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3話 オルヴァル/大森林

「一晩明けてもデルフィナは見つからないと?」

「はっ。国境の崖下に杖だけが落ちていたとのことです」

「杖だけが……」


執務室で報告を受けたジェラールは、辛そうに眉を寄せた。


「国境を越えてでも捜索しろ。一刻も早く彼女の無事を確認したい」


衛兵が部屋を出ていく。

椅子に座っていたローレライが、ローブを翻して優雅に立ち上がった。

白い治癒師のローブも、女性らしい身体つきとたおやかな仕草の彼女にかかると慎ましやかなドレスのように見える。


「殿下はお優しいですね」


ローレライが気遣うように微笑む。しかしジェラールは悲しそうに首を振った。


「私の過ちだったのだ。彼女に、この国に居場所が無いと誤解させてしまった」


彼は歯がゆそうに窓の外の山々を見据える。滲むのは苛立ちと焦り。

ローレライの目が僅かに細められた。


「本当に拘束する気は無かったと言うことですか?」

「デルフィナは、治癒のため各地の治療院や教会を巡っていた。騎士団の仕事がある君に同じことはさせられないだろ?」


ジェラールの細い指がローレライの頬に触れる。

白いヴェールと豊かな金髪がさらりと肩に落ちた。

ローレライの翡翠色をした瞳が揺れる。


「……婚約破棄した後も、聖女として治療をさせるおつもりだったのですね」

「国民はデルフィナを聖女だと思っている。この不安定な時期にわざわざ混乱させる必要はないだろう」


彼女の表情に気付かない様子で、ジェラールは唇に親指を沿わせて歯噛みした。

翳りのある端正な顔立ちのせいか、憂う表情が妙に絵になる。


「ただ、父上には真実を告げようと思う。真なる聖女はローレライ、君であると。両親や弟はデルフィナをいたく気に入っていたが、君の奇跡を見ればどちらが国母として相応しいか一目で分かるだろう」

