17話 オルヴァル拠点②
ジェラールとローレライに、冷たい夜の山風が吹きつける。
見上げると、デルフィナの黒いマントと法衣の裾がはためいていた。
彼女を糾弾した日とは反対の場所に立っている。
しかしデルフィナは彼らを誹りはしない。
ただ、杖を向ける。
「女神の御名に於て、白妙の霧よ」
街道を覆い隠すように、一帯に霧が立ち込める。
警戒して構える二人に静かな声が届いた。
「我が願いよ、地を裂け」
「何だ!?」
何かが地を這い、野茨とぶつかり合う音がする。
居場所を知られると分かっていても、ローレライは手を翳さざるを得なかった。
広範囲に植物を伸ばすデルフィナは、姿が見えなくても攻撃できる。
対してローレライは、相手の位置を確かめなければ反撃できない。
「光よ」
ローレライの手から放たれた光が街道を照らす。
デルフィナが杖を掲げているのが見えた。
「疾風よ」
一迅の突風が吹き付ける。
ぐるりと取り囲んだ茨や柊がジェラールとローレライへ振り注いだ。
「光の障壁よ!」
ローレライも杖を掲げ、防ぐ。
パラパラと鋭利な棘が弾かれて地面に落ちた。
彼らが一歩も引かないのを、何の感情も見せずにデルフィナは見下ろしていた。
「投降して下さいませんか」
「お断りよ」
「ローレライ。あなたは……」
一瞬の迷い。
そして彼女が試みた説得とも取れる言葉は、ローレライの精神を逆なでした。
「本当に争いを望んでいるのですか。多くの血を流しても、あなたは自分を呪わずにいられますか」
「そんな綺麗事では救えなかったじゃないの!」
ローレライは敵意を剥き出しにして叫んでいた。
「ただジェラールの後ろをついていくだけで何もしなかった癖に、今になってどうして帝国の味方をするの?」
「……そんなことは」
「私はやれるだけのことをやってる。あなたにとやかく言われる筋合いは無いわ」
動きを止めたデルフィナは、少しのあいだ押し黙る。
ジェラールが騎士団に傾倒し、食糧難に向き合わないことを放置して自分の役割を粛々とこなしていたデルフィナ。
それが罪だとは思わない。
けれど、ローレライから見る自分は心無い人間に見えたのだろう。
理解されようと声を上げることもなかった。
それが彼女を駆り立ててしまった。
デルフィナは反論することなく本を持ち直した。
「聞き入れて頂けないようですね」
ローレライの足元へ視線を定める。
「我が願いよ、地を裂け」
「我が祈りよ、生命を戻せ」
茨も柊も障害にはなるが、強い木では無い。
ルシオラの力で容易く種子へと戻ってしまう。
目の前の道が拓ける。
「デルフィナ!」
ジェラールの怒号。
デルフィナに向けて踏み出そうと、剣を振り上げる。
その瞬間、脚の後ろに激痛が走った。
「うっ!」
それは薄刃の小さな投げナイフだった。
闇夜に何本か投げ込まれた刃の一つが、ジェラールの脚に刺さったのだ。
ナイフが飛んできた方向を見る。
拠点を覆う木の上に、一人の男が立っていた。
「ランベルト……!」
ジェラールの顔が歪む。
ローレライが駆け寄り、ナイフを引き抜いて手を翳す。
「我が祈りよ、生命を戻せ!」
流れる血が止まり、傷が時間と逆行するように塞がっていく。
ズボンは血で赤く染まったままだが、切り裂かれた布の奥に見える皮膚には僅かな痕さえ残っていない。
「……ふん」
ジェラールは礼を告げることなく、立ち上がる。
ローレライも声を掛けることはなかった。
優しさから治療をしたわけではないのは、お互いよく分かっていた。
「降りてこい!」
ジェラールは剣を下に構え、拠点の方へ歩いていく。
真下に来られると不利だと思い、ランベルトはするりと木の幹を滑るように地上へ降り立った。
憎々しげにジェラールは眉を顰める。
「貴殿はもう少し礼儀を弁えた方が良い」
「殿下こそ、魔導書の戦いに割り込むなんて無粋ですよ」
ランベルトは鞘から剣を抜いた。
双眸に緊張を走らせながら、その口元には薄く笑みを浮かべている。
