一歩一歩、踏みしめてきた
―ASリーグ最終節 鹿島ディディアーズ戦
―カシマフットボールパーク
優勝を懸けた、運命の一戦だった。
張り詰めた空気の中、草彅が静かに口を開く。
「お前さんたち、分かっていると思うが今日がシーズン最後の試合なんだ。明日なんてないから」
その言葉だけで、全員の背筋が伸びる。
最終節を残して、
鹿島ディディアーズ、
モトナリーニョ広島、
名古屋モトーレの3チームが同じ勝点という歴史的大接戦。
そんなシーズンの最終節は、幸か不幸か鹿島との直接対決。
つまり――負けたら終わりの6ポイントマッチ(注1)である。
さらに、得失点差が1番少ない名古屋にとって、勝点3は優勝への必須条件だった。
「まぁ、ここまで来れたのも――慎吾や吾郎が、言わなくても自分の役割を理解してたからな」
長野は小さく頭を下げる。
「そんな、監督に求められたことをしたまでです」
スタメンこそ多くはない。
それでも――どこでもできる。
誰よりも穴を埋められる。
長野吾郎は、確実にこのチームに必要な存在になっていた。
「監督を信じたから、ここまで来れました」
中井も続く。
トップ下――今や名古屋の攻撃の中心。
2年目の若手だった自分は、もうそこにはいなかった。
「お前さんたちが自分で考えて、自分で答えを見つけたんだろ。細かいことなんか、何も教えちゃおらん」
「その答えを見つける環境を作ったのは監督ですよ」
中井のそれには答えない。変わらず仏頂面のままだ。
「だが、まだ終わってない。今日勝って、気持ちよく名古屋に帰りたいなら――分かってるよな?」
この場に居る全員が、その言葉の意味を意識する。
「今日勝てば、俺たちは優勝です。これまでやってきたことを信じて、ピッチで全力を出しましょう」
隣では、森がストレッチをしている。
現役の日本代表ゴールキーパーであり――最後の砦。
だが森にとっても、ここまでひりついた試合は初めてだった。
冷静だが、少し声が上ずる。
「慎吾、落ち着け。心配すんな、俺がゴールを守るから。いつも通り頼むぞ」
長野も深く息を吐く。
「ここまで来たんだ。やるしかないよな。あの鹿島相手に、アウェイで勝つのは簡単じゃない」
確かにそうだ。
圧倒的な戦力。
代表選手だらけ。
誰が見ても、鹿島は強い。
それでも、前向きに笑う。
前向きに笑える。
「……楽しみましょう。 今の、この時を」
――中井は、初スタメンの時、監督に言われた言葉を今でも覚えていた。
“楽しめ”
ようやく草彅は、腕組みをやめた。
「慎吾。自分を信じて、仲間を信じて、あと全員で目標を目指して前進するだけだ。難しいことは何もないだろう」
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「さぁ!! 超満員となりましたカシマフットボールパーク!!!」
大歓声。
深い赤色に染まるスタンド。
圧倒的ホームのディディアーズ。
「もつれにもつれた今シーズンのASリーグも今日が最終節となりますが……なんと、この両チーム及び広島の勝ち点が並んでいます!!」
声が熱を帯びる。
「つまり!! 今日が優勝決定戦です!!!」
鹿島には、早川・山本・津田・西澤・濱家・山内。
現役日本代表が並ぶ豪華布陣。
――まさに王者。
「対する名古屋も、日本代表GK森がいますが――何より今年の躍進は中井慎吾のおかげでしょう!!!」
プロ2年目でありながら、34試合、6ゴール7アシスト。
「名古屋の中心として、一気に花開きました!!」
「中井~!!! 頼むぞ~!!」
「中井!! 俺たちの誇りだ!!」
目を閉じて――深呼吸。
聞こえるのは、心臓の鼓動だけ。
サポーターのためにも。
自分のためにも。
――後悔のない試合にしよう。
「前半、キックオフ!!」
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”BOOOO!!! BOOOO!!!”
