答えの見つからない戸惑い
―3月上旬
ASリーグ第2節―渋谷ビンクロス戦
敵地・渋谷スタジアム
夢から現実に引き戻された開幕戦から一週間。
気持ちの面で引きずっているものはいない。
それでも、完全に断ち切るためには、今日の勝利が欠かせない状況だった。
「今日は頼むぞ。 ところで……さっきの取材、大丈夫だったか?」
試合前、盛山に捕まった中井と道枝を心配するのは、さっきまでミーティングを行っていた長野。
「大丈夫だと思うか? 相当イヤミ言われたぞ、やたら渋谷に詳しかったし」
”優勝宣言しておきながら開幕戦惨敗で大丈夫ですか?”
”第2節は、いまや格上で優勝候補の渋谷ビンクロスですが大丈夫ですか?”
名古屋モトーレの番記者でありながら、渋谷ビンクロスの熱狂的ファン。
監督が取材を断りたくなるほどの男の取材が、気持ちのいいものになるわけがなかった。
「道枝、あいつの言うことなど真に受けるなよ?」
「……うす」
今日の試合で、道枝は初スタメンの予定。
だからこそ、本当は盛山に会わせたくなかった長野は、フォローを欠かさない。
もちろん、中井も同じ気持ちだった。
「プロ2試合目で初スタメンってわけだけど、気負わなくていいぞ。相手がビンクロスだとか、そんなのは関係ない」
道枝は、小さく頷いた。
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―ロッカールーム
試合前の張り詰めている空気の中、草彅が前に立つ。
「今日の相手、渋谷ビンクロスは昨年5位、お前さんたちから見たら、上位チームになるな。開幕戦と同様、簡単には勝たしてくれないのだから、勝ち急ぎすぎないように。優勝するために、まだまだ負けられるのだから」
長年の付き合いである中井でさえ、草彅の考えてることはつかめていない。
それでも、先を見据えた言葉ということはだけは理解している。
「負けても構わないから、やりたいことやりなさい。それと、道枝君が初スタメンになるわけだから、先輩として、やるべきことを意識するように」
「道枝君は――サッカーを楽しむように」
直後に道枝が勢いよく返事をした。
「はいっ! がんばりまるするっ!」
アハハハハハ――
道枝の初々しい噛み方に、少しだけ空気が軽くなった。
そうだ、俺の初スタメンの時も草彅監督は――“楽しむように”。
あの時は――ボロボロだったっけな。
「まぁ、使えればなんだっていい。前みたいな不甲斐ないプレーは許さないからな」
ピッチに向かう前、空気を壊すように横尾が言葉を吐いた。
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―試合開始
「道枝、早く走れや!」
「ヘイ! ミチ! プリーズ!」
「おいお前ら! 今のカウンター危なかったぞ!」
「中井さん、落ち着かせて!」
「みんな落ち着いて。中盤で一旦キープするぞ!」
「スペースに走れよ……ったく、なんでこいつスタメンなんだよ……」
「みんな、踏ん張ろう! なんとか無失点に抑えるんだ!」
試合は、誰が見ても分かるくらい一方的だった。
序盤から相手にボールを持たれると、一方的にチャンスを作られ何度もシュートを打たれてしまう。
たとえボールを持っていても、その大半は道枝と横尾が孤立することによるボールロスト。
それでも、名古屋モトーレの守備陣が身体を張ってゴールを守り、前半を終える。
0-0
内容を考えれば、奇跡みたいな数字だった。
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「おい、何もかもチグハグだわ」
苛立ちを隠せない横尾。
無失点で、懸命なチームを称えるのは中井だが、その怒りの矛先も――また中井だ。
「ボランチが不安定だから何もかも出来ねぇんすよ。もうトップ下は、俺のポジションなんで」
「……すまない」
それしか言えなかった。
さらに横尾の苛立ちは続く。
相手に圧倒されても、選手交代はおろか戦術変更の動きが無い。
草彅監督は、まだチームに必要な経験が足りてないと感じている。
「ボール来ねぇと攻撃出来ねぇんだよ! あいつを超えるには、まだ足りねぇんだよ……」
全員、真剣だ。
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―後半開始
渋谷ビンクロスペースのゲームは後半になっても変わらず、防戦一方の名古屋モトーレ。
「くっそ、あの助っ人トリオ、どうにかなんねぇのかよ……」
名古屋モトーレの守備陣を翻弄していたのは――ディ・グラッシ、カンポス、グロック、助っ人外国人3名による攻撃陣。
リーグでも、トップクラスの破壊力を持つ渋谷攻撃陣に対して、ここまで無失点に抑えていた名古屋守備陣――上出来と言ってよかった。
きつい。
ハァ……ハァ……
息が苦しい。
防戦一方で体力が削られる。
これ、本当にボランチとして機能できてるのか……?
