10話 オルヴァル王城
「ローレライ、あなた最近疲れてるんじゃない?」
「そうね。でも今は休んでいられないわ」
ローレライは自室で髪を梳いていた。
傍らで優しく気遣う声に、溜息混じりに答える。
「今、価値を示しておかないと。私は平民だから、不手際が起こった時に責任を押し付けて首を切るなんて彼らには雑作もないことよ」
「まぁ!何て野蛮な方達なんでしょう」
遠慮のない物言いにローレライはくすりと笑う。
「逆に、自分達の身を守るために必要と知れば手放さないわ。正しさに目を瞑ってでもね」
柔らかな金髪を指先で分け、彼女は丁寧に編み上げてゆく。
「侵略戦争では絶対に私の力が必要だもの。領土さえ奪ってしまえば、条件次第では食糧難を解決出来るかもしれない」
「そのために貴族や騎士団の人を癒やして回っているの?」
「戦争には、資金も人材も必要なのよ」
ローレライの言葉に、彼女は感心したように呟いた。
「大変なのね。貴方が最近、ドレスを着るようになったのもそのため?」
「……治癒師の服だと、殿下の婚約者としても聖女としても見劣りしてしまうから」
婚約式の際にジェラールが誂えた法衣は、彼女の身体のラインを強調するデザインだった。幾重にも薄い布を重ねて、鎖骨の見える胸元には金糸の刺繍をあしらっている。
首には高価な魔導石のネックレス。ジェラールの髪の色と良く似たトパーズが輝いている。
法衣とはいうがこんな服では患者の清拭も介助も出来ない。
けれど貴族達は彼女の美貌に目を瞠り、どういうことか支援を申し出てくれるようになった。
「見た目を整えるだけで認められるなら、いくらでも飾るわ」
白い絹のリボンで髪を結い上げると、ヴェールをその上に被せる。
彼女はローレライを見て感嘆の声を上げた。
「あぁ……あなたは美しいわ。王太子から逃げた本物の聖女よりも、ずっと高潔よ」
その声は愛しげにローレライに語りかける。
「今夜の晩餐会も、あなたの夢の糧になりますように」
「……ありがとう、ルシオラ」
ローレライはダイヤモンドが嵌った白い本を、そっと引き出しにしまった。
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大広間に流れる楽団の音楽に、煌めくシャンデリア。
色とりどりのドレスがホールに咲き乱れている。
その中心に咲く一輪の白百合。それがローレライだった。
最近の社交界は、ジェラールとローレライの話題で持ちきりだった。数々の奇跡、騎士団への助力、そして各地を回る仲睦まじい二人の姿。
「聖女様が王妃様のお茶会に参加したことで、孤児院や治療院に出向いて寄付をする令嬢が増えたようですね」
「娘にも、白いヴェールを強請られましたよ。若い令嬢はこぞってローレライ様の真似をしています」
「ジェラール様も騎士団の訓練と視察でお忙しいようで。皇国は安泰ですな」
貴族達が競うように声を張り上げる。
ジェラールは伏し目がちに謙遜しながらも、その瞳は誇らしげだ。
「私はまだまだ若輩者だ。しかしローレライのお陰で、帝国もこちらに下手に手出しを出来ないのではないだろうか」
「……はい」
私の力は、戦争をするための力じゃない。
喉から出そうになる言葉を飲み込んで、ローレライは笑みを浮かべた。
ジェラールは上機嫌に彼女の肩を引き寄せ、囁く。
「ローレライ、今度、西の農地へ視察に行かないか」
「農地ですか?」
「あそこの伯爵家には足の悪い娘がいてな。娘を癒す代わりに、納める穀物を増やせないか交渉したいのだ」
ローレライは息を呑んだ。一瞬、呼吸が止まる。
「……私、そんな田舎へは行きたくありません」
「えっ?」
「もっと大きな街に行きたいです。その方が、皆様もジェラール様のお姿を拝見出来てより一層励まれるかと」
袖に触れて、懇願するように彼を見上げる。ジェラールは首を傾げて顎に手を当てた。
「そうだな……では、南の騎士団拠点はどうだろう。あそこは貴族令息が多いから、より広く君の奇跡を知って貰えるだろう」
「……はい」
「珊瑚や真珠の細工品で有名な港町もあるんだ。私が選んだ物を身に着ける姿が見たい」
ジェラールはローレライの腰に手を回した。
「君は美しいし、喜んでくれるから着飾り甲斐がある」
彼女は頬を紅潮させて、花が綻ぶように微笑む。
「ありがとうございます。殿下に想われて、私は幸せです」
「愛しているよ、ローレライ」
ジェラールはローレライを引き寄せてヴェールに口付ける。
周囲からは歓声が上がった。
「これからも殿下と、皆様のために、この癒やしの力を使わせて下さい」
ローレライは身体を寄せて目を閉じた。
早く終わって欲しいのに、やけに長く感じる。
しかしその時間は、望まない形で破られた。
「そう言えば、殿下はもう聞きましたか?帝国の……」
華やかな空気を凍りつかせたのは、他ならぬジェラール自身だった。
「デルフィナと帝国の第二皇子が婚約だと!?」
声を上げた彼は、青ざめて口元を手で覆う。
「どうしてそんなことに……」
