4話 大森林①
「朝飯、食べた?」
「いいえ」
「昨日の晩飯は?」
「いいえ……」
デルフィナは彼を困らせるかと思ったが、ランは可笑しそうに笑っていた。
「じゃあ、まずは飯だな」
デルフィナは歩き出した彼の後ろをついていく。
「紫鬼灯って食べたことある?」
しゃがんだランが足元の草を掻き分けると、小さな果物の木が現れた。
地面から伸びた細い茎の先々に、薄紫色の小さな袋がいくつも吊り下がっている。薄い殻越しに実が透けて見えた。
「食べたことないです」
デルフィナも屈んで興味深そうに覗き込む。ランはその表情を見て口の端に笑みを浮かべた。
「見た目こんなんだけど美味しいよ」
ランが実の根元をつまむと、薄い袋は簡単に茎から外れた。
そして彼は安全だと証明するように、皮を剥いた実を口に放り込んだ。
「ん、甘い」
「私も取ってみていいですか?」
デルフィナも紫鬼灯に手を掛ける。
袋を破いて、出てきた実を半分だけ齧った。
「……!」
口元に手を当て、目を輝かせる。
「美味しいです」
「そりゃ良かった。採っていくか」
ランの採集用の麻袋に、二人は摘んだ紫鬼灯を次々と入れていった。
膨らんだ袋をデルフィナに手渡して、ランは木々の隙間から覗く日の光と風の流れで方角を確認する。
「ここから南下すると川がある。獲物を探しながらそこの野営地まで戻ろう」
「野営地?」
「昨日の夜、河口の方へ黒蛍花を採りに来てたんだよ」
デルフィナの口から驚きが漏れる。
「黒蛍花があるんですか?」
「少しだけな。夜に魔力が蓄積して光ってる花だけ摘んでるんだ」
感心したようにデルフィナはランを見つめる。
「ランは優秀な採取者なのですね」
「そんなんじゃないよ」
ランは顔の前で手を振って視線を反らした。
「行こう。鬼灯、歩きながら食べていいから」
「歩きながら食べる?」
聞き返したデルフィナにランは思わず笑う。
「やったことない?」
「いえ、あの……食べにくくありませんか」
「……やっぱり少し食べてから行こう」
デルフィナの手から麻袋を取り返すと、返事を聞く前に手近な木の幹に腰を下ろした。
「聖女様が舌を噛んだら大変だから」
鬼灯を一つ頬張り、もう一つを差し出す。
デルフィナは釈然としない表情で受け取った。
「出来ますよ。多分」
「いいから、ほら」
半分ずつ食べるデルフィナに、更に一つ差し出す。
慌てながらも行儀よく噛んで飲み込む様子を、ランは可笑しそうに眺めていた。
しばらく山を下ると、森も少しずつ明るくなって生き物の気配が増える。
川の水音が聞こえた辺りで、前方を歩くランがデルフィナを手で制した。
もう片手で唇に人差し指を当て、言葉を発さずに前方を指さす。
川べりに二羽の鴨が羽を休めている。
中腰になり、ランは腰のポーチから捕縛具を取り出した。三つに分かれた紐にそれぞれ鉄の分銅が括り付けられている。
その分銅を、頭上で一度、二度と回す。
「……行け」
手を開く。
鉄球が飛んだ。
一瞬、三つの軌跡が空に広がる。
次の瞬間には、鴨の翼と脚へ紐が絡みついていた。
鴨は水面へ落ち、もう一羽は羽を広げて飛び去った。
「よし」
ランは短く叫んで駆け寄る。腰からナイフを抜くと、デルフィナに背を向けて仕留めた。
「ちょっと待ってて」
背中で視界を遮ったまま川で血を洗い流すと、鴨を抱えてデルフィナの元へ戻る。
「野営地までもうすぐだから、これで昼飯にしよう」
「狩りがお上手なのですね」
目を大きく見開いていたデルフィナは、思わず一歩身を乗り出した。
ランは困ったように笑う。
「デルフィナ様は人を褒めるのがお上手だな」
「ランは素晴らしい技術をお持ちです」
「んー……冒険者を見るのが初めてだからじゃない?」
軽く流そうとするランの腕に触れ、まっすぐに顔を覗き込んだ。
「そんなことありません」
ランは一瞬怯んだが、意味深な笑みを浮かべてほんの少し顔を寄せる。
猫のような目元が、デルフィナを捉えて鋭く光った。
「駄目だよ。あんたみたいな美人がそんなに簡単に心を許しちゃ」
「っ……!」
デルフィナは慌てて手を離して下がる。
その瞬間、ぱっとランは満面の笑みになった。
「はは。美味い飯作るから楽しみにしてて」
デルフィナは頬を赤くして、ラウルスと紫鬼灯の入った袋を抱え直す。
ランの耳が僅かに赤くなっていたことに、彼女は気づいていなかった。
野営地は日当たりの良い、少し開けた場所にあった。
木の間に張ったテントと、炭の残る焚き火跡。傍らには空の水桶と椅子代わりの巨木の幹が置かれている。
「素敵ですね」
デルフィナが感嘆の声を漏らす。
