12話 メルティス関門
メルティス領は田畑と果樹園の多い、長閑な土地だ。
主に魔獣対策で、国境の大森林に沿っていくつか詰め所がある。
関所の軍部がそれらの詰め所を統括していた。
入口には建物と一体となった、重厚な石造りの門楼。大きな門扉の両脇には見張り塔がそびえ、その周囲に鎧を着た兵士たちが配備されている。
門楼の一階には検問所と詰め所、その上に総司令官の執務室があった。
「本日はご足労頂き、ありがとうございます」
ランベルトは執務室でジェラールと将軍を出迎えた。
今日のランベルトは金の飾緒を胸元に垂らした黒い軍服に、威厳を出すため前髪を上げている。
その隣には、鉄灰色の軍服に勲章を着けた総司令官が並んでいた。
「お久しぶりです、王太子殿下」
「ああ。息災のようだな」
握手を交わしながら、白い軍服に身を包んだジェラールは端正な目元を僅かに緩める。
人の良い笑みを浮かべたまま、ランベルトは皇国の将軍とも握手を交わした。
「第二皇子のランベルト・リュネールと申します。アーデン将軍にお会い出来るなんて光栄です」
爽やかな青年といった雰囲気のランベルトに、アーデンは毒気を抜かれたようだった。
「おや、私のことをご存知で」
「大森林の東端を踏破された方ですからね。私も去年挑戦したんですが、翠嶺の岩壁で断念したんですよ」
悔しさを滲ませるランベルトに、アーデンは片眉を上げた。
会談前に私語をすべきではなかったが、アーデンは気になってしまい、彼に問いかける。
「……岩壁へは小隊で臨んだのですか?季節は?」
「一人で、春の雪解けの後に。七割ほど進んだ所で、強風で命綱と積荷が絡んで断念しました」
状況を思い浮かべたアーデンは同情混じりに溜息を吐く。
「不運でしたな。凪いでいたら登頂出来たでしょうに」
「アーデン将軍には女神様が味方していらっしゃる。失った腕を聖女様に蘇らせて頂いたというのは本当ですか?」
ぴくりとアーデンとジェラールの目つきが変わった。
目の前の明朗な青年。
彼が、デルフィナの今の婚約者だということを忘れてはいない。
「ええ。ローレライ様のお陰で、前線でぴんぴんしております」
恰幅の良い肩を揺するアーデンに、ランベルトは目を細めた。
「英雄の復活は喜ばしいですが、このような場で初めてお会いすることになったのは非常に残念です」
会話が途切れる。
長机を挟んで、両国の王族と司令官が席に着いた。
その後ろに外交官、書記官が控える。
扉の外には二色の軍服の護衛が立っていた。
「これより、帝国第二皇子殿下と皇国王太子殿下による会談を始めさせていただきます」
リュネール側の外交官が宣言する。
両国の書記官が筆記具を握り、外交官が書状を広げた。
まずは皇国側が宣戦布告の内容を読み上げ、続いて帝国側の抗議文を読み上げる。
「皇国軍は、四日後メルティスへの進軍を開始するおつもりか」
「すでに宣戦は布告した。撤回するつもりはない」
総司令官と将軍は身じろぎ一つせず、相手を見据えている。書状を読み上げながら、後ろの外交官も険しい顔をしていた。
「条件は関所の明け渡しと、聖女の返還です。その二つが履行されれば挙兵を取りやめることをお約束致します」
黙っていたランベルトが口を開いた。
「何故、我々がメルティスを差し上げなければならないのです?」
「関所の権利を貰い受けるだけだ」
「中枢に軍を置いて、支配では無いと言い張るのは無理がありませんか」
彼はわざとらしくジェラールに肩を竦めて見せる。
「聖女も同じこと。そちらにはもう新しい聖女様がいますよね」
「聖女はみなレグナ神聖公国に帰属する。国に一人しかいられない決まりは無い」
ぴくりと、ランベルトの目元が引きつった。
纏う空気が張り詰める。
しかし声を荒げることなく、静かに言葉を紡ぐ。
「彼女は言っていましたよ。私はもう必要なくなったのだと」
ジェラールは一瞬彼から視線を反らしたが、仕方ないのだと言うように首を振った。
「それは誤解だった」
ランベルトの声が一段低くなる。
「誤解だとしても、兵をけしかけて崖から突き落とした者に許しを乞う権利など与えられない」
重苦しい沈黙が落ちる。
皇国側の人間は一言も発さない。
ジェラールは不可解な思いで目の前のランベルトを値踏みしていた。
有能な皇太子の影に隠れて、執務を放り出す放浪児。そう聞いていた。
しかしランベルトのそれは、責任から逃げる人間の目ではない。
「王太子殿下。あなた方が協定を破ることを、国王陛下は何とおっしゃっていましたか?」
それどころか。
逃げた者が後ろめたくなるほどの意思を宿していた。
「……今回の件に陛下は関係ない。私に一任下さっている」
「領土も軍も、国王陛下のものなのに?」
揶揄するようなランベルトの言葉に、皇国の外交官が鋭く制止した。
「口をお慎み下さい。ジェラール王太子殿下に不敬です」
「あぁ……失礼しました」
ランベルトはゆっくりと顎に手を当てる。
何かを推し量るようで、全てを見透かしているような双眸。
「一つ教えて差し上げましょう。メルティスを武力によって占領すれば、この土地もやがて不毛化しますよ」
「何?」
「国王陛下は土地と精霊の関係をよくご存知だ。賢帝と呼ばれるに相応しい」
