13話 リュネール王城
翌日。
王城へ戻ったデルフィナとランベルトは、簡単な昼食を取ってすぐさま軍議に参加した。
シリル、総司令官、参謀に並んで黒い軍服姿のランベルトが地図を囲む。
会談の内容を報告する書記官に、ランベルトは一言加えた。
「ありゃ独断だな。最近のオルヴァルらしくないと思ってたけど、国王陛下は関わってないと見て間違い無い」
「国王は友好条約を破棄するつもりはなかったと?」
ランベルトは言葉を探すように首を捻った。
「戦闘が始まったら友好条約が無効になるだろ。その前に国王から連絡が来る可能性も見ておいていいと思う」
「なるほど……」
腕を組んだシリルの目がランベルトを見る。
「援軍が期待出来ないなら、手持ちの兵で短期決戦で攻め落とそうとするはずだ。どう軍を進めてくると思う?」
ランベルトは、今度は迷いのない頷きを返した。
「アーデン将軍は森に詳しいし、小隊を組んで移動することにも長けている。街道のない森の区間にも先遣隊を行かせた方が良い」
兵を模した駒を、ランベルトが皇国側の森の間に配置していく。
「ここは?」
「ここは地面が滑るし岩甲熊の縄張りだから無理だ。近寄らないようにしてくれ」
その奥に一つ、駒を置く。
「必ず獣避けの魔導具も持たせて」
「畏まりました」
「光は目立つから合図は鳥笛にしてくれ。先遣隊と前衛で音変えて」
指示をしていくのを見ていると、ふとランベルトとデルフィナの目が合った。
ランベルトは自然な流れで地図の上にすっと指を滑らせる。
「あとこの辺と、この辺にデルフィナの魔法で蔦を張った。遮蔽として使ってくれ」
「畏まりました。ありがとうございます、聖女様」
デルフィナは総司令官に頭を下げられ、つられて小さく頭を下げた。
シリルは一瞬だけ複雑そうな素振りを見せたが、すぐに元の厳格な顔つきに戻る。
「恐らく、侵攻の前日には王太子と聖女がここまで来ている」
とん、とシリルが指を置く。大森林の東側、街道近くの皇国の詰め所。
「夜明け、朝日が皇国側から昇るのに乗じて山を超えてくるだろう。数刻で関所と詰め所を押さえに来るはずだ」
シリルの目が鋭くなる。
「明日、先遣隊をメルティスに向わせる。前衛は明日の夜に発ち、関所の手前の拠点で合図を待て。私は本隊を指揮する」
彼が確認するようにランベルトを見る。
「ランベルトと聖女様は拠点で前衛部隊の補助をお願いします」
「分かりました」
ランベルトとデルフィナは頷いた。
やがてシリルの指揮に従い、それぞれが準備をするために散って行った。
二人は無言で廊下を歩く。
貴賓室に着いて、言葉を発したのはデルフィナだった。
「ラン」
扉を閉めたランベルトが、彼女の方を向く。
「ん?どうした?」
ランベルトの瞳は穏やかだった。
彼女の言いたいことを予想しているような雰囲気だ。
「私、開戦前にジェラール殿下とローレライを止めたいんです」
「うん」
「その為に、夜、オルヴァルの詰め所へラウルスと行こうと思います」
デルフィナは一歩前に出た。
自分の言葉を待ってくれているランベルトを見つめる。
「一緒に来て下さい、ラン」
ランベルトは小さく息を吐いた。
項垂れ、デルフィナの肩に頭を乗せる。
「……いいよ。フィーナ」
肩に触れた重みに、デルフィナは動けずにいた。
ランベルトの熱を感じたまま、身体の緊張が緩んでいく。
彼女の安心した様子を感じ取ったランベルトが、ゆっくり顔を上げてデルフィナの顔を覗き込む。
「ほらね。俺だって、言ってくれたら怒ったりしないだろ」
「はい」
つられてデルフィナも笑みを浮かべていた。
「これからは、ちゃんと伝えるようにしますね」
「……うん」
ランベルトはその笑顔に見惚れていた。
そして誤魔化すことも諦めて、彼女に笑い返した。
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「二人の単独行動を許可することは出来ない」
「どうして」
シリルの執務室。
シリルとアニエスの向かいに、ランベルトとデルフィナが座っている。
少し前に出された紅茶には誰も手を付けていない。
「……分かるだろう」
シリルは総会議のことを思い出してか、気まずそうに首を振る。
「お前も、デルフィナ様も、帝国には必要なのだ。今回の件でよく分かった」
「こんな小競り合いで何かあっちゃ困るって?」
歯切れが悪いシリルに、ランベルトは直球で切り込む。
シリルは苦い顔をした。
「オルヴァルの拠点は、前衛隊がすぐ近くにいるはずだ。規模や配置も分からない」
「でも、再生の書に対抗するには俺達が行くしかないだろ」
「それは、そうだが……」
ランベルトはシリルの目を真っ直ぐに見つめる。
それは威圧するような熱ではない。ただ、自分達の判断とラウルスの力を信じている。
「危なくなったらすぐに退く。可能性があるなら、俺達が動くべきだと思うんだよ」
「しかし……」
「殿下」
アニエスが口を開いた。
皆が彼女の方を見る。
アニエスは、シリルを静かに見つめていた。