ランは、彼女が全てに新鮮な反応を返すのが楽しくなってきていた。
「ベッドは無いから、地面が硬くて寝れないかも」
「平気です。寝床の足りない救護院で一晩を過ごすこともありますから」
「……そっか。大変なんだな」
ランは広げた布に鴨と、ナイフを二本並べる。
油を染み込ませた端布で焚き火に火をつけながら、後ろのデルフィナに声をかけた。
「俺の服で良かったら貸すから、テントの中で体拭いてきたら?服とか髪は川で洗えるし」
「ありがとうございます」
「着替えは中のリュックに入ってるから。悪いけど水はそこの桶で汲んできて」
デルフィナは調理をランに任せ、川から水を汲んでくる。
テントの中のリュックには石鹸の匂いがするシャツとズボン、そして携帯用の薄手の寝具が入っていた。
その横にラウルスを置く。
「……また、夜に」
表紙を撫でてそれだけ声を掛ける。
デルフィナが川から髪と法衣を洗って戻ると、ランが鴨を捌き終えて肉と茸を金属の串に刺している所だった。
着火した焚き火の風上に渡したロープを串で指す。
「こっちで服乾かして」
「はい」
串に塩を振って焚き火の横に刺し、石で固定する。
二人は並んで木の幹に腰掛けた。
「その茸、いつ採ってきたんですか?」
「今。生食は出来ないけどその辺に生えてるし、結構美味しいよ」
しばらくして、石を外してランが串を持ち上げる。焼き色がついた鴨肉からは香ばしい匂いが漂っていた。
「熱いから気をつけて」
「ありがとう。いただきます」
同時に鴨肉にかぶりつく。新鮮な肉汁と脂の豊かな風味が口の中いっぱいに広がる。
二人は顔を見合わせた。
自然と、どちらからともなく笑みを浮かべた。
「な?」
「はい!」
それだけ言葉を交わし、お互いの串焼きと向き合う。
ランはデルフィナをちらりと確認する。
目元を緩めて舌鼓を打つ姿が、目に焼き付いた。
「はー、生き返ったな」
食べ終えたランは、焚き火から離れた草の上に寝そべる。昼下がりの木漏れ日が赤茶色の髪を照らしていた。
それを見たデルフィナも、つられるようにゆっくり伸びをして深呼吸した。
水と草の匂い。
「疲れたろ。少し寝てもいいよ」
「いえ……昼間は眠れないので」
「あー、そんな感じするな」
ランは寝たままデルフィナの方を向いて、肘をついた。
「デルフィナ様って、何が好きなんだ?」
「……鴨の串焼き、好きです」
「あとは?」
「紫鬼灯も好きです」
真面目に答えた彼女にランは頬を緩める。
「それ、今日食べたのばっかりじゃん」
「本当に美味しかったんです」
彼の方に向き直って真剣に伝えようとするデルフィナに、ランは口元の笑みを深くした。
「嘘だとは思ってないよ。ただ、新しいことで頭がいっぱいになる子供みたいだなって」
デルフィナは不本意そうに首を傾ける。
「子供みたいだなんて、初めて言われました」
「見た目は落ち着いてるもんな、あんた」
ランは改めてデルフィナに目を向ける。
背中まである艷やかな銀髪と、長い睫毛の奥の青い切れ長の瞳。
彼女の瞳がランに向くと、誤魔化すように短剣の鞘に手を掛ける。
「明日は鹿がいるといいけど。鴨より肉が柔らかいんだ。大好物になっちゃうかも」
「……そんなに美味しいんですか」
大きな瞳でランを見つめるデルフィナに、彼は声を上げて笑う。
「ははっ。そんなに期待されると、食べさせてやりたくなるな」
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夜、ランが寝てる隙にデルフィナはラウルスを手にテントの外に出た。
「随分と楽しそうだったではないか」
「ごめんなさい、退屈でしたよね」
機嫌の悪そうなラウルスを小声で宥める。
「あやつ、腕は確かなようだが信用出来るのか?餌で懐柔されおって」
「そんな言い方しないで下さい。美味しいんですよ、鬼灯も鴨も」
「そんなにひもじい生活をしていたのか?聖女というのは」
ラウルスの皮肉に、デルフィナは苦笑いを返した。
「教会や王城の食事も美味しいですよ。けれど…こうして外で焼いたり、木からもいで食べる方が、もっと美味しく感じました。どうしてなんでしょうね」
「自由を謳歌しておるだけよ」
「自由……」
デルフィナは言われた言葉を繰り返す。
「自分が不自由だと思ったことはありませんが」
「今も使命に縛られておるではないか。願うのを止められないのは、もはや呪いに近い」
デルフィナは反論しようとしたが、相応しい言葉が出てこない。
ラウルスは強制的に話を打ち切った。
「明日も歩くのだろう。早く寝ろ」
「…おやすみなさい、ラウルス」