ジェラールの顔がかっと熱くなった。
間を繋ぐようにアーデンが咳払いをする。
「自然はそんなにヤワではない」
「そうですね。人間の発展速度が異常なのです。今は大陸中が手を取り合って乗り切るべきなのですよ、本来は」
「研究者のようなことを言う」
頬をひくつかせるジェラールに対し、ランベルトは余裕すら感じる佇まいだった。
「王命で帝国中を見て回ったので。半分は趣味ですが」
「貴殿は我々に説教でも始める気か?」
ランベルトは語気を緩めて軽く身体を引く。
「とんでもない。メルティスがあれば食料問題が解決すると思っているのならば、それは間違いなのだと知っておいて頂きたかっただけです」
皇国側の外交官と書記官の間には焦燥が漂っていた。
この場で最も若く、経験の少ないはずのランベルトに主導権を握られている。
彼の隣の総司令官も、落ち着き払った様子で前を見据える。
「確認しておこう。メルティスへ攻撃をするということは、両国が結んだ不可侵協定を破棄するという意味で間違いないな」
アーデンも目を逸らすことなく応じる。
「左様。戦争を始める以上、過去の取り決めに縛られるつもりはない」
「ならばこちらも、メルティスと聖女様をお守りする。これが最後の警告だ」
「ご理解頂けず残念です」
ジェラールの爛々とした目がランベルトを捕らえる。
書記官が冊子を閉じ、これ以上の滞在は不要だという空気が流れた時だった。
「……ところで、聖女様の持っている聖書ってこれぐらいの白い本ですか」
ランベルトは突然、帝国側に向かって両手で大きさを示す。
「その真ん中には宝石が嵌っていますか?」
「……何が言いたい」
怪訝な顔をしていたジェラールがランベルトを睨めつける。
ランベルトは軽く口の端で笑った。
「いえ。もしそうなら、非常に歴史的に価値があるものなので」
それきり黙る。
ジェラールは困惑してアーデンを見るが、彼もまた同じ表情をしていた。
皇国側の猜疑の目がランベルトに集中する。
しかし誰も違和感の正体を掴めないまま、その場を立ち去った。
彼らが去った直後、入れ替わりに衛兵がやってきた。
耳打ちされた報告に、ランベルトは顔を上げる。
「……何?」
ランベルトはすぐさま執務室を出ると、見張り台への階段を駆け上がった。
門楼の見張り塔からは、二つの山脈に跨った大森林と、木々を切り拓いて舗装された街道が一望できる。
街道の途中、馬車が停まっているのが見えた。
「来てるのか……!」
ランベルトはすぐさま見張り台を降り、衛兵からポーチと短剣を受け取って腰に下げる。そして一階詰め所の仮眠室で身を潜めていたデルフィナの元へ向かった。
ノックして扉を開けると、デルフィナが寝台から立ち上がる。
「ラン。会談は終わりましたか?」
デルフィナの気遣う表情と声に、ランベルトは一瞬緊張を緩める。
しかし目元をすぐさま引き締めると、デルフィナの手を取った。
「暗殺を警戒してか、ローレライが国境で待機してる。再生の書を持っているかラウルスに確認させよう」
「……!」
デルフィナの顔つきが変わる。ラウルスを抱えて、二人は裏門から大森林へ向かった。
ポーチから気配を消すための魔導具を取り出し、自分と彼女に噴霧する。
「こっちに斥候が使ってる道があるんだ。ラウルスが分かる所まで近付いたらすぐに退く」
「分かりました」
頷いたデルフィナは、ランベルトの足元に手を置いた。
「女神の御名に於て、疾く駆けよ」
すっと脚が軽くなる感覚が分かる。ランベルトは目を丸くして、デルフィナを見た。
「何これ。すっごい便利」
デルフィナは視線を交わして微笑む。
細道に足を踏み入れると、濡れた草の匂いがした。
二人はジェラール達が検閲所を抜けるよりも早く、山の中腹のなだらかな道に辿り着いた。
馬車の前には護衛が二人。
万が一のため、関所の近くに控えておくように命令されたようだ。
「ルシオラだ」
一言、ラウルスが呟いた。
「それが、再生の書の名前?」
「然り」
「持ち主は分かる?」
小声で囁くデルフィナに、ラウルスは答えた。
「魔力の高い人間だ。女神の加護は受けておらぬ」
デルフィナとランベルトは顔を見合わせた。
「とりあえず今は退こう。明日、蔦の壁を作ったらすぐに兄上へ報告に行く」
そして注意深く、音を立てないように茂みの中へと戻っていった。
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「……あら?」
「どうしたの?ルシオラ」
馬車の中、護衛に聞こえないようにローレライは膝の上のルシオラに問いかける。
「懐かしい気配がするわ。これは……あらあら、ラウルスではないの」
「お友達?」
ルシオラは軽やかに歌うような声で答えた。
「私達、一緒に生まれたの。帰ったらゆっくり教えてあげるわ、賢者が作った魔導書のお話を」
「そう……楽しみだわ」
遠くから、坂道をゆっくり登ってくる馬車の蹄の音が聞こえる。
窓の外を覗くと、山の向こうへ護衛が魔導具で合図を送っているのが見えた。
「その前に、こちらを済ませておかないとね」
もうすぐこちらの馬車に、ジェラールが戻ってくるはずだ。
ローレライは彼が来るまで、ルシオラの表紙に触れたままでいた。




