11話 リュネール執務室/大評議室
リュネール王城の一角。
シリルに呼ばれたランベルトは、黒褐色の重厚な執務室の扉を叩いた。
「失礼します。何か御用ですか、兄上……っと」
シリルの顔を見るなり、ランベルトはへらりと軽薄な笑みを浮かべた。
「すごい怒ってるじゃん。皇国?」
「外交の手紙とやらが届いた」
シリルはいきなり要件を告げる。
いつもより更に眉間に深く皺を刻んで、机の上の書状に目をやった。
触れるのも汚らわしいと言わんばかりの仕草に、ランベルトは自ら机に近寄って書状を手に取る。
しばらく無言で目を通していたが、次第に口元が引き攣っていく。
「……何だこれ。国境政策を理由に攻め込み?王太子と将軍の名前で宣戦布告だ?」
光に透かすように頭上に掲げ、布告文を読み上げる。
「本状を受領した時点をもって、両国間に存在する一切の友好的関係は停止されるものとする。七日後、皇国軍は国境を越え、メルティスを含む帝国領内への軍事行動を開始する……」
ランベルトは茶化すような笑い声を漏らす。
「おーおー、強い言葉使っちゃって。七日間の間に条件を受け入れれば、進軍はしないと……」
そこでぴたりと動きが止まる。
目を剥いて、ランベルトは反芻するように口に出した。
「条件は関所の明け渡しと、聖女の返還?」
シリルの視線を感じながら、もう一度上から素早く目を通す。
そして、彼は鼻で笑った。
「はっ、舐めてんのか? 一方的に不可侵条約破っといて、帝国を脅すつもりか」
書状を机に戻すと、ジェラールの署名を見て目を眇める。
彼が普段人に向けることのない、侮蔑を隠さない冷淡な目つき。
「ジェラール殿下は、思った以上に頭が悪いらしい」
「再生の書が判断を鈍らせている」
ランベルトの目線がシリルへ向いた。
「確定したのか?」
「ローレライが各地で行なったと言われる治癒だが、失った臓器を作っただの、生まれつき欠損した身体を治しただの……眉唾ものの報告ばかりだ」
机の上の書状を睨みながらシリルは深く溜息をつく。
「その力を以てして、この馬鹿馬鹿しい侵略を思いついたのだとしか思えない」
「あいつらは聖女の奇跡一つで戦力差をひっくり返せると思ってるのか」
暗い目でシリルは淡々と述べる。
「お互い重傷を負っても、あちらは命さえあれば復活して総司令官の首だけを狙ってくる。そういう集団がいると仮定してみろ」
「その間にローレライが死なない保証もないだろ」
「再生の書の加護によって不死に近い存在であれば?」
ランベルトは言葉に詰まる。
目線を横に流したシリルは思考を張り巡らせていた。
二人ともラウルスの力を知っているからこそ、もしもの可能性を捨て去れない。
「皇国の騎士団は戦いに飢えている。森林の魔獣を相手に一生を終えるより、歴史書に刻まれるような名誉を手にしたいのだろう」
「名誉ねぇ……」
応接用のソファの肘掛けに、ランベルトは立ったままもたれた。
「歴史書には本人や家族の文句なんて書いてないもんな」
シリルは彼の軽口に返事をしなかった。隙のない姿勢を崩すことなく、窓の外を見ている。
「明日、総会議を行い抗議文を送る。お前はそれが終わり次第、総司令官と共に国境に行ってくれ」
「デルフィナは?」
「ラウルス様のお力を使うと関所が使えなくなる。たとえデルフィナ様本人が望んだとしても、帝都近くの後方支援に回って頂く」
シリルの言葉にランベルトは胸をなで下ろす。
「そうだよな。あっちが進軍する前に、大森林に蔦の壁を作るぐらいなら出来るとは思うけど」
「皇国の偵察隊ももう向かっているはずだ。ご無理はさせないように」
「わかってるよ」
ふとランベルトは尋ねる。
「父上は、破滅の書について何か言ってた?」
「沼地の報告をしたら感心していらした。デルフィナ様を手厚く歓待するように、と」
シリルは声を落とす。
「ラウルス様のことは陛下と我々しか知らない。恐らく、公表することもないだろう」
腕を組んだランベルトは視線を中空に漂わせた。
「……まぁ、聖女が破滅の書の主っていうのは複雑だよなぁ。デルフィナは気にしてないけど」
「敬虔でありながらラウルス様のことを恐れない、度量の深いお方だ」
「本人は多分そんな風に考えてないけどな」
ランベルトは、吹き出した水脈に濡れながら笑っていたデルフィナを思い出していた。
本来、彼女は色んなことを受け入れて楽しめる気質なのだ。
聖女だからといって皇国に使い潰されるなど、あってはならないことだった。
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総会議は、王城の大評議室で行われた。
皇帝は最奥にある玉座に腰を下ろし、その右隣に皇后、左隣にシリルとアニエスが控える。
その一段下の長大な卓を囲むように、宰相や将軍、各領を治める諸侯が席についていた。
礼装と法衣に身を包んだランベルトとデルフィナは、重臣と同じ会議席に座る。
会議を進めるのは宰相や大臣、そしてシリルだった。まとめた意見を最終的に皇帝が判断する。
ランベルトとデルフィナは意見することなくそれを聞いていた。
やがてまとまった文書を、宰相が読み上げていく。
「我が帝国は、皇国が両国間に長く維持されてきた不可侵の取り決めを一方的に破棄したことに対し、正式に抗議する。皇国による今回の軍事行動は、正当な防衛ではなく、両国間の合意を顧みぬ一方的な武力行使であると認識している」
