14話 オルヴァル治療院/王城
ローレライは拠点へ向かう前日、皇都の治療院へ奉仕活動に来ていた。
ジェラールは渋い顔をしたが、アーデンは「聖女様には必要なことなのでしょう」と快く送り出してくれた。
ローレライはいつも通りに作業をする。
清潔な衣類やシーツを寄付し、名簿を照らし合わせ、他の治癒師と共に重症患者を治療していく。
腰にベルトでルシオラを吊るし、片手で本に触れながらもう片手を患部に当てる。
「より女神様を近くに感じるので」
そう話せば皆納得した。
前例が無いというのは便利だ。
「ありがとうございます、ローレライ様。まさか、もう一度歩くことが出来るなんて……」
「余命僅かと言われておりました。奇跡に感謝致します」
ベッドから体を起こし、口々に礼を言う寝たきりだった患者達。
窓から差す光に、彼女のヴェールが白く煌めいている。
そしてその額には、ジェラールに贈られた銀のサークレットが輝いていた。
「あなた方がここにいて下さったこと、私の声を聞いて下さったことに感謝致します。皆様に女神様の祝福がありますように」
ローレライがそう言って祈りを捧げると、彼らも同じように手を組んで涙を流した。
「聖女様……!」
聖女と婚約したと大々的に王族が発表したあと、わざわざ大聖堂で登録されているか確かめる者などいない。
デルフィナが着けていた本物のサークレットを目にしていても、ローレライのサークレットの真偽を疑うようなことはない。
そうしてローレライは、今はオルヴァルで唯一の聖女として過ごしていた。
「聖女様、帝国と戦争が始まるという噂は本当ですか?」
治癒師の一人に聞かれ、ローレライは軽く首を振った。
騎士団が動いていることは疑うべくもないが、宣戦布告のことは皇都の人々には知らされていない。
「不安に思うことはありませんよ。交渉に出るだけで、あちらの軍が皇都まで来ることはありません」
「父が国境近くに勤めていて……」
不安そうな治癒師に、ローレライは顔を曇らせる。
「最近は戦争なんて無かったのに」
「今回のことが終われば、帝国とも食糧について交渉が出来るはずなので」
自分に言い聞かせるように口が動いていた。
「……誰かがやらなければ、何も変わりませんから」
「ローレライ様も騎士団の治癒に当たられるのでしょうか。くれぐれも、お気をつけて」
手を両手で包むように握られる。
治癒師が、一心に彼女の身を案じているのが伝わってきた。
彼女が侵略の遠因であるとは露ほども思っていない。
ローレライは控えめに微笑む。
「ありがとうございます。騎士団の皆様と、無事に戻って参ります」
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帰城したローレライは一人、オルヴァル王城の廊下を歩く。
向かいからユリアンが歩いてくるのが見えた。
「ご機嫌よう、ユリアン殿下」
「ご苦労さま」
ローレライは立ち止まって礼をする。
会釈したユリアンは、腕に抱えた羊皮紙の束を抱え直した。
自然とそちらに目が向く。
「お忙しそうですね」
「そんなことないよ。防衛拠点について、ちょっと整備し直してるだけ」
「ユリアン殿下が?」
「念のためにね。長らく動かしていなくて不安だと陛下がおっしゃるから」
困ったように笑うユリアン。
ローレライは驚きを隠せなかった。
「国王陛下に采配を任されているのですね」
「誰でも出来る仕事だよ」
照れくさそうに呟く。
「父上は、僕から言い出すのを待っていたと……」
ローレライは目線を足元に落とした。
視線を戻すと、こちらを見ているユリアンと目が合う。
言うか迷った末に、ローレライは口を開いた。
「どうして、殿下はご公務に関わるようになったのですか?」
「うん?」
少し驚いたように瞬きをして、ユリアンはふっと笑った。
「君が、誰かのために望むことを教えてくれたから」
その言葉に彼女ははっとする。
以前投げかけた、辛辣な言葉と彼を軽んじる態度。
それにも関わらず、彼は晩餐会で自分を助けてくれたり、今もこうして接してくれている。
「申し訳ありませんでした。私……」
「いいんだ、気にしないで」
ユリアンは朗らかに笑う。
「気付かせてくれて、感謝してる。勇気を出して動いてみたら君の言う通りだったんだ。祈るだけじゃなくて、僕にも出来ることがあるんだって」
二人の間に僅かな静けさが落ちる。
ユリアンは真剣な眼差しでローレライを見た。
「君も……兄上と、関所へ行くの?」
「私にしか出来ませんから」
独り言のように呟く。
「結果さえ出せば、必要なことだったのだと分かるはずです」
「僕達が出来ないことを、あなたに背負わせるのは間違ってる。君は……」
「違うのです」
ローレライはユリアンが話そうとするのを遮った。
彼が、自分を庇う言葉を聞きたくなかった。
「私には責任があるのです」
デルフィナを追い出した責任。
ジェラールを焚き付けた責任。
ルシオラを引き継いだ者の責任。
「生命を繋ぐ者として、私だけが後ろで隠れていたら……彼らに申し訳が立たないから」
彼女の真摯な瞳を、ユリアンは眺めていた。
「君は、教会の聖女とは少し違うね。誰かと強く約束しているみたいだ」
「!」
ローレライの顔に緊張が走り、鼓動が早まる。
しかしユリアンは穏和に続ける。
「だけど、君らしくて良いと思う」
「……」
ユリアンは微笑んで、その場を立ち去った。
廊下に彼の足音だけが響いている。
「……僕も、君だけに背負わせたりしない」
ユリアンは国王の執務室の扉をノックした。
もう、手が震えることはない。
恐れずに進む姿を、彼女が見せてくれたから。
