19話 リュネール庭園
「おはよう、フィーナ」
翌朝、貴賓室まで迎えに来たランベルトは礼装に身を包んでいた。
襟に刺繍が入った薄茶色の上衣に、少し伸びた赤茶色の髪を金の組紐で結んでいる。
「おはようございます、ラン」
カチャリと扉が開く。
淡い水色のドレス姿で出迎えたデルフィナに、ランベルトは目を瞠った。
胸元には共布のリボンと、並ぶ小さなくるみボタン。ふわりと広がるパフスリーブと繊細なレースを重ねたスカートが、清楚な彼女によく似合っていた。
結い上げた髪には青いリボンが垂れている。
ランベルトはデルフィナの全身をまじまじと見つめた。
「このセンスは、義姉上かな?」
「ご用意頂いていました」
納得したように頷くと、ランベルトはゆっくりと口元に笑みを浮かべた。
「うん。可愛い」
デルフィナは恥ずかしそうにそっと視線を外した。
「ランも……あの」
「ん?」
ランベルトは彼女を覗き込む。
少しくすぐったくなるほど優しい顔つきに素直な言葉が漏れる。
「すごく素敵です」
「本当?めかし込んだ甲斐があるな」
冗談めかして笑うランベルトに、つられてデルフィナも微笑む。
「まぁ、今日は疲れてるだろうから遠出はしないけどね。俺も午後の会議まで空いてるから……」
ランベルトは少し中空に視線を彷徨わせ、デルフィナの方を見た。
「庭でも歩かないか。まだちゃんと回ったことないよな」
「はい」
デルフィナは一度だけテーブルを振り返る。
そこには聖女の杖とサークレット、そしてラウルスが整然と並べられていた。
声を掛けて、扉を閉める。
「行ってきます」
二人は回廊を抜けて王城の南側に出る。
朝露が乾いた午前の庭園は、穏やかな暖かさに包まれていた。
緩やかなカーブを描く石畳に沿って植えられた、色鮮やかな花やハーブが色彩を添える。
奥には緑のアーチが掛かり、更に庭園の奥へと道が続いていた。
風が吹くと枝葉が擦れ合う音がする。
日の光に鮮やかな緑と白い大理石が反射して、庭全体が輝いているようだった。
「綺麗ですね」
「義姉上と母上のこだわりの庭だからな」
二人はテラスからゆっくりと足を踏み入れた。
「俺は花も草も、食べられるかそうでないかで見ちゃうけど」
「綺麗なお花は毒があるものも多いので、気をつけて下さいね」
真面目な顔で忠告するデルフィナに、ランベルトは思わず笑う。
「流石に庭の花を取って食ったりしないよ」
「あ……そうですね。すみません」
「まぁ、森では魔獣も雑草も食べるけどさ」
ランベルトは恐縮して謝る彼女を楽しそうに眺めた。
共に過ごす内に、随分と表情が変わるようになった。
それが嬉しく、少し誇らしい。
「ラン、体は大丈夫ですか?」
昨日の森のことを思い出してか、デルフィナはランベルトの身体にちらりと目線を移した。
ランベルトは軽く上体を反らして襟元に手を添える。
「ピンピンしてるよ。俺は大して戦ってないし」
ランベルトはデルフィナを気遣うように見る。
「フィーナの方が大変だったろ」
「いえ……私はランベルトの作戦の通りに動いていただけですから」
「そんなことないよ。格好良かった」
予想外の言葉に、デルフィナは瞬きをした。
「初めて言われました」
「フィーナはずっと格好良いよ」
緑のアーチの前で立ち止まる。
木漏れ日の下で、ランベルトがまっすぐにデルフィナを見ていた。
「自分を傷つけた人達と向き合うのって、怖いでしょ」
「……前より怖くありませんでした」
デルフィナは口元を緩める。
「ラウルスとランがいれば、いつも大丈夫だったので」
「随分と評価されてるんだな」
「信頼です」
言い直されて、ランベルトは照れくさそうに前を向いた。
涼やかなアーチを抜ける。
その先には、タイルを円形に敷き詰めた開けた空間があった。
中央に葡萄とつぐみが彫られた白い噴水があり、水盤には清らかな水面が揺れている。
噴水を囲むようにして同じ彫刻の長椅子が置かれていた。
「すごいですね」
デルフィナは感嘆の声を漏らす。
「ちょっと座る?」
ランベルトが促し、二人は長椅子に腰を落ち着けた。
ひんやりとした石の感触と流れる水の音が、体の重みを解していく。
「気に入った?」
「はい、とても。どこも綺麗で、歩くのが楽しいです」
しばらく二人は椅子に背を預けて庭を眺めていた。
小鳥が二羽、水盤の水を飲んで飛び去っていく。
噴水から視線を移して花壇を見ているデルフィナに、ランベルトは問いかける。
