18話 メルティス関門
山の裾野から、ぼんやりと白い光が滲む。
夜は少しずつ空へと追いやられ、メルティスの関所に茜色の朝日が差し込んだ。
皇国が進軍する予定だった時刻、アーデンの指揮で軍は国境から退却していた。
代わりに夜明けに関所を訪れたのは、宰相と外務卿を伴ったユリアンだった。
門楼の執務室でランベルトとデルフィナ、そして総司令官が向かい合う。
「お久しぶりです、デルフィナ。第二皇子殿下とのご婚約、おめでとうございます」
「ユリアン殿下。ありがとうございます」
「……息災で何よりだ」
今は他国の聖女であるデルフィナに敬意を払いつつ、ユリアンは申し訳なさそうに会釈した。
それからランベルトに向き直ると、背筋を伸ばしたまま一礼する。
「今回の進軍は、国王陛下の承認を得たものではありません。皇国はこれ以上の戦闘を望まず、ここに停戦を申し入れます」
ランベルトは、外務卿に差し出された文書に目を落とした。
「国王陛下の正式なご意思と受け取ってよろしいですか」
「はい。こちらが、陛下の署名を添えた委任状です」
ユリアンが国王のサインが入った委任状を差し出す。
委任状にランベルトが目を通している間に、総司令官と宰相が友好条約の維持に必要な細かい条件を擦り合わせ始めた。
ユリアンは、デルフィナとランベルトに硬い表情を向ける。
「王太子殿下については、皇国へ帰還させたのち、国王陛下の御前にて審問を行います」
「審問?」
「はい。結果によっては、次代を託すことは出来ないと」
「へぇ」
無意識にランベルトは声を漏らす。
ユリアンが代理で来たことも踏まえ、ジェラール廃嫡の動きがあることは自然な流れに思えた。
密かにデルフィナが安堵しているのを確認して、ランベルトは話を続ける。
「アーデン将軍はどうなりますか?」
「将軍と騎士団の幹部が積極的に加担していたのは確認済みです。彼らにも聞き取りの後、相応の処分が下されるでしょう。ローレライは治癒師として帯同していただけなので審問は行われません」
ユリアンはローレライの話になると、少し落ち着かない様子で視線を巡らせた。
「……彼らは今、どちらに?」
「ジェラール王太子殿下、アーデン将軍、聖女ローレライの御三方はそれぞれに護衛をつけて個室に勾留しております」
護衛とは言うが、要は監視だ。別室なのも話をさせないためだろう。
ユリアンにとっては願ってもない対応だった。
帰国してすぐに、ジェラール、アーデン、騎士団の幹部を分断させたまま審問会を開くことが出来る。
「抵抗の際に負った怪我は、こちらで応急処置しています。停戦協定の調印後、身柄をお引き渡しします」
「分かりました」
停戦協定書が卓上に広げられる。
双方の代表が文面を確認し、署名を記す。
ランベルトが手袋を外し、王家の印章の指輪を蝋の上に捺した。
続いてユリアンも、国王の代理人として署名した傍らに印章を捺した。
調印を終えたユリアンは、意を決してデルフィナに声を掛ける。
聞くなら今しかないと思った。
「デルフィナ。ローレライの力は、本当に神聖魔法なのですか……?」
彼女の返答は、ユリアンも一度は考えたことだった。
「彼女の力は、賢者の魔導書によるものです」
「……!」
デルフィナは簡潔に事情を話した。
自身も国を追われた時に破滅の書と契約したこと。その力で拠点を包囲したこと。
そして、ローレライが再生の書を使うのを見たこと。
「けれど再生の魔法は多くを救います。ジェラール殿下が処罰を進言しても、真偽まで調査されないよう周りを固めて下さい」
「分かりました」
ユリアンは驚きと困惑を整理し切れないままに頷く。
ジェラールは、ローレライが聖女でないのを知っている。そしてデルフィナは彼女を守れと言った。
それが分かれば十分だった。
ランベルトは空気を変えるように、軍服の肩を回す。
「ま、これからどうするかは本人と話してからですがね」
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ローレライは一人、椅子に座って出窓の縁に肘をついていた。
昨晩の汚れた服のままだが、膝と手には清潔な包帯が巻かれている。
そして彼女のすぐ側には白い本が置かれていた。
表紙のダイヤモンドが朝日に照らされて輝いている。
「おはようございます、ローレライ」
ノックして入ってきたデルフィナとランベルトに、彼女は肘をついたまま目線だけ動かす。
続いて入室したユリアンを見て僅かに目を開いたが、すぐに無表情に戻った。
「寝られましたか?」
「椅子で寝れるわけないでしょ」
素っ気なく答えて再び窓の外を見る。
デルフィナは彼女の近くに座ると、ラウルスを膝の上に置いた。
ランベルトとユリアンがその後ろに立つ。
「ジェラール殿下は皇国に戻り次第、審問を受けるそうです。将軍ともども処罰が下るでしょう」
「そう」
「あなたは治癒師として帯同していただけなので、不問だそうです」
ローレライは口の端でにやりと笑う。
「それで?戦犯として裁けないから、偽の聖女として吊るし上げる?」
「いいえ。あなたにはそのまま皇国の聖女でいて貰います」
その言葉に、ローレライの笑みが消えた。
デルフィナは淡々と言葉を重ねる。
「ジェラール殿下は皇都から去ると思います。そうすれば真実を知る者はいない」
