7話 メルティス関門
森を抜けたデルフィナとランは、メルティス領の関所にある宿に泊まった。
「明日の馬車の手配とか、ちょっと伝書鳩飛ばしてくる。ゆっくりお風呂でも入ってて」
ランはそう言って一人で出掛け、夕方には戻ってきて一緒に食事をした。
三日ぶりに入る風呂は気持ち良かった。
翌朝の街道前は、帝国と皇国を行き交う商人や旅人で賑わっていた。
「人が多いですね」
「森林と山脈に挟まれてるから、皇国行くならメルティスしかないんだよ。山道ではあるけど、自警団のお陰で熊も出ないしな」
にやりと笑うと、ランは帝都へ向かう馬車に乗り込んだ。その向かいに法衣を着たデルフィナが座る。
「……そういえば、杖を持ってないんだな」
「落としてしまって。これも魔導具なので、少しなら魔法は使えるんですけど」
聖女の証である銀のサークレットに触れる。
「我がいれば必要あるまいよ」
デルフィナの膝の上から、誇らしげな声が聞こえた。彼女は口元を緩ませてラウルスに触れる。
「そうですね」
「あんた甘やかしすぎだよ、この爺さんのこと」
「馬車を降りろ、小僧」
「俺が払ってんだぞ」
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車軸と車輪に魔導石を埋め込んだ馬車は軽やかに走り、昼下がりには帝都の門をくぐることが出来た。
華やかな市街地を抜け、高い塀で囲まれた城門内の街を更に進んでいく。
「広いですね」
「教会もこの辺にあるよ。神聖公国の大聖堂ほどじゃないけど、でかいから見に行くと良い」
坂を登りきって王城の門の前で馬車が止まった時、デルフィナは思わずランを見た。
「俺のこと知っても、引かないでね」
ランは苦笑いを浮かべていた。
「お待ちしておりました。南側の応接室にご案内するように仰せつかっております」
旅のリュックを使用人に預け、臆することなく歩くランの背中についていく。
執事が応接室をノックした。
「シリル皇太子殿下、アニエス妃殿下。ランベルト殿下がお見えです」
上座のベルベットのソファには、まだ若い夫婦が座っていた。
仕立ての良い刺繍入りの長衣に、サファイアのブローチをつけた、ダークブラウンの髪の男性。
その横に座るのは淡い金髪を結い上げた、サファイアの首飾りと菫色のドレスの貴婦人。
二人は立ち上がって、デルフィナに丁寧な挨拶をした。
「お初にお目にかかります。聖女殿」
「災難に遭われたようですね。リュネールはデルフィナ様を歓迎致します」
デルフィナは瞬きをした。
一瞬の逡巡のあと、胸に手を当てて礼をする。
「突然の訪問申し訳ございません。ご厚情に感謝致します」
彼女が顔を上げた時、シリルは涼やかな目元を僅かに細めていた。
「よく帰った、ランベルト」
「ただいま。兄上」
ラン──ランベルトはちらりとデルフィナを見て、気まずそうに片目を瞑った。
今は何も言うなという表情だ。
彼が引き合わせたかった「ある人」が、シリルなのは確かなようだった。
「黒蛍花を採って、ついでに国境あたりの遺跡を調べようとしてたんだけどさ。大体は鳩で送った通りだよ」
「まずは確認をさせて下さい。貴方はオルヴァル皇国の王太子、ジェラール・オルヴァルの婚約者である聖女デルフィナ様で間違いないですか?」
シリルの言葉に、デルフィナは頷いた。
「そうです。三日前に婚約破棄され、国を追われることになりましたが」
「何故、国を追われるような事態に?」
「新たに力を発現したローレライという聖女と結婚するから、私はもう必要ないのだと。聖女を詐称した罪で拘束すると言われました」
ランベルトは目を剥いた。
「はぁ? 何だよそれ」
デルフィナは淡々としていた。
あの夜の心情は言い表せないほど悲痛なものだったが、ラウルスとランベルトと過ごす内に、既に遠くに置いてきた過去のような感覚にまでなっていた。
聖女になってから何年も肌身離さず持っていた杖の代わりに、今は革の感触と本の重みがある。
「国境の森まで逃げ、崖の中で封印されていたラウルスと契約しました。その後、追っ手から逃げているところをランベルト殿下に助けて頂いたのです」
「あぁ…そうだったんだ」
アニエスが呆れたようにランベルトを見る。
「何も聞いていなかったのですか」
「リュネールの軍に話したいことがある、とだけ聞いてたから。訳ありなんだろうとは思ってたけど」
デルフィナはシリルに向き直った。
彼女の静謐な瞳には怒りと決意が滲む。
「私は、ジェラール殿下が計画していた侵略戦争を阻止するために、こちらへ来ました。民に血を流させたくないのです」
「……デルフィナ様のご意思は分かりました。今一度、軍部も含めた話し合いの場を設けさせましょう」
シリルは毅然として頷いた。
そしてその視線は、デルフィナの手元のラウルスに移った。
