14.勿忘草の告白 フォーゲット・ミー・ノット(4)
「わかった。全て聞きたい」
グレイは私の方に身を乗り出した。
「死んだ後、私はなぜか3年前の今に戻った。親友の裏切り者のアーニャとして。ホーソーン男爵家の長女としてね」
グレイが少し首を傾げた。眉をひそめていぶかしげに私を見た。
意味が分からないわよね?
「レッドワイク伯爵家の荒れ果てた庭園の隅で、イーサンとアーニャは密会していたの。私とイーサンの結婚が決まった日のお茶会の後の事よ。結婚式は来月に行われる予定でしょう?私は泣きながら、イーサンがアーニャにアーニャの恋文を返す場にいたわ。アーニャとして」
「アーニャとして?」
グレイは鋭く私を見た。私は頷いた。
「最初は意味がわからなかったわ。なぜ、イーサンが私をアーニャと呼ぶのか。さらに、私がアーニャのドレスを着て、アーニャのハンカチを持っている理由がさっぱり分からなかった。私がアーニャになって、初めて状況を悟ったわ。でも、それを経験することで、ようやくはっきり分かったの。イーサンとアーニャは随分前からお互いに愛し合っていた」
もう悲しいとかの次元ではなかった。
「私との結婚が決まった事で、2人の恋心は互いに知ることになった。純粋にイーサンを愛していながら、私に遠慮していたアーニャの気持ちをイーサンが知ることになり……という所まで、私は実体験として分かったのよ」
グレイの薄いブルーの瞳が私を見つめている。馬車の中で、私はさっき経験したことを彼に打ち明けていた。
「極め付けは、アーニャの体ではなく、こうして自分の体に戻って、レッドワイク伯爵家の狩猟用森で、2人が隠れて抱き合うのをさっき見てしまったということになるわ」
グレイは大きく息を吸った。
そして大きく息を吐いた。
「君は、いまは自分の体だけれど、死んで戻ってきた時は、アーニャ・ホーソーンの体に戻ってきた。だけれど、イーサンとアーニャが抱き合う瞬間は、自分の体側にいたから、イーサンは君には触れていない。この理解で合っている?」
グレイはとても大事な事だというように、私にその点を確認した。
私はなぜその点が大事なのか分からないと思ったが、イーサンに触れられるのはとても嫌だったので、私にとっても大事な事だと思った。
「合っているわ。キスはされたけれど……結婚式の時に頬にキスをされただけで、唇には今まで一度も……」
グレイが真っ赤な顔になったので、私は話しすぎたと思い、口をつぐんだ。
彼が拳を握りしめて何かを耐えているのに気づいた。指の節が白くなるほど拳を握っていた。
「大丈夫かしら……グレイは仕事があるのよね?私のこんな話を聞いている暇はないのではないかしら?」
グレイはとんでもないといった仕草でそれは大丈夫と微笑んだ。
「安心してほしい。今日は仕事はもう上がりだ。君の話を聞きたいんだ。お茶とお菓子を振る舞うけれど、少し落ち着いてから一緒にシーブルック・ハウスに行こうか。仕立て屋に話す前に、君の父上と母上に話すべきだと思うから、シーブルック・ハウスまで馬車で送るよ」
気づけば、瀟洒な作りの家の前に馬車は止まっていた。
「ほら、シーブリーズ菓子店の新作の砂糖菓子があるんだ」
グレイは私が大好物であるブライトンの街一番のお菓子屋の名前を出した。
途端にお腹が空いていることに気づいた。
当時、仮縫いにいくために、私はお昼を抜いたりしていたことを思い出した。過酷なダイエットをして、ドレスのウェストを引き締めようと頑張っていたはずだ。
私はあんなイーサンのために自分が何の努力を重ねていたのだと、自分を馬鹿らしく思いながら、お菓子をいただくことに決めた。
「いただくわ!とてもお腹がペコペコなのよ。ありがたい申し出だわ!」
にっこりと微笑んだグレイに手を差し伸べられて、私は馬車から降りた。
話し終えた後、心のうちを曝け出したことで私の体は空っぽになったようだった。
グレイの家の小さな前庭には白いライラックが揺れていて、煉瓦壁には壁花が咲き、まだ固い薔薇の白い蕾が見えた。商人の家にしては、あまりに手入れが行き届いていた。
玄関ホールの床は磨かれた木床で、傘立て、真鍮の燭台、壁には品の良い海の風景画が飾ってあった。額縁が非常に高級だ。応接室には磨かれたマガホニーの小卓が置かれて、窓には良質なカーテンがかけられ、壁際に小型の書棚と、最近女王が気に入って一流の陶器と認められたウェッジウッドの茶器が置かれてあった。母がこの陶器が大好きなのだ。
「ここ全てあなたの持ち物?」
「父のものだが、全て私が自由にして良いことになっている」
商人の家にしては、廊下の天井が高すぎた。椅子の張地が良い。暖炉石も田舎町のものではなく、商人の家にしてはロンドンの屋敷じみた洗練があった。
奥からにこやかな笑みを浮かべた家政婦らしい夫人が出てきた。
「お茶の準備を頼む。例のお菓子を添えてほしい」
「ぼっちゃまがレディをお連れになるなんて、こちらへ越してから初めてですわ」
張り切った様子でいそいそと夫人が準備に取り掛かる様子にグレイは苦笑いしていたが、仲がとても良さそうだ。年配の夫人は、質の良い灰褐色の軽ウールをきちんと着込み、真っ白なリネンのエプロンには一筋の皺もなかった。古い家に仕えた者特有の、静かな威厳があった。
「私の乳母だった夫人だ」
そっとグレイが私に囁き、私も笑みがこぼれた。
「今日話してくれたことは誰にも言わない。君の3年後の話も、入れ替わりの話も全て信じる。今後、君が困ったことがあれば、私を頼ってくれて構わない。僕の仕事場は知っている通りだ。この家か、そこにいるから、頼ってくればいい。乳母の夫人にも君のことを世話してくれるように頼んでおくよ」
グレイは私にそう言って、青い張地の椅子をすすめてくれた。
「キャロライン、もう大丈夫だ」
その声を聞いて、私は安堵した。
思えば、裏切りを知り、馬車が襲いかかって来て以来、一度も人ごこちがついた事がなかった。
意識が遠のくのを感じた。大丈夫だとグレイに励まされたからだろうか。
「待って、キャロライン、待って」
グレイが何か言うのがわかったが、私は意識を手放した。