「…どうして」
「帝国に侵略を仕掛けたことを知り、国民は不安になるでしょう。彼らには希望が必要なのです」
皮肉っぽくローレライは聞き返す。
「私が、希望?」
「希望を与える者には義務があるのだと。私はそう言われました」
「私はあなたとは違う!」
激高したローレライが席を立つ。
生まれ持った聖女の力を持つデルフィナ。
平民で、偶然奇跡の力を手にしたローレライ。
嫉妬なのか怒りなのかも自分でよく分からない。
ただ、デルフィナが何でもないように同列に語るのが我慢ならなかった。
デルフィナは座ったまま、ただ事実を置くように返した。
「私達は、同じ契約者です」
「…!」
乱暴に椅子に座り直すと、ローレライは体ごと窓を向いて脚を組んだ。
これ以上の対話を拒否していた。
しかし構わず、デルフィナは次は窓辺に置かれたルシオラに声を掛けた。
「はじめまして、ルシオラ。私はラウルスの契約者のデルフィナと申します」
「まぁ、ご丁寧にどうも」
「あなたは生命を繋ぐ存在なのだと伺いました」
ルシオラは柔らかい声で答えた。
「そうよ。まだ契約したばかりだけれど、私はローレライとたくさんの人を癒して来たわ」
まるで聞こえていないかのように、無言でローレライは外を眺めている。
「私の契約者はみな、身を挺して周りの人間を癒そうとする。けれど、私はそんな所も美しいと思っているの」
「美しい…ですか」
「健気で不器用で、たまらなく美しいわ。ローレライと契約が出来て私は幸せよ」
デルフィナは念を押すようにルシオラに尋ねた。
「では、ローレライから契約者を変えることはないのですね」
「私の主はローレライよ。この子が生きている限り、主を変えることはないわ」
そこへラウルスが割って入る。
「こいつは私より頑固なんだ。ローレライに何かあったらこの先、百年は動かないだろう」
「そうですか……」
「お主には目的があるのだろう?覚悟を見せてみよ」
デルフィナは一つ咳払いをした。
「では、単刀直入に申します。ローレライには皇国民として私に従事して頂きます」
ローレライは反射的にデルフィナへ顔を向ける。
視界の端でユリアンも黙って見守っているのが見える。
「従事ですって?」
「いいですね」
有無を言わさぬ口調に、ローレライは溜め息を吐く。
「拒否権なんて無いんでしょう。いいわよ。椅子にでも、薬箱にでもなるわよ」
「いえ。あなたには……ええと、何と言えばいいのでしょう」
デルフィナは腕組みをすると、目を閉じて考える。
少しして、目を開いた。
「水桶、ですかね」
「はぁ?」
「私が水になりますので。一緒に、大地に水やりをして貰います」
真面目な顔をして言い放ったデルフィナに、ランベルトは顔を背けて肩を震わせている。
ラウルスは呆れていた。
「お主は比喩が下手だな」
「そうでしょうか」
「……何をさせるつもり?」
眉間に皺を寄せるローレライに、デルフィナは質問で返す。
「再生の書の力を、今まで植物に使ったことはありましたか?」
ローレライは昨晩のことを思い出して苦い顔をした。
「無かったけど。土に戻っていったのを見たでしょう」
「沼地に使ったことは?枯れた木に使ったことは?」
ローレライは訝しげな顔をした。
「私は治癒師よ」
「ええ。ルシオラの力は、生物を正常な状態に整える力だとお見受けします。ラウルスの力は、人間が使えなくなるほど自然を生かしてしまうのです。溢れた水のように」
次第にデルフィナの言いたいことが分かってきたローレライは、動揺を隠せずに彼女を凝視する。
デルフィナは真剣にその目を見つめ返していた。
「ラウルスとルシオラの力を合わせれば、共に不毛の地を耕せるのではないかと」
「……本気?」
ローレライの声が揺らぐ。
彼女は治癒師で、ルシオラの力は奇跡のように人の欠損まで元の状態に戻して見せた。
その力を使って奔走していた彼女が、他の可能性を考えないのは不思議なことではなかった。
ユリアンもまた、驚きを隠せない顔でデルフィナ達を見ている。
「俺達、不毛の地を沼地に変えたんだ」
ランベルトが助け舟を出す。
まだ完全にローレライを信用していないが、デルフィナの態度に倣って平静に話しかける。
「再生の力がどう作用するか見たい。そのためにはあんたがいないといけない」
「……説得とか止めてくれない?やるしかないんでしょ」
ふいっと再び顔を外に向ける。
デルフィナは嬉しそうに手を合わせた。
「ありがとうございます。詳細は追って、ユリアン殿下を通して親書を送らせて頂きます」
「分かりました」
ユリアンが頷く。
二人が別れを告げて部屋を出る時も、ローレライは振り返らなかった。
ただ、口を引き結んで窓の外を睨んでいた。
「私達も、シリル殿下に報告しなければいけませんね」
「帰ったらまた会議か……頭が回らないから、俺達の報告は午後にして貰おう」
廊下を歩きながらあくびを噛み殺すランベルトに、デルフィナはくすりと笑う。
ランベルトはその表情を横目に見る。
そして自然体を装って、ついでのように口を開いた。
「帰ったらさ、話したいことがあるんだ」
「え?」
「……明日、ちょっと時間くれる?今日はやることだけやって、とにかく寝よう」
ランベルトは緩く笑う。
少しの緊張を、デルフィナに気取られることは無かった。