「……陛下の前で、身体を失った兵に治療を施すのですか」

「ああ、見せて差し上げて欲しい」


ローレライは儚げに目元を緩める。


「その際は陛下の御前ですが…聖書を持参してもいいですか?」

「もちろんだ。用意させよう」

「いいえ。無事にお勤めが果たせるよう、いつも祖母から譲り受けた聖書を手元に置いていたいのです」


胸の前で両手を握る彼女を見て、ジェラールは柔らかな手つきで髪を撫でた。


「可愛らしいことを言う。君ほどの神聖魔法の使い手が、不安に思う必要などないのに」

「命を前にして緊張しない治癒師などおりません」


ヴェールの下で微笑むローレライを、彼はそっと抱き寄せる。


「君は純粋すぎて、時折心配になるな。私がついてやらねばという気持ちにさせられる」


ローレライは目を閉じて、ジェラールの胸元に身体を寄せた。


「私も……殿下をお支えしたいと思っています」

「その言葉が何より嬉しいよ、ローレライ。互いに支え合ってゆこう」


感極まった様子でローレライの背中に強く腕を回す。


「父上から許可を頂いたら、すぐに婚約式を行おう」

「……はい」


ローレライは腕の中で目を開けた。

ヴェールの下で眇めた双眸は彼の方を見ていない。

しかし、輝かしい未来に思いを馳せているジェラールは彼女など見ていなかった。


「私の派閥の貴族や騎士団のみなを呼んで調印を行い、君をお披露目する。なに、気の良い奴らばかりだ。将軍の細君も君に礼をしたいと言っていた」

「私は、出来ることをしたまでです」

「君は清らかな女性だ。すぐに誰もが受け入れるだろう。ただみだりに力を振るえば良いわけでは……」


彼は何かを言いかけ、首を振る。


「いや、ローレライがそんなことをするはずないな。君と私なら、きっと全て上手くいくはずだ」


ローレライは潤んだ瞳で彼を見上げた。

不安を打ち消すように、ジェラールはローレライに口付ける。

彼女は何も言わず、それを受け入れていた。



───────────────



デルフィナは朝日の光もまともに入らない、深い森の中を走っていた。

薄汚れた法衣に乱れた結い髪、小脇に一冊の本だけを抱えて狭い道を駆け抜けていく。

後ろから聞こえるのは、複数の靴音と荒い息遣い。


「ラウルス」


デルフィナは後ろを向くと、来た方向へ手を突き出す。


「我が願いよ、地を裂け」

「承諾」


蔦が伸び、木々の間にロープを渡すように幾重にも重なって視界を遮る。

足を止めて向こう側の様子を伺う。


「……ふぅ」


息を吐いた直後。

ゴォッと火球が燃える音と共に、蔦に赤い穴が開いた。

黒い煙をあげて焼き切れる。

デルフィナは短く息を呑むと、再び走り出した。

抱えられながら非難の声を上げるのはラウルスだ。


「森を燃やすだと?愚かな」

「そうですね。領土侵犯で捕まればいいのに」


つられて悪態をつきながら、隠れる場所を探して見回した時だった。


「おい、こっち!」


男の声と、茂みから手招きをする手袋が見えた。

デルフィナは考える間もなく呼ばれた方へ飛び込む。

彼女が横で伏せたのを確認すると、男は香水のような魔導具を頭上に吹きかける。霧状のそれは皮膚にうっすら張り付くような気配を残し、デルフィナ達の気配を覆い隠した。

足音が近付いてくる。


「逃げられた!追うぞ」


舌打ちと共に魔導士と衛兵が通過していく。デルフィナは息を殺して、彼らの足音が聞こえなくなっても指先一つ動かさずにそこに留まっていた。


「……もういいだろ」


その声に、初めて横を向く。

デルフィナの隣にしゃがんでいたのは、まだ若い青年だった。

少し伸びた襟足を結んだ赤茶色の髪に、つり目がちな栗色の瞳。

革のジャケットに革のブーツ、ベルトには短剣とポーチを下げた冒険者の装束だ。


「ありがとうございました」


丁寧に頭を下げるデルフィナに、青年は軽く手を振る。


「別にいいよ。オルヴァルの兵が修道女を追いかけるなんて、どう考えてもやばそうだったし」


彼もその時に、改めてデルフィナの格好を正面から見た。

少し間が空く。

汚れた法衣から額のサークレットに視線が動き、次第に驚愕の表情へと変わった。


「……あんた、聖女?」

「オルヴァルの聖女、デルフィナと申します」


観念したように名乗り、ぽつりと付け足す。


「まだオルヴァルの聖女なのかは分かりませんけれど」

「えぇ……?」


青年はふと思い出したことがあり、デルフィナの顔をまじまじと見る。


「待てよ。オルヴァルの聖女様って皇太子と婚約してなかったか?」

「それも、多分今は違いますね」

「おぉ……?」


青年は困ったように頭を掻いて中空を見上げたあと、すぐに立ち上がった。


「ま、いいや。俺はラン。ここはリュネールだから、聖女様を庇ったって罪にはならないだろ」


手を差し伸べながら、冗談とも本気ともつかない目つきでデルフィナを見る。


「あんたが犯罪者なら話は違うが」

「ありがとう、ラン。女神に誓って後ろ暗い行いはしていません」


ランの手を取って立ち上がる。

そっと瞳を伏せてデルフィナは独りごちた。


「私は……陥れられたのでしょうね」


深く聞くことはせず、ランは膝についた土を払う。


「これからどうするんだ?」

「西の関所へ行こうと思っています。リュネール軍にお伝えしたいことがあって」

「関所か……街道を避けたいなら、森を抜けることになるけど」


デルフィナは自分の姿を見下ろす。


「……人目につくのは避けたいですね」

「1日で超えるのは難しいよ。野宿したことある?」

「ありませんが、何とかなるでしょう」


無意識にラウルスを見下ろす。ランは肩を竦めた。


「女神様の教えには書いちゃいないだろ。手を貸してやろうか?」

「……よろしいのですか?」

「オルヴァルの聖女様がリュネールに話があるなんて、放っておけないしな」


デルフィナは困ったように彼を見た。


「ありがとうございます。教会に行けば、謝礼をご用意出来ると思うのですが……」

「いいよ、生活には困っちゃいない」


上等とは言い難い身なりの彼は、軽い笑みを浮かべる。


「聖女様の護衛が出来るなんて光栄だ」

「あの、デルフィナと申します」


ランは目を丸くした。

名乗るのを忘れたと思われたのだろうか。

彼女の望むように呼び直す。


「じゃあ、デルフィナ様。西の関所まで案内するよ」

「よろしくお願い致します」


ようやくデルフィナは満足そうに微笑んだ。


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