9話 リュネール荒れ地/庭園
帝都から馬車で半日ほどの、メルティス領の東側。
以前は田畑が広がっていたという場所には、ただ白い砂地が続いていた。
元は水路であった場所はただの溝になり、ポツンと残った風車は、羽根の帆布が破れて骨組みだけが残っていた。
「これはひどいな」
王家の紋章も無い小さな馬車から、ランベルトが地面に降り立つ。
革のジャケットに無骨なブーツ、腰には短剣と魔導具を入れたポーチ。出会った時の旅装束だ。
法衣にサークレットを身に着けたデルフィナが続いて降りると、御者は少し後に迎えに来ることを約束して近くの町へ戻って行った。
「水分も栄養も持ってかれちまってる」
ランベルトはしゃがんで硬い地面をなぞっていた。
砂を握ると、細かな粒がさらさらと手のひらを滑り落ちていく。
周辺一帯がこの様子で、僅かな雑草しか生えていない。
「原因は何なのでしょうか」
ランベルトは、魔導書について調べていた際の精霊の知識を頭から引っ張り出してくる。
「自然への畏敬を忘れて、精霊が嫌う鉄や油を使うようになったからだと言う説もあるが…それで精霊が土地を見捨てるなんてことあるのか?」
「精霊が見捨てたのではない。貴様ら人間が精霊の居場所を奪ったのだ」
珍しく、ラウルスがランベルトに答える。
ランベルトは眉を寄せた。
「爺さんがそこに無理やり植物をねじ込んでも、また枯れちまわないか?」
ラウルスの返事は自信というよりも、事実を述べているだけのような威厳に満ちていた。
「自然を司るとはどういうことか、見せてやる」
二人は元は丘だったであろう風車のある小高い位置まで歩く。
荒れ地を見下ろし、デルフィナは本を胸の前に掲げた。
「我が願いよ、地を裂け」
表紙の黒曜石が輝く。
沈黙が落ちる。
ランベルトはデルフィナとラウルスを目線だけ動かして伺った。
デルフィナは目を閉じて、ラウルスへ魔力を注いでいる。
「……?」
ランベルトが荒れ地を見た。
それは、底から響く地鳴りから始まった。
何かが動く気配。砂の音。
それは突然現れた。
茶色い根が、何本も地面から突き出す。うねる根は長く、太く地面に広がっていく。
「デルフィナ、見ろ!」
ランベルトがデルフィナの肩を揺すり、彼女も目を開けた。
その時だった。
ごぽりと砂に穴が空く。
穴から勢いよく水が吹き出し、丘の二人まで降り注いだ。
「うわっ」
デルフィナを引き寄せ、ランベルトは自分の腕を傘のように彼女の頭上に掲げる。
地面には池ほどの水たまりが広がっていく。
水面から芽を出した細い木々は、みるみるうちに巨木となって葉を広げた。
「地下水脈をぶち抜いたのか?ははっ」
濡れながら笑うランベルトを、デルフィナは呆然と見ている。
「大丈夫?デルフィナ、おーい」
返事をしない。
ランベルトは前髪から雫を垂らしたまま、デルフィナの顔を覗き込んだ。
「フィーナ?」
ようやく彼女と目が合う。
デルフィナは瞬きをした後、ゆっくりと目元を緩めた。
「成功ですね」
その一言だけ。
ランベルトはその顔を見て、同じように笑う。
「そうだな、大成功だ」
「だから言っただろう」
ラウルスの声に、ランベルトは頷く。
「今日ばかりは爺さんが正しかった。やっぱ伊達に年取ってないな!」
「泥に額を擦り付けて詫びよ、小僧」
彼らのやり取りを話半分に聞きながら、デルフィナは荒れ地を眺めた。
硬い地面の上に溢れた水は、丘の下に広がる沼地となってしまっていた。
これでは人は住めないし、作物も育てられない。
ただ、泥を好む生き物なら住めるだろう。深く根ざした木も、恐らく枯れることはない。
「すごいよなぁ。さっきまで荒れ地だったのに」
感嘆の声を漏らすランベルト。
緑の上に広がる青空に、白い雲がゆっくりと流れてゆく。
ランベルトは伸びをして、首を鳴らした。
「ま、緑地にはならなかったが、これなら十分に報告出来るだろ。明日、出発する前にまた見に来よう」
「はい」
返事をして歩を進めようとした時だった。
「きゃっ」
足元に張った根に足を取られて体がよろける。
咄嗟にランベルトが抱き留めた。
意外と大きく筋張った手がデルフィナの肩に触れる。
「大丈夫か?」
「はい。あの……」
見る見る顔が赤くなるデルフィナに、ランベルトは足元を見ながらぱっと腕を離す。
「悪い。転びそうだったから」
「いえ……ありがとうございます」
「危ないからゆっくり来な。ちょっと、木の根元見てくる」
ランベルトは彼女に背を向けて先に丘を下る。
数歩進んだところで密かに口元に手を当て、小さく息を吐いた。
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メルティスの町で一泊した二人は、馬車で帝都へと戻る。
迂回して沼地も確認したが、昨日と変わらずそこにあった。
「ここからまた半日か。疲れてない?」
「大丈夫です。寝たら魔力も回復しました」
デルフィナは確かめるように手のひらを眺め、ほっと息を吐くと座椅子の背もたれに身体を預ける。
馬車の規則正しい蹄と車輪の音がする。
ランベルトは、ふと窓の外を見たままぽつりと呟いた。
「……あのさ。俺が言えたことじゃないんだけど、本当に良かったの?」
