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第41話 何も知らなかった。

「ご不快に思われたのであればお許しを。寵妃さまには、今後はラガルド将軍と同じ程度に、我がクランスカ家と懇意こんいにしていただけるものと思っておりました。そのためつい、身内に接するがごときうちわった物の申しようをいたしてしまいました。ご容赦いただきますよう」


 ザリの口調は淡々としており、言葉とは裏腹に恐れなどつゆほども感じていないことは明白だった。

 シャナラは顔を青ざめさせ、血の気の引いた手でひじ掛けを強く握りしめる。

 ザリが、レイと結婚した後も引き続きルルタにシャナラの側仕えをさせたいのは、それがシャナラを自分の傀儡かいらいにするために最も効果的な方法だとわかっているからだ。


「ルルタは私の側付きから外す。これはもう決めたことだ。ただ、ルルタは私の下から縁付いた者であることは忘れないでもらいたい。クランスカ家が私の縁者を大切に扱ううちは、私もそなたたちを身内と考え、配慮を怠らないようにする」

「もったいなきお言葉。ありがたく存じます」


 ザリは深々と頭を下げたあと、瞳を光らせた。


「我々が、侍女どのをクランスカ家の跡取りの正夫人として重んじ遇し続ける限りは、寵妃さまも我がクランスカ家を身内として考えて下さる。先立ってお話をさしあげている、我らが後ろ楯になって正妃として立っていただくという話もご承諾いただける。そう考えて良い、ということですかな?」


 シャナラは目を伏せ、低い圧し殺した声を漏らす。


「……私には子を設けることは出来ない」

わたくしどもの望みは、寵妃さまに正妃の座を占めていただくことです。正妃となられた後は、我らに何事も隠さず、親しくご相談していただく身内と考えていただきたい。子を設ける腹は、いかようにでも用意することは出来ます」

「わかった。正妃の件は私からエルシドに話す」


 ザリは頭を下げた後、うっそうとした声で付け加える。


「ラガルド将軍は寵妃さまと親しき間柄。寵妃さまも将軍に隠しだてをなさることはさぞお心苦しいことでしょうが、どうかこの件についてはご内密に願います」

「わかっている。くどくど言うな」


 シャナラは吐き捨てるようにザリの言葉を遮る。

 自分の挙動の一挙手一投足を伺うために絡み付いてくる視線。

 常に自分の心を圧迫し操るために放たれる、言外の意味を含ませた言葉のやり取り。

 この小柄な老人は、吐き気すらもよおすような強い不快感をシャナラに与える。


 複雑な宮廷政治の中で生きてきたザリは、最初からシャナラがルルタに向けている思慕に気付いていた。しかも「気付いている」ということを知らせることによってシャナラを脅し、操ろうとしている。

 わかっていても抗うことが出来ない。

 シャナラに出来る唯一のことは、ザリのような人間にルルタが道具として利用されないために、なるべく宮廷政治から遠ざけることだけだった。


 ※※※


 長く苦痛に満ちたザリとの会合がようやく終わり、シャナラは部屋に一人になった。

 心身に澱む嫌悪を少しでも払うために、庭が見える露台に出る。涼やかな夜の風に当たると、少しだけ心が清められるように感じられた。

 なぜザリに対して、これほどの不快さと嫌悪を感じるのか。

 ザリがシャナラの心の奥底を正確に把握し、その影を演じているからだ。


 そばにいて欲しい。

 例えそれがルルタの人生を自分が埋められている場所につなぐことになろうとも。


 ザリは、シャナラが必死に押さえつけているそんな浅ましい考えを正確に読み取り、願いを叶えようと言った。

 ルルタはシャナラを繋ぐための生きた鎖となり、シャナラは傀儡かいらいとして生きることになる。だがその檻の中でならば、二人で寄り添って生きることができる。


 残酷な現実を見ることなどない。

 二人で檻の中に閉じ籠り、甘い夢にふけって生きればいい。

 何も考えず、他人に囚われた人生をそれが運命だったのだと受け入れればよい。


 自らの身内から沸き起こるそんな強い誘惑の衝動を、全力で抑えつけなくてはならなかった。


 シャナラは深い闇に閉ざされた夜空を見上げる。

 この暗い場所から、ルルタの人生を守り幸福を祈る。

 それがルルタに出来る唯一のことであり、苦界くがいに落ちた身に残された矜持きょうじを守る方法でもあった。


「……」


 心の中に浮かんだ姿に向かって呟いた瞬間。

 どこかでくしゃみのような音がした。


「誰だ?」


 シャナラは音がしたほうに視線を向け、静かな声で問う。

 シャナラの部屋の庭は池に囲われており、隠された通路を通らなければたどり着くことは出来ない。今日はラガルドも来ないはずだ。

 国王に寵されている自分を消したいと望む、何者かの手の者か。

 油断なく身構えたシャナラの前に、フラフラと黒い影が駆け寄ってきた。

 その姿を見分けた瞬間、シャナラは信じられない思いで碧い瞳を見開く。


「ル……ルタ?」

「ヒャ……ヒャナラさまあ」


 ずぶ濡れになりガタガタと震えながら、ルルタは露台の欄干にしがみつく。

 そのまま力尽きたように倒れこみそうになったルルタの体を、シャナラは身を乗り出して慌てて支えた。


「お前……どうして」


 自分にしがみつくルルタの体を抱えながら、シャナラは信じられない思いで呟く。


「……何でこんなところに……」

「シャ、シャナラさまにお会いしたくて……どうしてもお会いしたくて……」


 ガタガタと身を震わし、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしたまま、ルルタは言う。


「シャ、シャナラさまが何も言って下さらないから……一人で何でも決められて、私に何も言わないで、お会いしても下さらないから……」

「馬鹿!……何をしているんだ、お前は! こんなに……ずぶ濡れになって、こんなに……冷たくなって」

「シャナラさま……」

「本当に……何をお前は……私などのために」


 泣き出しそうな顔で叫ぶルルタの体を、シャナラは力いっぱい抱き締める。

 その力の余りの強さに、ルルタは涙に濡れた瞳を大きく見開く。

 今まで心のどこかで違和感を覚えた様々なことが、いまシャナラの腕で感じたことと結びつき、ルルタの心の中である確信になった。

 シャナラは濡れそぼったルルタの体を抱き上げて、部屋の中に入る。

 その横顔を見上げながら、ルルタは今まで見てきたシャナラの姿を思い浮かべた。


 一体なぜ。

 なぜ、こんなにもはっきり目の前にあることに今まで気付かなかったのか。


(シャナラさま……あなたは)


 ルルタは重く閉ざされそうになる瞼を持ち上げる。

 自分を抱えて部屋に運ぶシャナラの碧い瞳には、強い意思が宿っていた。


(女性ではなかった、んですね)

(ずっと女性のふりをしていた……いえ、させられていた……んですね)


 あなたの一番近くにいたのに。

 私はあなたのことを何も知らなかった。

 あなたが何を強いられていたか、何に苦しんでいたか、どんな世界で生きていたか。

 本当のあなたを、何も見ていなかった。


(侍女失格……だあ)


 心の中で呟くと同時に、吸い込まれるように意識が失われていく。


「ルルタ? どうした? しっかりしろ! ルルタ!」


 必死に自分のことを呼ぶシャナラの声を聞きながら、ルルタの意識は闇に呑まれた。


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