「人間同士、俺が相手になりましょう。剣は不得手ですが……」
立ち位置を変え、長剣の半分ほどの刀身の短剣を構える。
挑発するようにジェラールは笑った。
「教えてやろう、騎士の戦い方を」
「俺、そういうのじゃ……ないんで!」
刀身がぶつかった。
金属音が響く。
ランベルトは押されて半歩下がる。
ぐるりと剣の柄を返していなすと、後ずさって間合いを離した。
「……ジェラール殿下、やっぱり白い本だったでしょう」
ランベルトの言葉に、ジェラールはぴくりと眉を動かす。
「私を愚弄するつもりか」
「いや……真偽はまぁ、この際どうでもいいか」
何かを見計らうように、一瞬ランベルトは背後を見た。
そしてそのまま一定の距離を保ちながら、対峙しているジェラールに疑問を投げかける。
「新たな聖女を娶りたいと言わず、どうしてデルフィナに罪を着せたんです?立場に固執する人じゃないのは、見てれば分かるでしょ」
「……一度、落とさねばならぬと思った」
間合いを測っていた剣先が一瞬、止まる。
ジェラールの顔に浮かぶのは罪悪感ではなかった。
ただあるのは優位性を疑わない自信と、同じくらい積もった焦燥。
「私の言葉一つでどうとでもなる立場なのだと、分からせようとしただけだ」
「……へぇ」
じりじりとランベルトは後退する。
追い詰めようとジェラールは更に深く間合いを詰める。
ランベルトは短剣を握り直して、笑った。
「あんた、精神は全然騎士じゃないんだね」
「何を!」
挑発と分かっていても頭に血が上る。
ジェラールは踏み込み、剣を振り上げた。
ランベルトは横に滑り込み、足元に三枚まとめて投げナイフを投げる。
バラバラの軌道へ飛んだナイフを、ジェラールは後ろに下がって避けた。
次は避けられた。
そう思ったジェラールがランベルトを見ると、彼は口の端で笑っていた。
「……っ!」
目的はジェラールの位置を少しずらすことだったと気が付いたのは、罠が作動した後だった。
ジェラールの足に、地面に仕掛けられていた鋼糸が絡む。
体勢を崩して、彼は剣を握ったまま倒れ込んだ。
「卑怯な……!」
「試合じゃないんで」
ランベルトはジェラールの剣の柄を足で踏んで押さえる。
そして背中の矢筒から痺れ矢を抜き取ると、躊躇せず矢尻をジェラールの腕に刺した。
「っ……!!」
「縛っても暴れそうだから。悪いね」
うつ伏せにさせ、腰に下げていたロープで両腕を縛る。
「大人しくしてたら治療してやる」
「アーデン!来い!アーデン!」
ランベルトは、拠点に向かって叫ぶジェラールの背中をぐっと地面に押し付けた。
「うっ……」
「将軍が来ても殿下を人質にして降伏して貰うだけだよ。大事にされてるもんな?」
ランベルトの瞳が冷淡さを帯びる。
「何が不満だったわけ?居場所なんていくらでもあっただろ」
「……お前には分からない」
「はっ」
鼻で嗤うと、それ以上の対話を諦めてランベルトは立ち上がった。
痺れ薬が効いているジェラールは、うつぶせのまま目だけをギョロギョロと動かす。
「ローレライ!治せ!」
その怒号を遮って、ランベルトはデルフィナのいる街道に向かって合図する。
「王太子確保!聖女も捕らえる」
その声を聞いたローレライはハッと後ろを向き、坂道を駆け下りた。
不利を悟って拠点へ戻ろうとしている。
ランベルトは彼女の機転に感心していた。
ジェラールより余程戦況を見て判断出来るのではないか。
「でも、それは駄目」
ランベルトは弓に矢を番えた。
放たれた矢はローレライが踏もうとした地面に刺さる。
ローレライの衣が脚にもつれ、勢いよく倒れ込んだ。
ルシオラが地面に放り出される。
「地を裂け」
風に乗って無情な声が降る。
ルシオラは叫んだ。
「逃げて!ローレライ!」
ローレライは返事をしなかった。
血が流れる脚を引きずりながら戻り、ルシオラを抱える。
腕の中で悲痛な叫び声が響く。
「ローレライ!!」
