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私は結婚前から邪魔者だったのね!?お金以外は必要とされなかった妻でしたが、貧乏男爵家の再興が私の運命でした——そして嫁ぎ先は王家になりました  作者: 西野 歌夏
第1章:深紅の季節——亡霊の春

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02.きっとそうなのね ワイルド・ストロベリー(1)

「アーニャ、泣かないで」


 私は低く響く夫のイーサンの声を聞いて目を開けた。今、確かにアーニャと聞こえた。


 夫が貴族特有の柔らかい低音で親友の名を囁いている。


 誰に話している?


 ここは、レッドワイク伯爵家の庭園の裏側だ。


 レッドワイク・ホールと呼ばれるレッドワイク伯爵家の屋敷は、私の投じた資金のおかげで、とても美しく甦ったはずだ。庭園まで私が美しく甦らせたはずなのに、今の庭は荒れ果てていた。


 私が馬車に轢かれたのは9月で、伯爵家の庭にも森にも9月の金色の光が溢れていた。大輪の返り咲きの秋バラが咲いていて、その香りが充満していたはずだ。色鮮やかなダリアの花が咲き、深く色づいた赤や金や銅色の葉が彩っていた。


 それなのに、今はどうだろう。目に映る庭は荒れ果てていた。


 これは結婚前のレッドワイク・ホールの庭だ。


 裏ぶれたレッドワイク・ホール……私が資金を投じて美しく甦らせる前の庭だ。


 ――これは結婚前の夢かしら?


 荒れた庭に野生の勝手に咲くブルーベルやスズラン、野薔薇を見つめた。


 ――季節は5月だろうか?


 ――結婚式は3年前の6月だった。レッドワイク伯爵家に嫁入りした直後に私はすぐに庭や屋敷の手入れを始めた……だとすると、ここは結婚直前……3年前の5月の頃の庭かしら?


 ――これは夢なのね?


 苔むした壁のオレンジリーの壁に私は思わず手をついた。スイカズラが古い塀や崩れたアーチに絡みついていた。


 午後の光……。

 

 当時、確か、ここはあまり人が来ないところだった。一人だけ残っていた庭師もあまり来ない場所だったはずだ。


 今、私の目の前にはイーサンが立っていた。

 爵位を持っている私の夫のイーサン・レッドワイクだ。


 私の記憶の中にあるイーサンより少し若い。

 やはり、結婚する前か結婚直後に見える。その頃のイーサンに違いなかった。


 夢なのか、3年前のイーサンを私は見ているのだ。


 3年後はガラス張りの美しい温室に蘇るはずの場所に、私たちはいた。


 イーサンが長い指で私の頬をそっと撫でた。

 その瞬間、イーサンの優雅なカフスがよぎった。


 夫がカフスを整える仕草が私は大好きだった。


 夫のブロンドの髪が陽光を弾くように輝き、私を見つめる瞳が心配そうに翳っている。夫は一つ一つの仕草が美しい男性だった。


 イーサンの手首のところで揺れる白いレースのカフスは、私が準備して両親に渡し、それがレッドワイク伯爵家の当主に渡されたはずのものだ。その若草色の小花は私が確かに刺繍したものだ。それをイーサンが身につけている。私との婚約の意志を示すために、身につけているはずのものだ。


 今がいつなのかはっきり分かった。


 結婚前にイーサンが私が刺繍した真新しいカフスをつけている日。


 3年前の結婚式が執り行われる3週間ほど前の、あの午後のお茶会があった日だろう。私の記憶通りならば、間違いない。


 私とイーサンの結婚が正式に決まったも同然になった日だ。


 あの日の午後、私とアーニャがいつものように茶会に呼ばれて、私にだけ伝わる印として、イーサンは婚約承諾を示すために私が準備した美しいカフスを身につけていた。


 銀糸が5月の光に微かに輝く。


 彼が身につけているものは清潔だが、資金繰りが苦しかった伯爵家の財政状況を表すように、少々古びていた。それなのに、私が縫ったカフスだけが真新しい淡い張りがあり、美しくレースが揺れていた。


 私は自分の頬に涙が流れ、みっともなく鼻水も出ているのに気づいた。


「そんなに泣かないで。アーニャ」


 イーサンは私を覗き込んで再びそう言った。


 ――アーニャ?


 ――私はあなたの妻になるキャロラインよ。あなたは私との婚約の意志を示すために大切な贈り物を身につけているでしょう?


 どうして、それを身につけて私をアーニャと呼ぶの?

 

 私はなぜ自分が泣いているのかも分からなかった。記憶を探っても、過去にイーサンの前でこれほど泣いたことはなかったと思う。


 私はハンカチーフで涙と鼻水をそっと拭いた。


 手の中のハンカチーフはざらりとしていた。いつもの絹のような滑らかさはどこにもない。


 そのことに私の胸がヒヤリと冷えた。


 私が今持っているのは荒いリネンのハンカチーフだ。端っこは丁寧に手縫いのピコット刺繍が施されていた。涙にかすんだ目に、ハンカチーフのイニシャルの刺繍が映った。薄い青糸でAと刺繍されている。


 これはアーニャがいつも持っているハンカチーフにとてもよく似ている。涙を拭いた際、ラベンダーの乾いた花の香りがほんのり漂った。


 本来私が持っているハンカチーフは、薄手シルクか高級リネンで作られていて、光に透かすと織が均一で糸のムラが一切ない生地だ。私のハンカチーフなら、職人のスカラップレースが施されて花弁状にカットされており、糸の細工が非常に精緻なものであるはず。イニシャルの刺繍も金糸でCとあるはずだ。


 私のハンカチーフはざらりとした触感ではなく、ふんわりと柔らかくて、専用の香り袋に入れて保管しているのでラベンダー、ローズ、アンバーを調合した香りがもう少し強めに残っているはずだ。


 やっぱり、これは私のハンカチーフではない。

 

 ――なぜ、私がこれを自分の手に持っているのだろう。


 私は周囲を見まわした。でも、誰もイーサンの他には誰もいなかった。

 

 ――こんな庭の寂しいところで私とイーサンは何をしているのだろう。


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