20話 オルヴァル荒れ地
停戦から十日後、ラウルスとルシオラによる不毛の地の魔導緑化実験が行われた。
デルフィナの提案で、場所はオルヴァルの皇都近くの小さな山で行うことになった。
「10年前は梨の成る果樹園だったそうです。それが徐々に枯れていき、今は土が硬質化して岩山のようになってしまったと」
デルフィナはゴツゴツと乾いて白くなった山の斜面を見上げる。
少し離れれば全体を見渡せる、丸みを帯びた緩やかな丘陵だった。
斜面から時折、枯れた根が剥き出しになっているが、元が樹だったのかすら判然としない有様だ。
「果樹園か」
その隣で腰に手を当てていたランベルトは、デルフィナの手元のラウルスに視線を移す。
「梨の種子が眠ってるとは思うけど、爺さんの力で育てるとどうなるんだろうな。食べられるのか?」
「無礼者の小僧には食すことを禁ずる」
「まぁ待てって」
ランベルトは慌てて笑いながら受け流す。
そこへ馬の蹄の音を響かせて、一台の馬車がやってきた。
二人の馬車の隣に停まった馬車から、男女が降りてくる。
デルフィナは微笑んだ。
「来ましたね」
ローレライは、以前着ていた治癒師の白いローブを纏っていた。
ヴェールを外し、ジェラールから贈られたサークレットも、蜂蜜色の高価な魔導石のネックレスも身につけてはいなかった。
それが却って、彼女の芯のある美貌を浮き彫りにしていた。
「ご機嫌よう」
挨拶をしたのは、ローレライの手の中にあるルシオラだった。
「ローレライ、ルシオラ。今日はありがとうございます」
向かい合ったデルフィナに、ローレライは笑みを浮かべるでもなく浅く礼をする。
ランベルトはその横でユリアンと挨拶を交わした。
「ユリアン王太子殿下、本日は皇国内での魔導書の試行を許可して頂き感謝します」
ユリアンはその呼び方に目を丸くした。
そして照れたように笑う。
「ご存知だったんですね……ありがとうございます」
ユリアンは胸に手を当てて礼をする。
その凛とした振る舞いは、以前の弱気な彼ではなかった。
「この度、皇帝の勅命により王太子に任じられました。ランベルト殿下、貴国の寛大な御支援、心より感謝いたします」
隣のデルフィナも嬉しそうに笑みを浮かべた。
「おめでとうございます。審問会は上手くいったようですね」
「はい、お陰様で。将軍や幹部は解任の上に爵位を剥奪、兄上は保養地へ療養に行くことになりました」
ユリアンは僅かに顔を曇らせた。
療養という体だが、それはジェラールの政界、社交界からの追放を意味する。
彼は兄を追いやる形になったことに、少なからず複雑な思いがあるようだった。
ランベルトはユリアンに向き直る。
「これで和平は保たれます。殿下の勇気に敬意と感謝を」
「そんな……僕は何も」
遠慮がちに背中を丸めるユリアンに、ランベルトは冗談めかして笑みを浮かべた。
「ご謙遜を。ここまで立ち回れるなんて思いませんでしたよ」
「……デルフィナを冤罪にかけて兵を差し向けたことで、兄上は教会派を敵に回していましたから。僕は本当に、何もしてないんです」
「敵を作らないのも才能ですよ」
ランベルトは近寄って肩を叩くと、声を低くした。
「教会派は餌をくれる相手には義理を通します。どこまでなら与えても良いか常に線を引いておくと良い」
すっと離れると、ランベルトは口の端を上げる。
「判断が難しい場面があれば、信頼の置ける人に助言を貰って下さい」
「分かりました」
言われた言葉を飲み込むように、ユリアンは頷いた。
デルフィナはローレライの方を見る。
「あなたは何事もありませんでしたか」
「殿下が何を言っても受け入れられる雰囲気では無かったわね。その場で婚約破棄して、審問会で顔を合わせたのが最後よ」
彼女は淡々と、審問会での事を話す。
「殿下は私に向かって偽物だ!って叫んでたけれど。私は端で泣いてるだけで許されたわ」
「これまでの行いの結果です」
当然のようにデルフィナは頷いた。
ジェラールのことを言っているのか、ローレライのことを言っているのか。