衝撃的なスキャンダルに高揚を隠せない様子で、先程までジェラールに追随していたはずの貴族達が口々に話し出す。
ローレライは、困惑混じりにその異様な空気の中にいた。
「大森林で迷っていた所を、偶然第二皇子が見つけたようで」
「執務を放り出して放浪しているという話は本当だったようですね。しかし、よりによって聖女様を保護するなんて」
「そんな偶然があり得るのか?拐かされたのでは……」
ジェラールとは別の派閥の公爵が輪の中に加わり、同情するように語りかける。
「しかしデルフィナ様は真に聖女であると、大聖堂より正式な声明が出されましたな。あの夜、どうしてあの様な事態になってしまったのか」
その声が侮蔑を含んでいるのはローレライにも分かった。それなのにどこか嬉しそうな、皮膚に張り付くような物言い。
「第二皇子が助けた時に恋に落ちたとも言われていますが……それも仕方のない事かもしれません」
ジェラールは奥歯を食いしばり、涙でも溢しそうな表情で悲嘆に暮れている。
その姿に、周囲から小さな同情の声が漏れた。
「私の誠意が足りなかったのだ。あんなにも彼女は尽くしてくれていたのに」
「殿下……」
ローレライはただ寄り添う。今は何を言っても周りを喜ばせるだけな気がした。
「ジェラール殿下!」
そこへ、輪を掻き分けてジェラールに声をかけた威勢のいい者達がいた。騎士団の上層部の貴族達だった。
ローレライはほっとして身体を離す。
「探していたんです。あちらの部屋でカードは如何ですか」
「……あ、ああ。今行く」
ジェラールはローレライに微笑んだ。
「今宵は遅くなる。先に寝ていてくれ」
「分かりました」
ローレライだけになると、周りは興醒めしたように散っていく。
その中で、一人残った者がいた。
「聖女様。貴重なアルメリア産の葡萄酒を用意しておりますので、あちらの部屋へいらっしゃいませんか」
「すみません、伯爵様。私はお酒が飲めなくて……」
「でしたら貴族の嗜みを教えて差し上げましょう。時には、殿下の目の届かぬ所で羽根を伸ばすのも必要です」
伯爵が彼女の肩に触れる。
寒気が走った。
「ローレライ、探したよ」
後ろから声がかかり、振り返る。
ユリアンが顔を強張らせながら、ローレライと伯爵の間に立った。
「すみません、伯爵様。彼女と明日の奉仕活動について話すことがありまして」
伯爵は露骨に気分を害した顔をユリアンに向ける。
「ずっと部屋に籠もっていらっしゃったのに、最近は胡麻すりに熱心ですな」
ユリアンは嫌味に一瞬止まり、少しだけ笑った。
「皆さんほどではありません。僕はデルフィナの穴埋めをしているだけに過ぎませんから」
「それは……」
「ローレライ、こちらへ」
伯爵がデルフィナの名前を出されて言い淀んだ隙に、会場の外へ連れ出す。
ユリアンの横顔を見ると僅かに唇が震えていた。
「……どうして」
ローレライは思わず問いかける。ユリアンは困ったように眉根を寄せた。
「あなたは男性の怖さをご存知無いから。余計なことをしたなら、すまなかった」
ユリアンは廊下に控えている侍女を呼び寄せると、ローレライを帰すように命じた。
「今日はもう休んで。では、明日また」
ユリアンは彼女の後ろ姿が見えなくなるまで、廊下に立ち尽くしていた。
窓から差し込む月の光が、足元に黒い影を落とす。
いつの間にか手の震えは止まっていた。
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「また負けだ!やはり将軍はお強い」
「はっはっは、女神の右手のお陰です」
大きなカードテーブルを囲んで、煙草と酒を煽る騎士の礼装に身を包んだ男達。
その横の煙る硝子のテーブルには地図と駒、そして酒の注がれたグラスが乱雑に置かれている。
「メルティスを落とすなら今、か」
カードをぱさりと投げ、ジェラールはグラスを傾けた。
「そうです。落としてしまえば、更なる侵略への足掛かりになる。だめなら交渉してこちらに有利になるように土地を返せばいいのです」
「あそこは貿易の中核です。穀物の徴収でも、デルフィナ様の返還要求でも従わざるを得ない」
ジェラールはグラスに足された蒸留酒を流し込んだ。軍人の愛飲する酒は、喉が焼けるように熱くなる。
「そんなに上手く行くだろうか」
「我々がついております」
呂律が怪しくなりつつも彼は首を振った。
「陛下をどう説得する。メルティスは不可侵を条件に関税を軽くされているはずだ」
「何を弱気なことを。今、皇国を動かしているのはジェラール殿下ではありませんか」
ジェラールの頭の中で、彼らの声は甘美に響く。
「日和見主義の陛下にも、臆病な弟君にも出来ない。殿下だけが成せるのです」
「我々に栄誉をお与え下さい、ジェラール殿下。いや……未来の国王陛下」
最初に脳裏に過ったのは、デルフィナの顔だった。
王妃の冷ややかな言葉。怯えた顔のユリアン。そしてローレライの奇跡。
「筆を持て。私と共に時代を創りたい者は、ここに名を連ねよ」
ジェラールは持ってこさせた羊皮紙に、羽根ペンを走らせた。




