8話 リュネール王城/城下町
ランベルトとデルフィナは、青い絨毯が敷かれた長い回廊を歩く。
穏やかな光が等間隔に窓から差し込み、窓枠が模様のように床に浮かび上がっていた。
「教会でサークレットと魔力を照合したら、すぐに身元は保証されると思うよ」
ランベルトは先を歩きながら、ついてくるデルフィナの姿を肩越しに確かめている。
「兄上達は疑って無かったし、皇国に入り込んでる貴族から聞いてる情報があるのかもしれない」
「そうなんですね」
足を止めると、ランベルトは金の装飾に縁取られた白い貴賓室の扉を開ける。
「ここ、好きに使っていいから」
デルフィナは部屋に入り、豪奢な部屋を見回した。
壁には彫刻を施した木の腰壁が巡らされ、その上を灰青色の壁紙が覆っている。
部屋の中央にはソファと一人掛けの椅子。奥には鏡台と、房飾りのついた布が掛かった寝台も用意されていた。
「とりあえず、教会とか兄上に呼ばれる時以外は自由にしてていいんじゃない?調べものとか観光とか、したいことがあれば俺に言って」
「ありがとうございます」
デルフィナの視線が泳ぐ。
「ラン……ベルト様」
「今まで通り、ランって呼んでよ」
ランベルトは少しだけ屈んで、猫のような瞳でデルフィナを覗き込む。
初めて向けられる寂しそうな表情に、デルフィナは言葉に詰まる。
「……では、私のことも同じように呼んで下さい」
ランは少し考えて、デルフィナを見る。
「フィーナ?」
「ちっ……違います!デルフィナと」
顔を紅潮させて否定するデルフィナに、ランベルトは悪戯っぽく笑う。
「はは。愛称で呼んでほしいのかと思った」
「そんな風に呼ばれたことないです」
デルフィナは熱くなった頬を冷やそうと手を当てる。その仕草をランベルトは面白そうに眺めていた。
「家族とか婚約者にも?」
「厳格な家でしたし。ジェラール殿下とは一年ほど婚約しましたが、私的な話をすることはありませんでした」
ランベルトの目元が眇められる。
「……道理で旅が楽しいわけだ」
「え?」
ことさら明るい声になってランベルトは笑いかける。
「明日は帝都の街へ行こう。見たことないだろ?」
「ええ」
「じゃあ、朝に迎えに来る」
彼は扉を開けて、出ていく前に振り返る。
「ここ数日大変だったろ。風呂とか飯は侍女が案内してくれるから、休んで」
「ありがとうございます。ラン」
変わらずランと呼ばれることに、彼は頬を緩めると扉を閉めていった。
─────────────
翌日、迎えに来たランベルトはデルフィナの姿に目を奪われた。
「どうしたの。可愛いじゃん」
「法衣を洗うからと、使用人の方が……」
薄紫のドレスを着たデルフィナは、少し恥ずかしそうにしていた。
柔らかな布を腰の細いリボンで締め、襟元と裾には白い花の刺繍があしらわれている。
耳にはパールのイヤリングを着け、髪は共布のリボンで結い上げていた。
全て使用人達のされるがままに整えて貰ったものだった。
「似合ってるよ」
まじまじと見つめて改めて言うランベルトに、デルフィナは頬を染めて視線を泳がせた。
「あの……ランも」
ランベルトも今日は旅装束ではなく、髪を梳いてシャツとベストに翡翠のループタイをしている。そうしていると、品のある佇まいや落ち着いた表情が前面に出ていた。
ランベルトは手首のカフスボタンに触れながら流し目をする。
「格好良い?」
「ちゃんとした人に見えます」
彼はきょとんとした後、声を上げて笑う。
「そう。整えたら、ちゃんとして見えるだろ」
デルフィナは部屋を出る前に、テーブルの上のサークレットとラウルスを見る。素性を隠すために今日は置いていくことにした。
「ではラウルス、行ってきますね」
「身の危険があれば小僧を盾にするのだぞ」
ランベルトが肩を竦めた。
「分かった。今日は俺が盾になるよ」
外に出ると、朝日が城下に広がる街並みを照らしていた。
市街地に向かう馬車に揺られながら、デルフィナは落ち着かない様子で額を撫でる。
「サークレットをせずに外出するの、聖女になってから初めてです」
「どれくらいぶり?」
「十六歳で力を発現したので、五年ぶりでしょうか」
ランベルトは思わず声を漏らす。
「ずっと聖女でいるのも疲れるだろ。俺なんて正装も月に二、三回しか着ないのに」
「それは……大丈夫なのですか?」
「優秀な皇太子夫妻がいるから」
思わず心配するデルフィナに、彼は呑気にぐぐっと伸びをする。
「俺は公務を免除される代わりに実地調査したり、お忍びで領主や軍部へお使いに行ってるんだよ。兄上は便利に俺のこと使って、俺は旅を楽しむ。いい関係だろ」
「皇帝陛下は何と?」
「適材適所だってさ。兄上が為政者として優秀すぎたんだよな」
伸びた前髪をそっと指で払う。
その瞳には劣等感ではなく、自分がしてきたことへの自負が表れていた。
「でも、俺がそれなりに器用なお陰で助かってるみたいよ?」
「それは、何となく分かります」
冗談めかして笑うランベルトに、真面目に頷くデルフィナ。
「ランがいると、周りの空気が柔らかくなる感じがして」
「……ふーん」
