ここから始まる新しい歴史
目を覚ました瞬間、中井はしばらく天井を見つめていた。
静かな朝だ。
今日から、新しいシーズンが始まる。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、柔らかく部屋を照らす。
ベッドの横に置かれた目覚まし時計を見ると、朝の7時。
――よく眠れたな。変な夢も見なかった。
それだけで、気持ちは少し軽い。
その安心感を胸に、ゆっくりと身体を起こす。
階段を下りる足音さえ、今日は少し違って聞こえた。
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リビングには、すでに朝食の準備が整っていた。
キッチンでは、美帆が忙しそうに動いている。
その後ろ姿を見るだけで、愛おしい。
振り返った美帆が、いつもの笑顔を向ける。
「おはよう、慎ちゃん。開幕戦、気合い入れていこうね♪」
柔らかい声に自然と笑ってしまう。
子供たちはまだ寝ている様だ。
「今年も3人で応援に行くからね♪」
その言葉が、何より嬉しかった。
そして直後に、茉優のバタバタした足音がどんどん近づいていく――朝から全力だ。
「パパ、今日は勝つよね?」
期待しかない、真っすぐな目。
迷わずうなずくしかない。
「パパ、だっこ」
まだ眠そうな大吾も起きてきた。
心が温かくなる。
「みんな〜! ご飯できたよ〜」
美帆の声に、全員がテーブルへ向かう。
温かい匂いが、部屋いっぱいに広がる。
夫のために資格を取った美帆の朝食は、栄養バランスが整えられており、味も申し分ない。
何より、愛が溢れていた。
――家族といるって、幸せだな。
「みんな、大好きだぞ〜」
あまりに自然に、口から漏れる。
その瞬間――3方向から抱きしめられた。
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開幕戦の舞台は、本拠地・名古屋スタジアム。
チケットは完売、5万人の大観衆。
ロッカールームにいても、その熱は伝わってくる。
「名古屋!! 名古屋!! 名古屋!!」
スタンドから響く大合唱は壁を越えて、身体の芯まで震わせる。
「うわ〜サポーターの声、ここまで聞こえてきますね。この声援を背にして戦うのか…」
道枝が目を丸くしていたので、プロの世界に怖気づいたのかと思ったが、ワクワクしているという。
その返事に、意外と強心臓であると認識を改めた。
「道枝、お前も出る可能性あるんだから、身体は冷やすなよ〜」
中井と横尾はスタメン、道枝はベンチスタート。
「まだまだ諦めてないですけど……俺じゃこの空気耐えれないかもっす。開幕リザーブでホッとしてる俺もいるっす……」
隣でビビっているのは猪狩。
今年、2部への育成型期限付き移籍から戻ってきた23歳だ。
道枝と同じく名古屋ユース出身で、初めてトップチームで本格的にベンチ入り。
そして――実質初めてとなる、憧れのトップチームでの活動。
中井にとってこの23歳の反応は、むしろ自然だと感じた。
だからこそ、開幕戦で自分をスタメン起用した理由も、ある程度理解している。
――ボランチとしての安定感はあいつの方がある……
草彅が前に立ち、空気が締まる。
「今日は、サポーターたちが待ちに待った開幕戦です。今更、君たちに何も言うことはありません」
静かだが、ちゃんと届く声だ。
「勝っても負けても、38試合のうちの1試合だから。まぁ今日の試合で全てが決まるとは思わないように」
”優勝”を狙うリーグ戦が始まると言うのに、落ち着いたままでいる指揮官は全世界でも少ない。
「慎吾。キャプテンとして、一言もらえないか?」
長野が肩に手をかけて喋ってくる。
だから、その手を頼りに立ち上がり、全員の顔を見た。
「……みんな、ついにリーグ開幕だ。道枝、鹿島とうちの去年の順位は?」
「え~と確か鹿島は去年2位で、うちは15位です」
中井は頷く。
昨シーズン、激しい優勝争いを演じた鹿島と、残留争いに必死だった名古屋。
誰もが分かっている現実をチームメイトに再認識させる。
「だけどそんなのは、全く関係ない!!」
声に力を込めた。
全員の目が上がったことを確認する。
「今年は、俺たちが主役になろう。全員が全力で、チームのために動いて――輝く星を、掴み取ろう!! 行くぞっ!!!」
「おうっ!!!!」
気持ちのこもった返事――チームがひとつになった瞬間だ。
だが草彅は、その熱とは対照的に、どこか静かに見ていた。
――キャプテンとして柱を任せている。同時に――チーム最大の不安材料でもある。
まだまだ苦しむだろう。でも、それでいい。
ウンと苦しみなさい――今の君には、それが必要なんだから。
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選手入場口に、両チームのスタメンが整列する。
スタジアム全体が、開幕戦の熱に包まれていた中で、歩いてくる亀梨。
その目的は、恩返し弾を狙う横尾と日本代表の先輩である中井への挨拶だ。
「中井さん!! 今シーズンもよろしくお願いします!」
中井も自然と笑う。
「中井さんと横尾さんの攻撃、防げるかな〜」
「現役日本代表のセンターバックが何言ってんだよ〜!」
冗談っぽく言う亀梨に、中井が笑い返す。
――ッチ
世渡り上手な亀梨のお世辞が、横尾の心を逆なでする。
口から出たのは――大きな舌打ちだけ。
「フェアプレイでいきましょう!」
「おう!」
その瞬間、スタジアムのBGMが大きく鳴り響いた。
ヒロミが煽ることで、会場の熱が一段階上がる。
「さぁ皆さん!! お待たせしました!! 新シーズンの開幕です!!」
大きく揺れるスタジアム。
「開幕戦は、リーグ創設時と同じ開幕カード。それも、敵地で惨敗した因縁の相手です!!」
歓声、期待、熱狂、全部が一気に押し寄せる。
「しかし!! 心配はご無用!! リーグ優勝の立役者――草彅茂監督が、9年ぶりに帰ってきました!」
「今年の主役は俺たちだ!! さぁ行こうぜ、名古屋!!」
その言葉に、スタンドが爆発する。
――やっぱりヒロミさん、煽るの日本一上手いな。
「選手入場です!!!」
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ゴール裏では、土岡が腕を組みながらピッチを見つめていた。
――いよいよ開幕か……中井、頼むぞ。
そしてスタンドに振り返る。
「お前ら!! 気合い入れていくぞ!!」
「おう!!!!」
そして始まる、名古屋モトーレ名物チャント――“旋風”。
「名古屋〜 共に〜旋風巻き起こそう〜 その気流に乗って、前へ進もう〜」
ゴール裏だけではない。
メインスタンドも、バックスタンドも。
サイドスタンドのサポーターまでもが、自然と声を重ねていく。
誰もが歌える。
誰もが、このクラブの一員になれる。
それが――“旋風”。
5万人の“祈り”が、スタジアムを震わせる。
この圧倒的な一体感こそ、名古屋モトーレのサポーターが、自らを“ファミリー”と呼ぶ理由だった。
中井は”12番目の選手たち”を見つめる。
深く息を吐く。
呼吸を整える。
――逃げるな。
――向き合え。
「1stハーフ――キックオフ!!」