「しかし、封印されていた魔導書をデルフィナ様が見つけるとは……お導きとは異なものですね」
彼は高揚を隠せず、黒い装丁を注意深く観察している。
「申し訳ありませんが、破滅の書を見せて頂くことは出来ますか?」
「断る」
突然響いた低い老人の声に、アニエスが思わずシリルの腕に縋った。
シリルも一瞬ぎょっとしたが、すぐに落ち着いた表情に戻りアニエスに手を添える。
「これは、失礼致しました。ラウルス様」
「我は契約者以外に触れられるのを良しとせん」
ランベルトは肩を竦めた。
「破滅の書は気難しいんだ。基本的に契約者のデルフィナ様の言うことしか聞かないし、まともに話も聞いちゃくれない」
「跪いて頭を垂れれば教えてやらぬこともない」
前のように窘めることはせず、デルフィナはラウルスに触れて穏やかに語りかけた。
「ラウルス。シリル殿下の質問に答えてくれませんか?私もあなたのことについて何も知らないので、教えて欲しいのです」
「ぬ……」
しばらく沈黙が落ちる。
デルフィナがラウルスを見つめていると、ようやく溜息交じりの声がした。
「して、何が聞きたい」
シリルはラウルスに向かって恭しく頭を下げる。
「ありがとうございます、ラウルス様。貴方様を封印したのは前の契約者の魔導士アズリエル様でしょうか」
「左様」
短い肯定だったが、シリルの声が上擦る。
「どのような者が封印を解いて契約を結べるのですか?」
「力に溺れぬ者」
ほぅ、とランベルトはデルフィナを見て声を漏らした。
「見る目あるな」
「出ていけ、小僧」
「ここ俺の家なんだって」
シリルはランベルトの物言いに怪訝な顔を向けたが、ラウルスの手前、何も言わずに質問を続けることにしたようだった。
「再生の書と対で作られた存在と伝え聞いておりますが、どちらもアズリエル様や聖女様のような方が契約者に選ばれるということですか」
「否。再生の書とは同一にも対照にも非ず」
デルフィナが首を傾げる。
「全く違う力を持つということ?」
「共に作られて、性質に合わせた名を付けられただけだ」
意外な言葉に、デルフィナも耳を傾ける。
「私は自然を生かす者としてお主を選んだ。再生の書は、生命の営みを助ける者を選ぶ」
「生命の営みを助ける……?」
彼女は目線を落として思案する。
再びシリルが質問した。
「再生の書はどのようなお力があるのですか」
「摂理を越えて生命に干渉する」
「……死者を生き返らせたりも?」
「否。器から離れた魂は戻らない」
それを聞いて密かにシリルが息を吐く。
落胆であり、安堵でもあった。
「対ではないのであれば、どこに封印されているかもご存知ないのでしょうか」
「然り」
デルフィナはラウルスの黒曜石を見つめた。今、彼女は繋がっているラウルスの魔力を感じている。
「全く分からないの?」
少し黙った後、ラウルスは答えた。
「眠ってはいないようだ。恐らく、主と認めた者と共にいる」
息を呑む音が聞こえた。
シリルも、アニエスも、ランベルトも動揺を隠せない表情でお互いの顔を見る。
数秒、誰も言葉を発さない。
シリルが咳払いをした。
次に彼が問いかけた内容は、デルフィナも意識を奪われるものだった。
「再生の書は、失った腕や盲した目も蘇らせることが出来るのですか?」
「然り」
シリルは深く頷き、アニエスもその様子を見ている。
デルフィナはどこかぼんやりと虚空を見ていた。
デルフィナが視線を戻すと、シリルと目が合う。
気が急いたのか、彼は報告を読んだ時に浮かんだ考えを口にしていた。
「ラウルス様は、不毛の地となった土地に再び緑を蘇らせようとは思われませんか」
一拍置いて、ラウルスは嗤った。
「リュネールの皇太子と言ったか?小僧の方がまだ弁えておる」
ぴくりとシリルの手が震え、頬が強張る。
「度を超えた発言、お許し下さい」
軽くランベルトが首を振った。
「兄上は国のことで頭がいっぱいなんだ。許してやってくれ」
「ふん」
頭を下げるシリルに、ラウルスは深く関心を持っていないようだった。
「ラウルス。私は、やってみたいです」
そこへ思わぬ方向から声がかかった。
「あなたが不毛の地をどれだけ緑で壊せるのか、見てみたいのです」
「お主、よもや小僧どもに乗せられてはおるまいな」
「いいえ」
デルフィナの瞳は、誠実さよりも好奇心が覗いていた。
「不毛の地で、あなたを思い切り使ってみたくて」
「ぬ……」
ラウルスは威厳を保ったまま、言葉を捻り出す。
「良かろう。我の力をとくと見るが良い」
「ありがとうございます、ラウルス」
シリルは穏やかに声を掛ける。
「貴賓室を用意したので、そちらにご滞在下さい。明日以降のことはランベルトに一任しております」
「では、失礼します。兄上、義姉上」
ランベルトがデルフィナに固い笑みを浮かべる。
「……案内します」
「……はい」
デルフィナも似たような表情で、応接室を後にした。