あえてローレライは聞かなかった。
この話は終わりだと言わんばかりに山を見上げる。
「それで、私は何をすればいいの?」
「今の土では、恐らく発芽させても根ざすことが出来ません。まず植物にラウルスの魔力を流し、そこから再生の書で土と種子の循環を整えてみようかと」
ローレライは僅かにルシオラを握り直すと、風に靡いた髪を後ろに払う。
「やってみないことには分からないわ。さっさと始めましょう」
そこへユリアンが歩み寄って声を掛けた。
「ローレライ、大丈夫かい?」
「大丈夫ですわ」
「無理のないように。すぐに結果が出なくとも、気にすることは無いのだから」
落ち着かないユリアンの様子を、ローレライは呆れ半分で眺める。
「やる前から慰めないで下さいます?」
「あぁ……すまない」
ぎこちないやり取りを横目にランベルトは咳払いした。
「じゃあ、始めよう」
ランベルトとユリアンは数歩下がる。
まだラウルスの力を見たことのないユリアンは、緊張と興奮がない混ぜになった表情でランベルトに問いかけた。
「報告には、拠点を囲うほどの蔦を生やしたとありましたが…草の無い山でも植物は育つのですか」
「地中の種子も芽吹かせるのは実証済みです。地質的にも、まぁ問題無いでしょう」
ランベルトには出来ないかもしれない、という不安は無い。
どこまで出来るのかを確かめるために検証するのだ。
デルフィナが両手で本を掲げた。
目を閉じて、言葉を紡ぐ。
「我が願いよ、地を裂け」
風が吹き、ぱらぱらと砂が落ちる。
少しの沈黙。
ローレライは微動だにせずに目を閉じているデルフィナを見る。
それから山の方に目をやると、表面が震えた気がした。
「……!」
地面が大きく盛り上がった。
土が押し上げられ、亀裂から茶色い根が現れた。
地中の種子が芽吹き、草木が一斉に伸び上がる。
何本もの木々が若葉を開きながら巨木へと育っていく。
枝の先端にいくつもの花が咲き、急激な成長と共に花が枯れて実が成る。
「フィーナ!」
ランベルトが叫ぶ。
次の瞬間、乾いた土の一部が崩れ落ちた。
深く入った亀裂の上に立っていられず、木が倒れて斜面を滑り落ちていく。
「ラウルス、止まって!」
「承諾」
土煙を上げて植物は動きを止めた。
山の一部が欠けて、数本の木が折り重なるように横たわっている。
ランベルトは倒木の元へ駆け寄り、根や崩れた土を確認する。
そして手のひらよりも大きな梨をいくつか拾って戻ってきた。
梨の表面をハンカチで拭き、一つデルフィナに手渡す。
「どう?急激に育ったから実がスカスカだったりしない?」
両手で梨を持ったデルフィナは、ゆっくりと噛み締める。
驚きに開かれた目が答えを雄弁に語っていた。
「すごく甘いです」
「そうだろう」
ラウルスが誇らしげに言う。
「精霊の力を借りると、植物の密度も上がるのか?それともフィーナの魔力が入ってるから?」
思案しながら、ランベルトは屈んでデルフィナの手の中の梨を齧る。
「本当だ、美味い」
「詫びる気になったか、小僧」
「そうだな。これなら果樹園として使える」
そう言いながら、地面がヒビだらけになって木々が傾いた山を見やった。
滅茶苦茶に伸びた枝が絡み合い、今にも崩落しそうだ。
「魔力を注いだ木を、一度戻して貰おう」
「ルシオラ。この土に、再び植物が根を張れるように出来ますか?」
丁寧に尋ねるデルフィナに、ルシオラはゆったりと答える。
「私が循環を呼び戻して差し上げましょう。ローレライ、私に祈って」
「分かったわ」
ローレライはルシオラを握り直した。
緊張を滲ませながら呪文を唱える。
「我が祈りよ、生命を戻せ」
時が遡るように木々が細くなっていく。
みるみるうちに乱立していた樹木は種子へと戻り、割れた地面だけが残った。
根をむき出しにして倒れていた木もその姿を消す。
「次は、土を戻せる?」
「了承」
ローレライは息を吸うと、ルシオラに再び魔力を送る。
汗が頬を伝う。
皆が無言で見守る中、彼女は目を閉じて魔力を送り続けた。
ローレライが何度目かの深呼吸をしたあと。
