54.ヘザーの季節——グレイ、あなたは王子殿下なの?
「キャロライン!」
舞踏会場に戻ると、真っ青な顔をしたグレイが駆け寄ってきた。
「どこにいた?」
「ハロウゲイトのところよ」
「なんだって?何をされた?」
「何ももされていないわ」
「ここを出よう」
「まだ、積荷分の商売が少し残っているわ」
「いい、今日はここでやめよう」
「いいって……これは稼業がかかっているのよ」
これほど取り乱したようなグレイを見るのは初めてだった。
「キャロライン、頼む……今日はやめて欲しい」
「まあ、しけで積荷が遅れるからいいわ。今回は状態を見てから売りたいから」
「ありがとう」
グレイが私の手を繋いだ。そのまま私の手を引いて、人気のない回廊へ進んだ。グレイは迷わずどんどん歩いていく。まるで勝手知ったる場所であるかのように。
いくつかの扉を抜けて回廊を歩くと、途中で王家の従者に遭遇したが、皆、さっと道を開けてくれた。
――なぜ?
「グレイ?どうしたの?」
私はグレイに囁いたが、グレイはいいからと囁き返すだけで、何も教えてくれない。
舞踏会の音が嘘のように消えた。別世界に迷い込んだようだった。
私のサテンのフラットシューズは、音もなく沈む絨毯の上を進んだ。従者たちが、誰一人として彼を止めなかった。
「ここから先は招かれた者しか入れない」
グレイはそう言って、ようやく私の手を離した。
彼は、ゆっくりと手袋を外した。
声だけが同じだった。
「キャロライン」
そこに丁寧にかけられていた淡い銀灰のコートをグレイが羽織った。赤茶色のかつらをゆっくりと外し、メガネを外した。
ブロンドのふわりとした髪の束が落ち、薄いブルーの瞳が私を見つめていた。
「王子殿下……?」
私はあまりの衝撃に、後ずさった。
王子殿下は私の近くまできて、極小パールをつけた私の耳元に囁いた。
「キャロライン、息を吸うんだ」
私の体を電流のように何かが流れた。
「グレイ……あなたは王子殿下なの?」
グレイは私の手を取り、そのまま中庭に私を連れ出した。月光が美しい夜だった。星も煌めく夜空の下で、グレイは私に囁いた。
「目を瞑ってごらん」
私は目を瞑った。
「踊っていただけますか?」
低い低い声がした。だが、私の手は一度も離されなかった。
ゆっくりと目を開けた私の目の前には、グレイにそっくりな瞳と口元のブロンドの男性がいた。衣装から何から何まで王子殿下に見えた。
「いつでも待っている。私の運命の相手はキャロライン、君だ」
それはグレイだった。
だから、だから、ハロウゲイトはあれほど王子殿下との関係を聞いたのだ。
「王子殿下が私のためにロンドンまで来て、一晩中探してくれていたの……?」
――泣きながら?
――あの朝、だからメイウェアのゴールデン・モータールの周りに王の騎兵がたくさんいたのね?
今までの色んなことが頭をよぎり、私はあまりの事に胸が震えた。
「……ホーソーン・マナーで奮闘する私のそばにいてくれたグレイは、王子殿下なのね?」
「そうだ、キャロライン。権力や名誉や財力がどれほどあっても、何を私が差し出しても、君を元の姿に戻してあげられない。だから、私はずっと君のそばにいようと決めた」
「なぜ?」
「なぜって……ずっと好きだったから。今も好きだから」
私の胸は温かいもので溢れた。
私はその手を離したくなかった。




