16話 オルヴァル拠点①
皇国の拠点は、大森林の裾野にあった。
丸太を組んだ柵が敷地を囲み、入口には簡素な門がある。
中には兵士が仮眠している天幕が並んでいる。
その横には荷馬車が数台と、あとは倉庫と見張り台が一つ。
外では兵士たちが焚き火のそばで休み、門と見張り台には夜番が立っていた。
そして最奥に、指揮官用の木造の建物があった。
裏の木柵の一角には脱出用の裏門が設けられている。
「配給は行き届いたな。交代で休み、数刻後に進軍を開始する」
「畏まりました、ジェラール殿下」
魔導石のランタンが室内を照らす。
地図を広げた卓の中央に、ジェラールとローレライが座っていた。
その下座に鎧を着込んだアーデンが座り、側には数名の側近が立つ。
「無理はないか?」
ジェラールは気遣うようにローレライの肩に触れた。
「君は寝てて良い。夜明け前に私が起こそう」
「ありがとうございます。殿下は大丈夫ですか?」
「何、アーデンに頼み込んで昔はよく遠征に付いていったものだ」
話を向けられたアーデンは豪快に笑う。
「殿下は怖いもの知らずでしたからな!最近はお立場もあり、難しくなってしまいましたが…」
懐かしむ二人の空気と、続く昔話。
ローレライはそっと輪から抜け、仮眠を取ろうとした。
その時。
地響きと共に、カンテラが揺れた。
「何だ?」
外の天幕が激しくはためくのが聞こえ、直後に何かが倒れる音。
数秒置いて兵達のざわめきが聞こえた。
側近が確認に外へ出て、すぐさま慌てた様子で戻ってくる。
「大変です!何かに囲まれています!」
その者は、暗闇で蠢くものを何かとしか表現出来なかった。
しかし、柵の近くで見張りをしていた兵達には見えていた。
地面から木々が急速に伸び、柵の外側を囲んでいくのを。
「見て参ります。お二人は中に!」
アーデンもそう言って外に出る。
その頃には木々が柵より高く育ち、天蓋のように空を覆い始めていた。
見張り台は上部だけが木の上に突き出している形で、梯子が塞がれていく。
月明かりが枝葉に遮られる。
起きた兵達が焚き火やカンテラの周りに集まっていた。
「これは……どういうことだ……!」
アーデンは愕然としたまま、その光景を見ていた。
ハッと気を取り戻すと、建物の前にかけていたカンテラを手に取り、門を確認しに行く。
門であった場所は、何本もの巨木が隙間なく空間を塞いでいる。
それはさながら自然の檻のようだった。
「将軍!指示をお願いします!」
兵の声に振り返る。何かを答えようと、アーデンは口を開きかけた。
しかしそれは別の叫びに遮られて声にならなかった。
「精霊の怒りだ!!」
見張り台の上。
木に隠れて見えない場所から、拡声する魔導具を通して怯えた声が振り注いだ。
「街道も塞がれてる!一旦退け!!」
兵達は口々に戸惑いの声を上げる。
「退くと言っても、閉じ込められているぞ」
「精霊の怒りに触れて、無事に帰して貰えるのか」
「切っても大丈夫なのか?」
幼い頃から育まれた信心が躊躇いを生む。
その中で一人の勇敢な者が戦斧を振り下ろしたが、太い幹はびくともしない。
「くそっ、何だこれは!」
「おい、やめとけよ……」
それを見ていた兵達が後ずさる。
ローレライやデルフィナの治癒魔法に助けられてきた者達は、精霊の怒りに触れたと思い込み、みな恐れ慄いていた。
「ジェラール殿下……」
アーデンは青い顔で司令部に戻る。
「何があった?」
「それが、拠点全体が木に覆われています。精霊の怒りだと」
ローレライが立ち上がる。
精霊の仕業ではないという確信があった。
「私が行きましょう」
「一人では危ない。私も」
ランタンを持つローレライと共に、ジェラールも外に出る。
野営地には、夜空よりも暗い闇が落ちていた。
門の焚き火の周辺で何人かが武器を手に切り拓こうとしているが、多くの者は判断しあぐねて立ち尽くしている。
「将軍は彼らが混乱しないよう指揮をお願いします」
「ローレライ様はどちらへ?」
「精霊の怒りを鎮めるため、神聖力を流してみます」