変化は、徐々に現れた。
再生の魔法が土の内側へと染み込み、柔らかく水分を含んだ本来の土壌へと戻していく。
黒く膨らんだ土が、地面の亀裂を塞いだ。
「これが、再生の力……」
思わずユリアンが感嘆の溜め息を漏らす。
「想像以上だ。あとは整地させて経過を見よう」
隣のランベルトも高揚を抑えきれない表情で再生した山を眺めている。
「破滅と再生。この二冊があれば、恐らく不毛の地に緑を戻せる」
ローレライはその言葉を聞きながら、呆然とその景色を見ていた。
救うことが出来る。
自分の力で。
胸の奥から熱いものが込み上げる。
ローレライの目に涙が滲んだ。
「……っ」
力が抜け、彼女は膝から崩れ落ちた。
「ローレライ!」
青白い顔で倒れたローレライを、膝をついたユリアンが後ろから支える。
デルフィナも駆け寄って手を当てた。
「女神の御名に於て、安寧の癒しを」
手のひらから発した白い光が、ローレライの体に吸い込まれていくように瞬いた。
「ん……」
彼女の頬に赤みが戻る。
しかし意識はまだ朦朧としたままだ。
ルシオラが困ったように言った。
「この子は、ラウルスの契約者ほど魔力量が強くないから……」
デルフィナが立ち上がり、ランベルトとユリアンを見る。
「肉体の再生とは違うと考えるべきでした。魔導具で補助したり、数日かけて戻していくのがいいかもしれませんね」
ユリアンはローレライの顔を覗き込んで、優しく微笑む。
「お疲れ様、十分な成果だ。今日は戻ろう」
「……はい」
意識がはっきりしてきたローレライは、ユリアンに支えられていることに気付いてばつが悪そうに視線を反らした。
ゆっくりと立ち上がると、ユリアンは優しく手を離す。
ローレライは、ランベルトと話し合うユリアンの横顔を目で追っていた。
「明日にでも学者と魔導士の調査隊をここに派遣して、定期的に地質の変化と経過を報告して下さい」
「分かりました」
「よろしければこちらも持ち帰って下さい。毒が無いのは証明済みです」
両手に余るほどの大きな梨を渡されたユリアンは、重みに驚きながらも目を輝かせた。
「ありがとうございます」
「ユリアン殿下、一つよろしいでしょうか」
各々が帰り支度を始める中、デルフィナがユリアンに声を掛けた。
「ローレライはまだ聖女認定を受けていないのですよね?」
「はい」
「でしたら、魔導書の契約者として皇国から叙任したらいかがでしょう。再生の聖女として」
ローレライは、思わず目を見開いてデルフィナを見た。
やがて、ひとつ溜息を吐く。
「……勝手にそんなことしたら教会が怒るわよ」
「みなにとって、あなたは聖女なのです。あなたの民の平穏を祈る信心も、彼らがあなたに感謝を捧げる心も真実ですから」
反論してくるのを予見していたローレライは、皮肉っぽく片眉を上げた。
「前は暴こうとしてたのに、今は小細工してでも私を聖女に見せようとするのね」
その言葉にデルフィナは目を丸くした後、少し考える。
そして困ったように微笑んだ。
「あなたを知ってしまったから」
ローレライは何も言えずに彼女の顔を見返した。
デルフィナの輪郭をなぞるように、自分の目が動いている。
目が合うと、ローレライはそっと目線を外した。
「俺も小細工は賛成だね」
ランベルトが口を開く。
「大陸が抱えている長年の問題が解決しそうなのに、下らないことで制限されたくない。叙任でも何でもやってくれ」
ローレライは驚いたようにランベルトを見た。
「帝国まで加担するの?」
「帰ったら忙しいぞ、お互いにな」
少しだけランベルトの目の奥が鋭くなる。
「ここの回復が確認出来たら、何年も掛けて大陸中を回って貰うことになる。今更、聖女になるのが嫌なんて言わないよな?」
ローレライは姿勢を正して前を見る。
腕に伝わる本の重みと、再生した土地。
自分が背負うことになった責務を、今になって実感し始める。
それはひどく重苦しいが、望んでいたことでもあった。
「……私は、出来ることをやるだけよ」
ローレライの目には、確かな意思が芽生えていた。