ランベルトは急に静かになって指を組む。褒められると黙ることに、デルフィナも気付いてきていた。
───────────
帝都の街に降り立ったデルフィナは、目を輝かせて辺りを見回す。
「これが……帝都」
温暖な気候の帝都は、常春と謳われるのも納得するほどの色彩に溢れていた。鮮やかな緑の街路樹に、色とりどりの花が窓辺や露店を彩っている。
大通りの両脇に建つ建物も、皇国とは比べものにならないほど華やかだった。白亜の石造りに青や金の装飾を施した商館や、鮮やかな色の屋根を持つ邸宅が立ち並ぶ。
その少し先には幾重にも連なる露店が見えた。
「あれが街の小市場。あっちが、北の領地とか公国とか王国産の大市場だ」
ランベルトが反対側の橋の向こうを指さす。遠目にも更に人が増え、広い道幅いっぱいに広がるテントの屋根が見えている。
「はぁ……」
眺めるだけで目を回しそうになりながら、行き交う人にぶつからないように歩き始める。
豪奢な衣装の貴族、その後ろを歩く使用人。集団で移動する聖職者。子供と歩く籠を下げた平民。大きなリュックを背負った旅人。
そして聖女のデルフィナと、第二皇子のランベルト。
「大丈夫?もう疲れてない?」
支えるように側に立つランベルトに、デルフィナは弱々しく笑みを浮かべる。
「こんなに大きな街に降りるのは初めてで」
「今日は無理せずに行こう」
ランベルトはゆっくりと、デルフィナが人にぶつかられないように身体を寄せて半歩後ろを歩く。
「何か見たいものはある?」
「ええと、何も分からないですね……」
弱気な返事に、ランベルトは吹き出すように笑った。
「分かった。じゃあ、まずは甘いもので元気出そう」
ペストリーの路面店に着くと、二人は前のめりに陳列台を覗き込む。
南瓜やベリーのパイに、苺や梨を乗せた宝石のように輝くタルト。ハートのような形をしたパイ生地を焼き上げたパルミエ。
「絶対食べたいのどれ?」
「そうですね…ラズベリーのパイと、梨のタルトがいいです」
「じゃあそれと、レモンパイと、シナモンロール」
品物を入れた袋を抱えて歩き出すと、デルフィナがランベルトを呼び止める。
「ラン、あれは?」
「あれは鴨の串焼き」
「街でも売ってるんですね」
ぱぁっと表情が明るくなるデルフィナを見て、ランベルトは笑いを堪える。
「食べる?」
「いいんですか?」
「そんな顔されて、買わずに帰るわけにはいかないだろ」
二人はベンチに腰掛け、まずは手に持った串焼きを食べる。塩と黒胡椒で味付けした鴨は、野宿した時とはまた別の味わいがあった。
「やっぱり美味しいです」
デルフィナの満足そうな顔を見てランベルトは目を細める。
パイとタルトも、彼女は華奢な体に似合わずぺろりと食べてしまった。
「少しは観光もする?人の少ないとこ」
ベンチから先に立ち上がって、手を差し伸べるランベルト。デルフィナは微笑みながらその手を取った。
「はい、お願いします」
────────────
夕暮れ前に馬車で城まで戻ると、二人はシリルのいる執務室へ呼ばれた。
「急にお呼び立てして申し訳ありません。お耳に入れたいお話があります」
シリルは鳩が届けた、小さく折り畳まれた伝令書を手にしていた。
「ローレライという治癒師ですが。オルヴァル国王の前で、盲いた者の目を蘇らせたという報告を受けました」
デルフィナは目を見開く。
「そして、その功績を称えジェラールと婚約式を行う予定だと」
「……そうですか」
ランベルトはそっとデルフィナの表情を伺う。彼女の表情に傷心や落胆といったものは見られなかった。
そのことに安心する。
「その治癒魔法は本当に神聖魔法だったのですか?」
「目を治した時の話ですが、ローレライは膝の上に聖書を乗せたまま治癒魔法を使ったそうです」
「聖書を?」
「治癒の際は、祖母から譲り受けた聖書を持っているそうです」
誰も何も言わなかった。
確信めいたことを言うのを躊躇しているような時間。
その沈黙こそが、雄弁に一つの疑いを象っていた。
「……ラウルス、再生の書とはどんな形をしているの?」
「白い表紙、白い石」
「あなたが見たら分かる?」
「然り」
考え込むデルフィナに、シリルが話しかける。
「差し当たって、貴方が皇国に見つかっても戻れない理由を作らせて頂きたい」
「はい」
「ランベルトと婚約をして頂きたいのです」
デルフィナはランベルトを見る。
「彼と、婚約ですか?」
ランベルトは既に話を聞いていたようだった。驚いている彼女を安心させるように軽く言葉を掛ける。
「仮の婚約だよ。この件が落ち着いたら、解消して構わない。今はデルフィナの身の安全が一番だから」
「……ランはそれでいいのですか?」
「多分、これを逃したら」
ランベルトはデルフィナに向き合うと、照れたように笑った。
「あんたみたいな美人と婚約する機会なんて二度と無いからな」
「また適当なことを……」
「本当だよ」
彼女は呆れた顔をして見せたが、ランベルトは軽口にそぐわない、穏やかな瞳で彼女を見つめていた。
デルフィナは緩く笑ってランベルトと視線を交わす。
「そこまで言うなら……お願いします。ラン」