ラッキーで防げてるだけだ……
そう思った、矢先。
シュートブロックしたボールが目の前に、転がってきた――カウンターのチャンス。
迷わず、前へドリブルで持ち上がる。
左前にはフリーの道枝。
「……くそがっ!! やめろっ!! 奴らが来てる!!」
横尾の叫び。
だが残念ながら、その声は歓声にかき消された。
中井から放たれたボールは、無情にも届く前に刈り取られる。
――やらかした。
カウンターからのカウンター。
バランスを崩した名古屋守備陣に、渋谷攻撃陣を防ぐ術はなかった。
痛恨の1失点。
積み上げてきた75分が、一瞬で崩れ去る。
あれだけ耐えて、走って、身体を張って。
ようやく掴みかけていた勝ち点が、指の隙間からこぼれ落ちていった。
0-1
開幕2連敗。
スタンドから聞こえてくるのは、怒号ではなくどこか悔しさを押し殺した声。
責められた方が――まだ楽だった。
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ロッカールームを支配していたのは、重苦しい空気。
誰もが汗だくのまま、言葉を失っている。
その沈黙を破ったのは、やはり横尾だった。
「なんで道枝なんかがスタメンなんだよ!!」
テーピングを投げ捨てると同時に、鋭い声が部屋に響く。
「ユース上がりの1年目なんだろ? そんなん、よっぽどのスーパールーキーじゃなきゃ1部の試合なんて出れないだろ普通。それなのにボールロストも多いし、攻撃の起点にもならねぇ」
「……ごめんなさい」
優勝を目指して始まった今シーズン。
チームの完成度を疑問視する横尾だが、草彅はその質問に動じない。
「問題ありません。勝てるチームにすることが私の仕事ですから。1試合や2試合で、バタバタしなさんな」
だが、横尾は食い下がる。
「もうインターカップまで時間がねぇんだよ!! こんな弱いチーム、ハートレー監督が注目するわけねぇだろ!!」
その言葉には、焦りが滲んでいた。
ただの傲慢じゃない。
人生を賭けている人間の――焦燥だった。
「……ごめん。でも、だからこそ一緒に頑張ろうよ」
喉が苦しい。
自分が一番結果を出せていない。
それでも――言わなきゃいけない。
「俺は、お前に日本代表になってほしいし、道枝にも、名古屋を背負うような選手になってほしいから……」
鼻を鳴らす横尾と俯いたままの後輩に、それだけはちゃんと伝えたかった。
草彅は、そんな中井をまだ何かを求めるように黙っている。
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盛山から取材依頼を受ける。
チームを代表して、中井が対応する。
「中井選手、お疲れのところ申し訳ないです。名古屋モトーレというチームは私からの取材が嫌いなようですが……取材しても大丈夫ですか?」
一瞬だけため息を飲み込み、呼吸を整えた。
「もちろんです、どうぞ」
最初は、無難な質問。
数回答えたのち、盛山は踏み込んできた。
「しかし、中井選手のパフォーマンスも以前ほどではないとの声もありますが?」
――容赦ないな、こいつ。
「キャプテンとしての責任を重く受け止めています。だからこそ、今日の敗戦を次に繋げるために何ができるかを考えていきたいです」
「サポーターの皆さんへ一言ありますか?」
「わざわざ東京まで来てくれたサポーターの前で、勝ち点を取ることができず申し訳ないです。次こそは、サポーターを喜ばせたいです」
インタビューが終わり、嬉しそうな盛山の背中。
その背中に怒りを覚えるが、深く息を吐くしかなかった。
彼の頭の中を巡るのは、次の試合のこと。
このチームをどう引っ張るのかということ。
そして自分は、どう戦うべきなのかということ。
答えは――まだ見つかっていない。