伸びた蔦が足に絡む。
怪我と植物を同時に戻すことは出来ない。
心臓が激しく脈打つ。
間に合わない。
そう悟ったローレライは、両腕でルシオラを守るように蹲った。
「どうして……」
ルシオラが弱々しく声を漏らす。
泥で汚れたローレライの指が、白い表紙を握りしめている。
その瞳には諦めと、意志が灯っていた。
「命脈尽きるまで一緒にいるって約束でしょ」
「……」
ルシオラは、愛しげに一言呟いた。
「あなたって、本当に清らかな人ね」
蔦がルシオラごとローレライの腰辺りまで巻きついたところで、デルフィナがラウルスに声を掛ける。
「ラウルス、止まって」
「承諾」
デルフィナの元まで、ランベルトが引きずるようにジェラールを連れてきた。
「蔦、再生の書で解いてもいいよ。一応手は縛らせて貰うけど」
そしてローレライが抱いているルシオラをちらりと見て、デルフィナに視線を移す。
「口も塞いだ方がいいのか?」
「再生魔法が使えても、一人で逃亡するのは難しいと思います」
「分かった。じゃあ俺が将軍と話すまで、そのまま待ってて」
ランベルトは見張りから取り上げた拡声魔導具を起動する。
そして巨大な鳥籠と化した拠点に向かって、声を響かせた。
「皇国に告ぐ。ジェラール王太子と聖女ローレライは、帝国が身柄を預かった。引き渡して欲しくば全軍を撤退し、アーデン将軍一人で裏門から投降せよ。武装していたり、他の人間が出てくるのを確認した場合、王太子の身の安全は保証されない」
中でざわめく声が聞こえる。
ランベルトは矢筒から一つだけ大きな羽根で誂えられた鏑矢を引き抜くと、山の上へ向けて放つ。
矢から笛のような音が鳴り、夜の山に反響していった。
帝国側の兵達に向けた成功の合図だった。
「将軍が撤退命令を出したら、拠点の包囲を解いてやってくれるか」
ランベルトはローレライの方に向き直り、そう声を掛ける。
ローレライは無言のまま、蔦の下でルシオラを握りしめていた。
「……お前ら、知っていたんだろう。その本の力を」
ジェラールは、対の本を持つデルフィナとローレライを睨みつける。
「魔導書に魅入られた魔女どもめ!お前達さえ私の前に現れなければ……こんな……」
「勝手に溺れたのはあんただよ」
ランベルトは剣を突きつけながら、心底つまらなそうに言う。
「聖女って国の道具じゃないんだよ。騎士団も強さを誇示するためにあるわけじゃない。上の人間が自分を満たすために動けば、周りがそのための道具になる」
口を噤むジェラール。その様子をランベルトは冷ややかに見下ろした。
「まぁ、王様の心構えを今更学んだって遅いんだけどな。帝国はジェラール王太子を支持しない」
ジェラールは青ざめる。
帝国が併合している全ての王国、公国から見放されるということだ。
彼は隣のローレライを睨みつけて吐き捨てた。
「お前のせいだ!帰ったら魔女として処刑してやる!」
それを聞いた瞬間、デルフィナの胸の奥から怒りが湧き上がる。
考えるよりも早くジェラールに手を打ち下ろしていた。
頬を叩く音が響く。
「っ!」
叩かれたジェラールは愕然としていた。
ローレライも、ランベルトも呆気に取られてその光景を見ている。
デルフィナは軽蔑と怒りを隠さずに、ジェラールに杖を突きつけた。
「あなたの行いは誰のせいでもない。ご自分の過ちで全てを失うのです」
その眼差しを、ジェラールは半ば放心しながら見ていた。
彼女はこんなに強い女性だっただろうか。
自分は何をしてしまったのか。
しかしその問いに答える者はおらず、全てが手遅れだった。
「……お出ましだ」
ランベルトが拠点の方へ目をやった。
裏門から剣帯を外したアーデンが出てくる。
「関所の留置所まで来てもらうぞ。夜明けまでには着くだろう」
まだ夜は長い。
藍色の帳の下で、デルフィナはラウルスをそっと抱いた。
「よくやった」
ラウルスは彼女にだけ聞こえる声で、満足そうに囁いた。