そして続けた言葉に、ランベルトはぴくりと眉を動かした。
「現在、皇国出身の聖女デルフィナ殿は、帝国の保護下にある。彼女は帝国において穏やかに暮らすことを自ら望んでおり、我が国はその意思を尊重している」
視線だけを動かして周りを見るが、みな一様に頷きながら聞いているだけだ。
「皇国が聖女の存在を理由として帝国への軍事行動を正当化するのであれば、我々は重大な懸念を表明する。皇国が七日後の軍事行動を撤回し、両国間の問題を外交的に解決することを求める」
皇帝も、シリル達も異論ないようだった。
諸侯が並ぶ卓からランベルトは声を上げる。
「どうしてここでデルフィナの名を出す?」
「そうですね。そこは削った方がいいでしょう」
隣のデルフィナはどこか他人事のように、ランベルトの言葉を肯定した。
「皇国側が、私の存在が取引の材料として使えると判断し、不利益になる可能性もあります」
「デルフィナ……?」
「私があなた方の枷になるわけにはいかないので。ご理解を願います」
宰相は眉を顰めたが、皇帝が「では、そのように」と頷くと頭を下げた。
「では……デルフィナ様の意見を尊重し、文書を一部改訂致します」
「ありがとうございます」
デルフィナは立ち上がり、玉座と宰相に向けて深く礼をする。
ランベルトは嫌な予感がした。
その後は今後の指示と皇帝の言葉があり、会議は終わった。
それぞれが分かれて軍議へ戻る中、シリルが段下のランベルトへ近付く。
「ランベルト」
「……ん?」
シリルが声を掛けると、一拍遅れてランベルトが微笑む。
その瞳は笑っていない。
「まだ、デルフィナは守るべき国の民じゃなかった?」
シリルの表情が凍りついた。
ランベルトは踵を返すと、シリルをその場に残し、デルフィナを連れて大評議室から出ていった。
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ランベルトとデルフィナは、無言で貴賓室へと戻った。
彼女の後に入ったランベルトは、ぱたんと扉を閉める。
「なぁ、デルフィナ」
ランベルトはさり気なくデルフィナの後ろに回る。
そして、彼女を壁に追い詰めるように手を置いた。視線を反らせないように屈んで顔を寄せる。
「何を考えてる?」
「何を……」
不思議そうに言葉をそのまま返すデルフィナに、彼はゆっくりと言い直す。
「戦争を防ぐために、何をしようとしてる?」
デルフィナは納得したように目を開いて、彼を見上げる。
澄んだ瞳はどこまでも静かだった。
「そうですね……私が戻ると言ってジェラール殿下をおびき出せば、ラウルスで捕らえられるのではないかと」
「そんなの許さない」
ランベルトの言葉にデルフィナははっとする。
感情を抑えて、小さくなった声。
彼女は、ランベルトに理解して欲しくて言葉を紡いだ。
それが更なる怒りを招くとは思わずに。
「聞いて下さい、ラン。私は……ただあなた達を守りたくて」
「騙し討ちなんかしなくても俺達は負けない」
「だけど、開戦したら多くの人が傷付くでしょう」
「そのためにデルフィナが傷付くのは仕方がないって?」
デルフィナは宥めるように言った。
「私は大丈夫です。ラウルスがいるから」
「でも駄目だ」
彼女の言葉を遮ったランベルトの言葉は、断固たるものだった。
「どうしてもと言うなら俺も行く」
「え……」
「大丈夫なんだろう?」
ランベルトは手を伸ばす。
そっとデルフィナの頬に触れた。
隠すことのない慈しみと、悲しみを滲ませた目がデルフィナを見ている。
「なら、俺があんたの盾になったっていいよな」
懇願するような声音と、優しい指先。
デルフィナは迷った。
迷った末に、首を振った。
「……止めましょう」
ランベルトは黙ったまま、彼女の頬をそっと撫でて体を離した。
視界の端を指先と彼の瞳が掠めていく。
ひと呼吸すると、ランベルトは両肩を軽く動かして礼装を整える。
「明日、俺はメルティスまで会談に行く。多分ジェラール殿下も来るけど、森林に壁を作りに行くのなら連れてくよ」
「はい……お願いします」
「会談中はいい子にして待ってて」
肩の飾り紐に触れながら、猫のような目がくるりとデルフィナに向く。
「勝手にどこか行こうとしたら、怒るからね。俺」
鋭い目つきのまま口の端で少しだけ笑うと、ランベルトは部屋を出ていった。
彼のいた場所が冷えていくような感覚に囚われ、デルフィナはその場から動けずにいた。
ぼんやりと部屋を眺める。
テーブルの上の本が目に留まり、緩慢な動きで向き合うように椅子に座った。
出すつもりのなかった言葉が無意識に口から発せられる。
「ラウルス。私が、間違っていたのでしょうか」
黙っていたラウルスが、短く答える。
「然り」
デルフィナはテーブルに顔を伏せて、ラウルスの背表紙を眺める。
「何がいけなかったのですか?」
「己で考えよ。さすれば進む道も自ずと見えよう」
デルフィナは目を閉じる。
取り乱したランベルトを見たのは初めてだった。
そして、自分がそうさせてしまったことへの重みを感じていた。
「……あんな風に」
「ん?」
「あんな風に私のために怒る人がいるなんて、思わなかったのです……」
ラウルスは穏やかに、寝かしつけるような速さで語りかける。
「少し休め。明日も、お主が為せることをするだけよ」
「……はい」
本の表紙に触れながら、デルフィナは微睡みに身を委ねた。