名古屋がボールを持つたびに、凄まじいブーイング。
名古屋サポーターも大勢来ているのだが、圧倒的な圧が中井たちを囲む。
――完全なアウェイ。でも……関係ない。
プレッシャーを受けながらも冷静にボールをさばき、テンポを作り、試合を整える。
――さすが鹿島。なかなか崩せないな……
そのまま前半終了。
0-0
「互いに持ち味を出しましたが、牙城を崩せず、スコアレスのまま後半を迎えます!!」
ロッカールームへ戻ると、すぐ向こうの試合が気になる。
「コーチ、広島の試合は?」
「前半に1点。広島が1-0で勝ってる」
少し、今までの努力が無駄だと感じる。
それでも、空気が重くなる前に、いつも通りの指揮官が口を開く。
「いや、大丈夫だろ。まだ試合は45分もあるんだから」
優勝が懸かった最終盤とは思えないほど冷静に――
「それより、この試合に集中しなさい」
――その通りだ。
――目の前の試合を勝たなきゃ意味がない。
「ここで後悔したら、やり返すのに最短でも1年かかる。もしかしたら、やり返すチャンスがない人もいるかもしれないな」
全員が黙る。
「だからって、思い出作りしろとは言わない。――焦るんじゃないよ」
――そうだ。来年も、このメンバーでやれる保証なんてない。
――このチームで戦えるのは、今日が最後かもしれない……
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試合が動いたのは、後半始まって間もなくだった。
「おっと!! 名古屋の選手が倒れている!!」
背番号7――平子。
「平子さん!! 大丈夫ですか!!」
駆け寄る中井は、見た瞬間に理解する。
――筋だ。この試合はもう走れない……
「慎吾……わりぃ。後は、お前ら二人に頼んだ……」
ベンチに対して送る、大きなバツマーク。
そんな状況でも、指揮官は一切慌てない。
「吾郎。やっと、お前さんの出番だ」
その言葉だけ。
「……言わなくても分かるよな?」
「身体は、もう温まってます」
選手交代。
長野吾郎がそのまま右サイドへ。
所謂、スクランブルでの出場。
でも、迷いはなかった。
「吾郎!! 来たか!」
「ふたりで一緒に崩すぞ!」
「オッケー! 監督に、シャーレを捧げよう!」
そこから――流れが変わった。
中井と長野。2人の呼吸が、完全に合い始める。
「名古屋の攻撃が活発になってきた!! 中井と長野のコンビネーションが素晴らしいですね!!」
「この大舞台で……2人とも、笑ってますね!!」
――そう、楽しんでいた。
――この瞬間を。
――この試合を。
――この舞台を。
「吾郎、もう少し右に広がれるか?」
「守備のリスクはあるけど……分かった。その分、頼むぞ!」
広がった所に生まれる、求めていたスペース。
――ここだ。
「中井が右サイドから仕掛ける!!」
「交わして――フリーの長野へ!!!」
「行けるっ!!」
長野が振り抜いたシュートは、キーパーに弾かれた。
「まだ転がっている!!」
その瞬間、誰よりも早く反応したのは――中井慎吾。
――後悔したくない。
――この最高のチームのために。
――最後は、執念で押し込むんだ!!
――飛び込めっ!!!
狂喜乱舞。
「中井が押し込んだぁぁぁぁ!!! 名古屋、先制!!!!」
「監督!! やりました!!」
叫ぶ中井。
草彅は当然のように静かだ。
「そんなもん――お前さんなら当たり前だろ」
そして、目はもう次のプレーを見ている。
「……たった1点だ。守り抜けるよな?」
中井は力強く頷いた。
残り20分。
――全員で守る。
――全員で走る。
――全員で戦う。
迷っている者は――そこにはいなかった。
そして――主審の笛。
「試合終了ぉぉぉぉ!!! 名古屋、勝利!!!」
その場に倒れ込む。
――やった。
――やれることは、やった。
駆け寄る長野。
「慎吾!! ナイスゴール!!」
森も笑う。
「よく押し込んだな~」
「吾郎が決めてくれれば問題なかったんだよ」
そう返しながら、全員の顔が自然と緩む。
でも、まだ分からない。
優勝は――広島次第。
「優勝できなくても、胸張って帰ろう」
やりきったからこその、和やかな空気感。
そんなイレブンを迎えるのは、手をポケットに入れたままの監督と、激しく暴れるベンチメンバーとコーチ陣。
「お前さんたち、やりましたよ。おめでとう」
――え?
「監督……向こうの試合、何があったんですか?」
「広島が逆転されて、2-1で試合終了」
――つまり。
その時、初めて心からの笑顔を見せた。
「えぇ、お前さんたちが優勝!!」
「よっしゃぁぁぁぁぁ!!!!」
歓喜が爆発した。
抱き合う、叫ぶ、泣く、笑う。
鹿島の選手たちも、鹿島のサポーターも、拍手をくれた。
「ナイスゲーム!!」
「おめでとう!!」
「来年は負けないからな!!」
シーズン前、本当に俺で大丈夫なのか。
何度も思った。
――でも、本当に、本当に、優勝した。
「慎吾。やっぱり、私の目に狂いはなかっただろ?」
指揮官は、またいつものように感情を隠しはじめた。
「草彅監督……本当に、ありがとうございました!!」
心から出た――感謝。
最高の出会いだと、確信できるだけの日々を送れたからこその言葉だった。
「慎吾はいつも、戦場の最前線に駆けつける、”王様”のようだった」
「……そんなに戦乱の世でしたか?」
思わず苦笑する。
「えぇ、トップ下だけど右に左に、ボールのあるところ全部に顔を出していく――大したもんだ」
「じゃあ俺はなんですか?」
割って入る長野。
――少し考える。
「そうだな……お前さんは特定のタスクがあるわけじゃないが欠かせない存在だ……”遊撃部隊”とかでいいんじゃないか?」
「いいですね!」
長野は本気で嬉しそうだった。
「他にもあります?」
「こういうのは、慎吾の方が思いつくだろ?」
「俺ですか?」
少し頭を回転させる。
「……”宰相”とか、”官僚”とかですかね?」
その言葉に、またニヤリと笑う。
「ピッチの王様になったっていうのに、随分と平和な世の中を考えてるんだな」
――いや、監督がいなければ、そもそも王様になってないんですよ……
「慎吾、来季は乱世を治めた者として戦うことになる」
優勝したからこそ――次の闘いが始まる。
もうすでに草彅は、先を見ていた。
「これから、お前さんの首を取りに来る。絶対に乗り越えてもらわなきゃ困るからな」
中井はその言葉に、自信を持って頷いた。
(注1)6ポイントマッチ・・・(注1)6ポイントマッチ・・・順位や勝ち点が近い直接のライバル同士が対戦する試合のこと。実質6点分の勝点差が生まれる重要なゲームのため、こう呼ばれる。