「フィーナって何色の花が好きなの?」
「そうですね……」
デルフィナは庭園を眺めながら考える。
「白とか、紫でしょうか。でも薄黄色の小さい花も可愛いですよね」
「あー、あれか。奥にそういう感じのあったかも」
膝の上で肘をついたランベルトが、緩く笑みを浮かべてデルフィナの方を向く。
「見に行く?」
「はい」
返事を聞くと、立ち上がったランベルトは噴水の反対側に回った。
噴水から一段降りた先に、低い煉瓦の花壇が並ぶ小道が続いていた。
「フィーナ、ここちょっと危ないから」
段差を先に降りたランベルトが手を差し出す。
デルフィナは自然と指を添えた。
彼は気を遣うのが上手いから、デルフィナは疑問に思う間もなく受け入れてしまっている。
「ありがとうございます、ラン」
二人は手を離し、並んで歩き始める。
花壇に咲いているのは、表で咲き誇っていたような大輪の花ではなく、小ぶりで淡い色合いの花々だった。
心が安らぐような仄かな香りが漂う。
「こういうの好きそう」
「はい。好き……です」
好きなものを口にするのは、まだ少し不思議な感覚がする。
デルフィナはランベルトをちらりと見る。
皇国の聖女として職務を全うしていた頃は、自分のことを事細かに聞かれることは無かった。
彼が尋ねるから、答えるようになっていた。
「なら、良かった」
歩きながら少しだけランベルトの声が落ちる。
「……フィーナ」
「はい」
「停戦してジェラールが廃嫡になって、皇国はもうフィーナに関わることは無くなった」
ランベルトは花を見るふりをして目線を落とす。
口元から笑みが消えていた。
「教会から帝国の聖女としても認められた。もう、俺と婚約する必要もない」
「はい……」
煉瓦の花壇を抜けると、青空が視界一面に広がる。
そこは城の南端にある小さな展望台だった。
眼下には帝都の街並みが広がっている。
ランベルトはそこまで行くと、ゆっくり立ち止まった。
「あのさ、フィーナ」
短く息を呑む。
彼にしては珍しく緊張した面持ちで、デルフィナの瞳を見た。
「……俺、こんなに誰かを知りたいと思ったのも、知って欲しいと思ったのも初めてなんだ」
ランベルトは考えながら言葉を紡ぐ。
「フィーナもちょっと分かるだろ?何でもそれなりにこなせるから、何を置いても打ち込める一番とか今まで出来たことがなくて…あぁ、何話してんだろ」
ランベルトは自分でも戸惑っている様子で、もどかしそうに前髪をかき上げた。
髪が揺れて赤く煌めく。
デルフィナは穏やかな表情で、不器用に言葉を探すランベルトを見ていた。
この時間が心地良い。
普段と違う姿が新鮮で、だけど彼らしい。
少し困ったようで、照れくさそうな、彼の表情を覚えていたい。
「フィーナといると、何でも楽しいし、何でもしてやりたくなる」
ランベルトの目線が所在なげに動いた。
花も木も、静かにこちらを見ているかのような感覚に囚われる。
伝えたい言葉が溢れているのに、上手く出てこない。
しかし言うべきことは決まっている。
「だから……婚約したままじゃ、駄目かな」
ランベルトはデルフィナと目を合わせると、そっと彼女の手を握った。
「俺のことが嫌になったら、いつ解消してくれてもいい」
指先に伝わる緊張と、心細そうな瞳。
デルフィナは彼を見上げる。
拒むことなく手を握り返した彼女の双眸は、柔らかな光を湛えていた。
「嫌にならなかったら?」
「フィーナが嫌になるまで、一緒にいるよ」
ランベルトは半歩、肩が触れ合いそうな距離まで近付く。
もう片手で、優しくデルフィナの頬に触れた。
少しだけ屈んで瞳を覗き込む。
「どう?離れたくなった?」
「……いいえ」
デルフィナは視線を合わせると、花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「私も、ランと離れたくありません」
その言葉を聞いた瞬間、ランベルトはデルフィナに頬を寄せた。
そっと唇を重ねる。
デルフィナはただ身を委ねていた。
胸の奥が、じんわりと温かい感覚で満たされていく。
ランベルトは口付けをした後も、離れようとはしなかった。
喜びを滲ませながら、彼女の耳元に優しく声を落とす。
「ありがとう。ずっと一緒にいて貰えるように頑張るよ」
木々が揺れる音が遠くに聞こえる。
デルフィナは、ランベルトの指先を握り返して微笑んでいた。