─────────────
「ただいま戻りました」
ユリアンと別れたローレライは、ジェラールの私室へ訪れる。
赤い絨毯と金とマホガニーの調度品、大きな革張りのソファ。
そして残った酒の匂い。
「おかえり。私のローレライ」
ジェラールは彼女が部屋へ入ってくると、気品のある柔和な笑みを浮かべた。
隣に座ったローレライを優しく抱き寄せる。
「疲れてないか?魔力はまだあるな?」
「はい。お許し下さってありがとうございました」
「礼には及ばない」
彼は穏やかな声音で応えて、ローレライのヴェールに頬を寄せる。
「君にしか出来ないことがあるんだ。そして、私にも」
「はい」
「本当の問題に目を向け、解決に導くことが出来る人間は限られている」
「……?」
ローレライはそっと彼の顔を伺った。
気取られないように息を呑む。
目の下に隈が浮かんだ、充血している瞳。
どこを見ているのか判然としないギラギラとした暗い光。
「明日は山のこちらから日が差すのを利用して、夜明け前に進軍する」
「……食糧問題を解決するため、関所を攻め落とすのですね」
ジェラールは笑った。
「手始めにな」
「え……?」
「関所を落としただけでは意味がない。森林沿いの詰め所もすべて押さえ、国境の防衛線をこちらの手に収める」
戸惑いを隠せずにローレライはジェラールの顔を見る。
「関所を条件に交渉するのではないのですか?そう布告を出したと」
「あぁ……そうとも取れるな」
ローレライの背筋が凍った。
考える間もなく、ローレライは彼にしなだれかかる。
瞳を潤ませて悲しそうに見上げた。
「殿下。そんな危険なことをなさらなくてもいいのではないですか」
「ローレライ。手段を選んでいては本当に欲しいものを取りこぼすこともあるのだ」
ジェラールは優しい手つきで彼女の肩を抱き留める。
しかしその目は彼女を映していない。
「他の者では成し遂げられない。しかし、私達なら出来るのだとアーデンが言ってくれた。私はその忠義に報いなければならない」
「ジェラール様なら……」
呆然と繰り返した言葉に、ジェラールは微笑む。
「君も、そう思ってくれたんだろう?だから私を選んだ」
「……はい。殿下なら、現状を変えてくれるかもしれないと……」
ローレライは目を伏せる。
「だけど、より多くの人が犠牲になるようなことは……」
「君は何百人の犠牲なら仕方ないと思っていた?そして、何人を超えたら非道だと思うんだい?」
思わず身体を強張らせて、ローレライは彼に委ねていた身を引き離した。
ジェラールは端正な瞳を細めて笑っていた。
目の奥には冷たい光が差している。
咄嗟に言葉が続かず、ローレライは青ざめる。
それを見たジェラールは口元に刻んだ笑みを深めた。
「その決断をするのは私だ。君は安心して、私についてきてくれたら良い」
そっと彼女の白い頬に触れる。
ローレライはぴくりと肩を震わせた。
「私を英雄にしてくれ。そして、共に皇国を救おう」
手足が冷たくかじかんだように動かない。喉の奥が締まって上手く声が出ない。
「……はい」
ようやく返事だけを絞り出す。
目の前のジェラールが、知らない人間のように思えた。
自室に戻ったローレライは、崩れ落ちるようなことはなかった。
椅子に座り、微動だにせずに何かを考えている。
一人きりの部屋で、彼女の腰のあたりから心配そうな声が掛かった。
「大丈夫?」
「……ルシオラ」
ローレライはベルトを外して、ルシオラを膝の上に乗せた。
癖で、無意識に銀色の装飾を撫でる。
しばらくそうしていたが、やがて自嘲気味に笑った。
「ふふ……私には悪女の才能が無いみたい」
「あなたは清らかな心の持ち主だもの」
撫でる手が止まる。
「そんなこと……」
思わず否定しかけ、口を噤む。
ルシオラには、そう思ったままでいて欲しかった。
これから自分がどうなるのか、自分にさえよく分からなくなっていた。
「……私のことは、もういいの。関所さえ落とせれば皇国にも希望が見えるはずだから」
本の表紙の白い宝石を見つめる。
「けれど、殿下がより多くの犠牲を払うというのなら」
「許せない?」
「……分からない。今は辛くても、皇国のためになるのなら」
ルシオラは優しく温度を持った声で、彼女にとっては残酷な言葉を紡ぐ。
「あなたは目の前で起こることを放っておけないはずよ。自分を犠牲にしてでも」
ローレライは、額のサークレットを外した。
「こんなもの……」
サークレットを握りしめる。
「もう祈っても遅い」
「悲しいことを言わないで」
ルシオラの決意を帯びた声が、耳を打つ。
「私があなたを守るわ。ラウルスと対峙することになっても」
「ラウルス……あなたの対になる書ね」
「関所の近くで、女神の加護を受けた人が持っていたの」
ローレライの脳裏に浮かんだのは他ならない彼女の姿だった。
今、リュネールに聖女は一人しかいない。
「……破滅の書も、あなたに気づいてた?」
「そうね。あなたのことにも」
ローレライは息を吐いた。
表情に力が戻り、目つきが変わる。
「破滅の書の力は、ルシオラより強いの?」
「強い?」
不思議そうに聞き返され、ローレライは言い直した。
「破滅の書を止められる?」
「ラウルスが破壊した物を直すことは出来ないわ。けれど、強制的に引き出された自然の力を戻すことは出来る」
ルシオラの答えに、彼女は思考を巡らせながら頷く。
「無効化出来るのね。それなら、破滅の書が動いたら私達も止めに行くわ」
「本当は危ないことはして欲しくないのだけれど……私達の夢のために、立ち向かいましょう」
ローレライは愛しげに目を細める。
「ええ。私達の夢のために」