「失敗とは判断を覆すことではありません。感情で正しさを判断することです」
シリルの瞳が僅かに揺らぐ。
彼は目を閉じて一つ呼吸すると、デルフィナの膝の上のラウルスに向き直った。
「ラウルス様。そのお力は、人間を退けることも厭わないのでしょうか」
「契約において主を守り通せぬなど、ありえぬこと」
その言葉に、シリルは安堵した。
ラウルスの声に不安など微塵もない。
「俺は?」
「主の後ろにおれば、傷一つつくまいて」
「ついでかよ」
ぼやきながらも、ランベルトを包む空気は張り詰めていない。
もうランベルトは迷っていないのだ。
この場で迷っている時点で、シリルは一歩後ろにいるようなものだった。
「……陛下には、私の方から伝えておく」
デルフィナとランベルトは顔を見合わせる。
「ありがとう、兄上」
「アニエス様もありがとうございます」
デルフィナがアニエスに礼を告げると、アニエスの視線が止まる。
その表情もまた、迷いがなかった。
「あれを持ってきて」
アニエスが立ち上がり、使用人に指示する。使用人は長細い箱を持ってきた。
アニエスが蓋を開ける。
中に収められていたのは、真新しい杖だった。
「これを」
「え……?」
デルフィナは彼女に近寄り、差し出されたそれを受け取る。
月桂樹の枝を磨き上げ、柄には植物の模様と神聖文字が刻まれている。その先端には、紫色の魔導石が嵌め込まれていた。
「神聖魔法を使う場面もあるでしょう。リュネールの石で誂えました」
「アニエス様……」
「選ばれた貴方には生き延びる義務がある。私はそう思うのです」
アニエスは淡々と言葉を紡ぐ。
「命を救うことだけが救済ではありません。あなたが生きているだけで、多くの者が希望を持って生きられる。それを忘れないように」
そしてアニエスはデルフィナの前に立つと、胸に手を当てて頭を深く下げた。
「聖女デルフィナ様にお捧げ致します。御身に永劫の平和と安寧が訪れますよう」
デルフィナは姿勢を正した。
顔つきが変わる。
両手で支えた杖を額のサークレットに翳し、アニエスの頭上に掲げた。
「女神様のお導きに感謝致します。あなたにも久遠まで尊き恵みが降り注ぎますように」
杖の先端から白い光が灯り、アニエスを包み込むように瞬いて消えてゆく。
シリルとランベルトは、ただその光景に目を奪われていた。
「ありがとうございます、デルフィナ様」
「そんな……お礼を言うのは私の方です」
いつも通りの落ち着いた様子のアニエスに、恐縮して首を振る。
「あの……落ち着いたら、またお庭を見せて頂けますか?」
「勿論です。デルフィナ様」
アニエスは少しだけ目元を緩めた。
「じゃ、明日経つから、こっちのことは任せた」
「分かった。必要なものを今日中に軍部に申し付けておいてくれ」
扉の前でランベルトは軽く礼をし、デルフィナは深々と頭を下げて部屋を出ていった。
シリルは扉から視線を戻す。
そして逡巡したあと、彼女の方を見た。
「……私を情けないと思うか?」
アニエスはその表情を見て、少しだけ口元を上げる。
「大袈裟ですね。あなたは知らないでしょうが、人は失敗を恐れるものです」
彼女にしては珍しい冗談に、シリルは瞬きをした。
ゆっくりと近寄り、アニエスの髪に触れる。
その淡い色の金髪の美しさに、まだ祝福の光が残っているような気さえした。
「君も、ランベルトも、私が見ていないものを見ている」
「弱気になっていらっしゃるの?」
「人知を越えた力を前に、全く不安が無いわけではない」
彼女の優美な瞳を、シリルは眩しそうに見つめる。
「あなたにしか出来ないことはあなたが。私達が、それをお支えするのです」
シリルは何かを言おうと口を開きかける。
そして、自嘲するように小さく息を吐いた。
「……素直に伝えられるランベルトが、少し羨ましい」
シリルは髪から手を離すと、彼女の華奢な指先を持ち上げた。
白い手の甲にそっと唇を落とす。
シリルの瞳がアニエスを捉えた。
しかしシリルはすぐに視線を反らして、そっとアニエスの手を離す。
「……」
ちらりと彼女へと視線を戻したシリルに、微かな驚きが浮かぶ。
アニエスはいつになく柔らかな笑みを口元に湛えていた。
「言わなくても伝わっていますから、心配なさらないで」
シリルの硬い面差しから緊張が抜け、ふっと小さく笑う。
「……苦労をかける」
「もう慣れましたわ」
開け放した窓から、微かに花の香りが入り込んでいた。
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「どいつもこいつも……」
ジェラールは月明かりに照らされた部屋に一人でいた。
酒を煽り、積まれた書類の束の上に乱暴にグラスを置く。
羊皮紙に酒がじわりと染み出し、インクが滲んだ。
「私は無能じゃない。私は歴史に名を刻む。私は……」
覚束ない手つきで髪をかき上げる。
着衣は乱れ、呼吸は荒くなっていた。
「己の力で、父上を越えられる。それを証明しなければならない」
傍らの剣をすらりと鞘から抜くと、月光を受けて青白く光る刃にジェラールの顔が映っていた。




