!!」
「オッケー!! ナイスパスデス!!」
横尾からパスを受けた、デ・フリースの鋭い一撃。
右足から放たれたボールが、ゴールネットに突き刺ささった。
「ナイスゴール。……慎吾、そんなんじゃリーグ戦でも横尾がトップ下だぞ〜」
何も言い返せない。ただ、立ち尽くすのみだ。
「……わりぃ、みんな」
「初めてなんでしょうがないっすよ」
香取の声が救いになる。
「ただ、横尾がボール持ったときは――」
細かい指示が飛ぶ。理解はできる。
だが、身体がついてこない。
ポジションそのものが――俺を拒絶しているようだった。
結果は変わらない。
抜かれ、崩され、失点を重ねる。
「お前さんたち、今日はもう上がりなさい」
そして、終わりの合図。
その頃には、膝にじんわりとした痛みが残る。
――やっぱり負担は大きい。
「慎吾、これからしばらくはボランチ組と一緒のメニューをこなしなさい」
「……はい」
認めざるを得ない。今日の出来でボランチを理解したとは、到底言えない。
――トップ下に、戻るためだ。
そう言い聞かせる。
「慎吾さん、お疲れ様です!!」
「道枝、お疲れ様。ボール貰ってから焦る場面が多かったから落ち着いてプレーするようにな。って俺が言えるもんじゃないけど……」
「そんなことないですよ!! 慎吾さんのアドバイスはいつでも参考になりますから!!」
変わらない笑顔に、少しだけ救われる。
だがその笑顔は、横尾の餌でもあった。
「おい道枝、ボール持ったときもたつくんじゃねぇよ。もっと早くパス出せ!!」
「うす、すいません……」
「まあまあ落ち着けって」
「せやけど、あのボールの受け方上手かったで」
「そうそう、良かったぞ」
「……ありがとうございます」
「…ッチ 足を引っ張るんじゃねぇよ」
横尾は舌打ちだけ残して、その場を離れていった。
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―その夜
急な雷雨で激しく揺れる木々を、ただただ眺めた。
日中での出来事を整理したいのに、雨音は邪魔をしてくる。
今日、自分はトップ下としてプレーできなかった。
それどころか――あいつのプレーを何も止められなかった。
横尾のプレーは、完成されていた。ゲームメイク力も高いし、フィニッシャーとしての能力も高い。鹿島ではどんなフォーメーションでも出続けてたから、ポリバレント力も高いのだろう。
国内では、間違いなくトップクラス。
それでも――
もっと上手い世界を知っている。
あの場所で戦っていた記憶が、消えていない。
だからこそ。
そこに届かない今の自分が、何よりも重い。
――そろそろ認めないといけない、自分の現在地に。
――気付かなかった。
――気付きたくなかった。
――気付かないフリをしていた。
(注1)YO-YOテスト・・・サッカーでは定番の、心肺持久力や疲労からの回復力を測る体力テスト




