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私は結婚前から邪魔者だったのね!?お金以外は必要とされなかった妻でしたが、貧乏男爵家の再興が私の運命でした——そして嫁ぎ先は王家になりました  作者: 西野 歌夏
第3章:ヘザーの季節——私のタフタドレスではない

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52.ヘザーの季節——さよなら、レッドワイク

 私の心の中には、昨夜のダンスの余韻がまだ残っていた。


 だが、その日、私たちは大忙しだった。

 大口顧客のおかげだ。

 ブライトンの社交シーズンを逃す訳にはいかなかった。


 私が王子殿下とダンスを踊ったという事実は圧倒的な速度を持って、ブライトンの街中を駆け巡ったようだ。翌日のお昼には、何通かの舞踏会への招待状が届いた。



 だが、今日はそれどころではない、というのが本音だった。


 ダンスカードに記した約束の品を、荷車に密かに積み、各貴族宅に運ぶのだ。ツケは御法度というルールは、昨晩舞踏会で貴婦人たちや紳士たちに説明済みだ。危ない橋を渡った関係はすぐに清算する必要がある。


 即金での現金払いしか受け付けないことは、運び屋を担う村人たちも重々承知の上だった。


 ちょうどブライトン港にやってきていたギデオンも、噂を駆けつけてやって来た。噂とは、王子殿下云々の方だ。


「これで売りさばけたら、大したもんだぜ。だが、何事にも投資は必要だ。ベルローズ夫人にはもうちょっと頑張ってもらって、さらに上玉を狙えるドレスを仕立ててもらうんだ」


「わかっているわ」

 

 私とギデオンは同じ考えだった。

 今日の売り上げを計算して帳簿につけた後、明日にはベルローズ夫人の元に残金支払いと共に次のドレスの相談に行くつもりだった。ドレスはあと1枚あれば十分だろう。


「王子殿下は素敵な方だっただろうよ」

「えぇ、最高のお方だったのよ。でも、誰かに似ている気がするのよ」


 ふふっとギデオンが笑った。

 ――思い出せないはずの顔が、なぜか浮かびかけて、消えた。


 私がギデオンの顔を見返した時、ブリジットが駆けてきた。


「お嬢様、お客様がいらしています」


 

 突然、私の顔をした女がレッドワイク・ホールから訪ねて来たのだ。


 キャロライン・レッドワイク。

 昔の私が、目の前に立っていた。

 それは、避けては通れない形でやってきた。


 懐かしいはずなのに、胸が、少しも動かなかった。


 彼女はシーブルック家からの手紙を持って来た。

 資金供与を打ち切るという知らせだった。


 ――さすが、お父様。

 ――行動が早いわ。


「お願いがあるの。イーサンが礼拝堂であなたにしたことは本当に過ちよ。もう二度としないはずよ。だから、一緒にシーブルック家に行って、あのことは間違いだったと伝えて欲しいの。イーサン・レッドワイクとアーニャ・ホーソーン嬢の間には何もないとあなたから話して欲しいの」


 ーー何を言っているの?

 ーーどうして、そんなことが言えるの?

 ーーできないわ。

 ーー私は結婚なんかしたくなかった。

 ーー結婚を中止にしようとしていた。


 ーーイーサン・レッドワイクとアーニャ・ホーソーン嬢の間には何もないなんて、嘘。


 私は本音を言えなかった。目の前にいるのは、昔の私だ。


「……まず、お茶を持ってくるわ。最近、お茶を私の家でも購入したのよ。あなたの家でよくいただいたでしょう?」


 そう言って、逃げ出した。

 私はこれ以上、彼女の顔を見ていられなかった。

 自分の顔だが。


 何かを言えば、壊れてしまう。

 取り返しがつかなくなる。

 

 だから、私は、逃げた。

 逃げるしかなかった。


 新たに来た舞踏会の招待状がまだ客間に置かれたままだったので、それを胸に持ち、私は巨大倉庫の方に走った。


 昔の亡霊に取り憑かれるのはまっぴらだ。

 ロンドンにも、私たちの場所を作る。レッドワイク・タウンハウスなど、霞むほどのものを建設し、リディアとエリスをロンドン社交界にデビューさせる足がかりにしよう。


 私が復興させるのは、ストロベリーリープ8冠の紋章ではない。野薔薇の紋章の方だ。


 私は巨大倉庫で汗をかいていたギデオンを見つけて駆け寄った。


「よお、アーニャ、どうした?顔色が真っ青だぞ」

「ギデオン、実は今、キャロラインが訪ねて来ているんだけれど」


 私は胸元に抱えた舞踏会の招待状の束を手に、深呼吸をした。

 

 私は、一瞬も迷わなかった。


「密輸をしていることがバレてしまうわ。彼女はシーブルック家の娘よ。このことを知ったらトマス・シーブルックにきっとバラすわ。追い返して」


 私は本音を即座に言った。

 嫌な仕事をギデオンに頼んだ。

 

「ここに、レッドワイク・キャロラインを入れないで」


 息が詰まるのはもうごめんだ。


 レッドワイクには、関わりたくもない。

 

 私のシーブルック・ハウスでの世界は、私の手で私の手元に復活させる。


 二度と、ヘザーの季節に、真紅のダリアを見るたびに、ストロベリー8冠の紋章が自分に迫ってきた記憶に悩まされたくない。


 この秋は、私の手で切り開いた新たな舞台への入り口なのだ。


 ヘザーの季節は、誰にも不幸な記憶に塗り潰させない。


 華やかな舞踏会の招待状はその切符だ。


 あの家も、あの名前も、あの結婚も。

 もう、私のものじゃない。


 ――いいえ、違う。

 

 最初から、一度も私のものではなかった。


 さよなら、レッドワイク。



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