「え?」
「婚約のこと」
彼の横顔には赤茶色の髪が掛かり、デルフィナの位置からは表情はよく見えない。
「兄上はああ言ってたけど。他の神官とか貴族でも良かったんじゃないかって、後から思って」
デルフィナはランベルトを見つめた。
照れることなく、まっすぐに声を届ける。
「私は、ランで良かったですよ」
彼の目がこちらを向くと、デルフィナは微笑んだ。
「森で野宿をした時も、帝国に来た今も。ランがいたから、こんなに楽しいのだと思います」
「……そうなんだ」
「はい」
ランベルトは再び窓の外に目をやる。
デルフィナの顔を見られなかった。
外の風景は目に入っておらず、ただ顔が緩まないように口を引き結んでいた。
────────────
王城に戻った二人は、シリルとアニエスに招かれて庭園へと来ていた。
昼下がりのテラスに出された白いテーブルに、皿いっぱいのケーキやサンドイッチが並べられている。
アニエスが管理しているその一角は、薄紫と桃色、白の花でまとめられていて、華やかでありながらどこか幻想的だった。
「それで、湿地が出来たと」
シリルはロマンチックな庭に似つかわしくない、気難しい顔で報告を聞いていた。
「ご苦労だった。しばらく現地の者に経過報告をさせ、どうするか決める」
顔立ちだけならば甘やかさもあるのだが、シリルの纏う空気と表情には常に緊張感がある。
アニエスは逆に、容姿そのものは近寄りがたい美人なのだが、服や本人の雰囲気が柔らかい。
デルフィナは皇太子夫妻のことをそう見ていた。
「だけど作物を育てられる土地じゃなくなったから、どれほど使い道があるかは分からないな」
旅装束のままのランベルトがサンドイッチをつまむ。
彼には緊張感も近寄りがたさも無い。
しかし猫のような瞳は常に周りを見ている。
「昔の人間が破滅の書と名付けたのも頷ける。多分、村一つぐらいなら簡単に壊せるんだ」
サンドイッチを飲み込み、続ける。
「爺さんの力は土地を自然に還すことが出来る。けれど、そこに人間が入る余地がない」
「我の偉大さをようやく理解したようだな」
誇らしげなラウルスに、ランベルトはティーカップを傾けて溜息を吐く。
「もうちょっと融通が利くと良かったんだけどなぁ」
「跪け、不遜な小僧」
「再生の書は失くした腕まで生やせるんだろ?摂理に対して相当融通が利く。人体ってのは小さいからかな……」
アニエスが何種類か並べたケーキの皿をデルフィナの近くに置く。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
チョコレートとベリーのムースを選ぶと、自分の皿に移してフォークで口に運ぶ。
その様子をじっと見ているアニエスに、デルフィナは気まずそうに視線を返した。
「どうかなさいましたか?」
「デルフィナ様は、恐ろしくないのですか」
アニエスは彼女の手元に置かれたラウルスに目線を落とした。そこには畏怖が浮かんでいる。
「聖女でありながらその力を捨て、これから破滅の書を以てして何を為すべきだと思いますか?」
「……女神様とラウルスの魔法は反目する力ではありません」
デルフィナがアニエスの方を向く。額のサークレットが、陽の光を反射して輝いていた。
「どちらも、救う力になるはずです。まだ私が、誰かのために願うことを許されるのなら」
それは力を持つ者ではなく、失った者の言葉だった。
ここで誰のために何を為すべきか、デルフィナはまだ確証が得られていない。
深い青色の瞳が揺れる。
「願いを許されない人など、いません」
無言でデルフィナを見つめていたアニエスは、ようやくそれだけ言った。
そしてもう一つケーキをデルフィナの皿に乗せる。
「ミルフィーユも美味しいですよ」
「え?あ……ありがとうございます」
慌ててデルフィナは食べ始める。
シリルは僅かに眉間の皺を緩めて、皿を戻すアニエスの手元を眺めていた。
「美味しいです」
デルフィナが嬉しそうにアニエスを見ると、彼女は少しだけ微笑んだ。
ランベルトもそれを見て肩の力を抜く。そしてティーカップの水面を眺め、ふと呟いた。
「なぁ、爺さん。再生の書は生命に干渉出来るというが、植物も生命だよな?」
「左様」
シリルが反応する。
「ラウルス様。もしや、再生の書でも植物を育てることは出来るのですか?」
視線がテーブルの上のラウルスに集まる。
しかしラウルスは答えた。
「否。あれは循環を整える。種子を成長させることは出来ない」
「うーん……やっぱり直接会ってみないと、何が出来るかは分からないか」
ランベルトは硝子の器に入ったマスカットを一粒食べる。
「あっちじゃ本のこと隠してるみたいだし、偵察にも限界がある。一度、爺さんが近付けるといいんだけど」
ちらりとデルフィナを見る。
「婚約者どのを皇国に近付けるのはちょっとな」
「ランベルトとデルフィナ様の婚約を正式に発表した。じき皇国にも知らせが届くだろう」
シリルがようやく、手を付けていない紅茶を一口飲んだ。
「教会からも正式に声明を出し、聖女様の名誉はこちらで回復させて頂く」
口の端を上げて、剣呑な表情で笑う。
「無実の罪で追い立てた聖女が帝国にいると知ったら、皇国の連中はどう動くかな」




