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第40話 侍従長ザリ・クランスカ

22.


 夜更けが近くなった刻限、ようやく侍従長ザリ・クランスカとの会合が終わり、シャナラは居室へ戻った。

 今夜は国王主催の宴が夜通し開かれているため、後宮には人が少ない。王からの「渡り」の要請もなく、ラガルドの来訪もない。

 周囲に怪しまれず、侍従長と話をする機会は今日をおいてはなかった。

 侍従長も同じ考えだったとみえ、会合の要請に二つ返事で応じた。


 ※※※


 侍従長のザリ・クランスカは七十を過ぎた小柄な老人だ。普段は影のようにひっそりとしている。

 慣れていない者は、彼が側にいてもしばらく気付かない。

 そう言われるくらい、自らの気配をその場の空気に密やかに溶け込ませることが出来る。

 半世紀に渡って宮廷の影の支配者として生きた男。

 そのような本性は、ザリの外見からは一切伺えない。田舎の好好爺のような穏やかな表情を崩さず、聞いていると思わず眠くなるような柔らかな声で話す。

 ザリの本体はここではない別の場所におり、現世で動いているのは「影」に過ぎない。

 ザリと会うたびに、生まれ育った東方の地に伝わる、魂と肉体を分離する呪術の話が思い浮かび、全身が冷える心地がする。

 それは天と地、人の世のことわりから外れたほの昏い世界の話だ。


 ※※※


「我が孫レイとこちらの侍女どのとの婚姻を認めていただき、御礼を申し上げます」


 シャナラの前でザリは頭を下げる。

 穏やかな表情の裏で何を考えているのか。

 いくら観察しても、伺うことは出来ない。

 相対して座ることを許すと、間延びした声で礼を言い、ゆったりとした仕草で椅子に腰掛けた。


「婚姻の申し出はクランスカ家の家長であるそなたからの指示ではなく、レイどの自身の判断であったとはな。意外だった」


 世間話の体を装おった言葉に、ザリは不自然な沈黙を挟んだあと、特に語調を変えることなく答える。


「これから先のことを色々と考えているのでしょう。クランスカ家の人間は、()()一人というわけではありませんから」


 柔らかな口調であるのに、何故か首筋に冷たいものを当てられているかのような感覚におちいる。

 ザリは、くらい色合いの紫の瞳をシャナラへ向けた。


「我が孫と侍女どのとの婚約において、恐れ多くも寵妃さまご自身に代親だいおやとして立っていただけると伺いました」


 ありがたいことでございます。

 それが特に形式的な礼であることを隠そうともしないままザリは頭を下げ、言葉を続ける。


「しかし……いかに気に入られているとはいえ、一介の侍女をそのように厚遇されるとは。かの侍女に対して、何か()()()()()()()がおありなのでしょうか」


 強烈な当てこすりに、心の中で怒りの炎が燃え上がる。感情のままに声を放ちそうになるのを、シャナラはすんでのところで自制した。

 相手はこちらの神経を逆撫ですることで、情報を引き出そうとしているのだ。

 怒りを抑え、冷たい口調でザリの問いに答える。


「もし私とルルタとの間に、そなたの孫との婚姻に何か差し障りがあるような関係がある、それが私が代親に立つ理由だと考えているなら、そのような事実は一切ない。そう明言しておく。私がルルタの婚姻に様々なはからいをするのは、彼女が私に与えてくれた献身に対する感謝の証としてだ」

「寵妃さまがかの侍女どのを気に入られていた理由は、ただ()()()()()大変慰められたから、ということですかな」

「邪推するな」


 どれほど意思の力で鎮めようとしても、言葉が怒りで震えるのがわかる。

 それが相手の手であることは百も承知していても、燃え上がる炎のような怒りを抑えることができなくなっていた。


「ルルタは何も知らない。何も知らず、ただ一生懸命私のことを考え、誠心誠意尽くしてくれただけだ。そなたを今日ここに呼び出したのも、ルルタには何ひとつ負い目となるようなことはなく、人柄も人品もクランスカ家の一員になるのに何ら差し障りがないことを、私の口から保証するためだ」


 怒りに震えながらも切実な響きを持つシャナラの言葉に、ザリは特に感銘を受けた様子もなく黙礼をする。

 それからゆっくりとした口調で付け加えた。


「寵妃さまの我が家へのご配慮は、ありがたく思っております。しかしわたくしどもといたしましては、侍女どのがクランスカ家に輿入れした後も、引き続きお側付きの侍女として仕えさせたい。こう思っております。我が孫レイも『元侍女』でなく、『国王の寵妃の一番の側近』を妻とすることを望んでおりますゆえ」


 シャナラは顔を背けた。


「それは、そなたの孫が私のことを知らないからだろう。知れば……」

「寵妃さま」


 苦悩が揺れるシャナラの言葉を、ザリは無機質な声で遮る。


「我が孫が貴方さまのご事情を知れば、むしろ妻が貴方さまの一の侍女であり続けることを今以上に強く望むでしょう。異国の地で寂しい暮らしをしておられる貴方さまの心身を自分の妻がお慰めすることができる。そのことをこの上ない名誉と考えるはずです」

「馬鹿な……!」


 シャナラは思わず吐き捨てる。


「本気で言っているのか。自分の孫が、権力のために妻を差し出すなどと……」


 嫌悪に染まった視線を向けられて、ザリは瞳を細めた。


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