ローレライは彼らの目に留まらないよう、人気の無い裏門へと移動する。
そしてベルトを外すと、ルシオラを胸の前に抱いた。
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木の天蓋から顔を出した見張り台。
そこに一人立っているランベルトは、月明かりの下で笑っていた。
手の中で使い終えた拡声魔導具を転がす。
それは今、床で気絶している見張りが持っていたものだ。
木が拠点を覆ったタイミングでランベルトは幹を伝って乗り移り、見張り台を奪っていた。
「うまくいったな」
見下ろした拠点は、さながら巨大な鳥籠のようだった。
ランベルトは恐怖の外にいるので、その造形にいっそ美しさすら感じていた。
ラウルスにとっては、不毛の地に湿地を作ることに比べれば赤子の手をひねるようなものだっただろう。
「デルフィナは茨も張り終えたかな?」
備え付けられた望遠鏡を手に取って街道へと向ける。
裾野のなだらかな坂道が、広がった野茨らしき影で塞がれているのが見えた。
「ん?」
ふと木の檻が軋む音がした。
ランベルトは望遠鏡から目を離す。
「我が祈りよ。生命を戻せ」
凛とした声が響いた。
柵を覆った木々の一部が巻き戻るように、地割れを残して地面に戻っていく。
柵に隠れた、小さな裏門が開いた。
そこから出てきたのは、野営地に不似合いな白く輝く衣装と風に靡くヴェール。
「……出てきたな」
ランベルトは小さく息を呑んだ。
「大丈夫ですか、殿下」
「一体何なのだ?これは」
ローレライに続いてジェラールも出てくる。
彼は半ば呆然と周りを見回していた。
野営地全体が木で覆われ、街道へ続く道も塞がれている。
山がこれ以上進むなと言っているようだった。
「本当に精霊が……」
「これは、精霊の怒りではありません」
彼の畏れを遮ってローレライは断言する。
種子へと戻り、大きな穴だけが残った地面に視線を走らせる。
ルシオラの魔法が通じている。
「門を開放する前に、あれを先に取り除きましょう」
ローレライはそう言って、茨が生い茂る街道に足を向けた。
坂を見上げて、はたと立ち止まる。
茨の後ろに人影が一つ。
黒いマントから覗く白と青の法衣。
「お久しぶりですね」
ランタンが照らし出した姿に、ジェラールは眉を顰める。
「デルフィナ……?」
デルフィナは静かにそこに佇んでいた。
野営地を囲む木々のことも、目の前に生い茂る茨も気にかけずに涼やかな顔をしている。
左手に黒い本を抱え、右手には杖。
ジェラールは、彼女が関わっているのだと察した。
「やはり君は魔女だったのだな!」
「ある意味では、そうとも言えるのかもしれませんね」
デルフィナは肯定も否定もしなかった。
「この力は聖女の魔法ではありません。そして彼女の力も」
本を翳し、唱える。
「我が願いよ、地を裂け」
ジェラールはびくっと飛び退いた。
手首ほどもある太さのシダが、彼らの足元を這い、絡め取ろうとする。
咄嗟にローレライも叫んでいた。
「我が祈りよ、生命を戻せ」
シダは細く、短い本来の姿に戻っていく。
ジェラールはデルフィナの黒い本とそっくりの装飾が施された白い本を見た。
闇夜でも煌めく白い宝石。
「……魔導具……?」
「魔導書だ。そこいらの有象無象と一緒にするな、愚か者よ」
「!?」
デルフィナの方から聞こえた老人の声。
それに呼応するように、ローレライの手元からも女性の声が響いた。
「ラウルス。何十年ぶりでしょう、お会い出来て嬉しいわ」
場にそぐわない、ゆったりと歌うような節。
それが却ってルシオラの異質さを浮き彫りにしていた。
「私達、お互いに譲れぬ事情があるようですね。どうしても理解しあえないのですか」
「覚えておけ、ルシオラ。それは戦争を仕掛ける側の言葉ではない」
一蹴され、ルシオラの声音が硬くなる。
「あなた達はローレライのことを何も知らない。彼女がどんなに苦しみ、限りある生命を救ってきたことか」
「……いいの、ルシオラ」
優しく本を抱えて、彼女は諦めたように囁く。
視線の先にはデルフィナがいる。
「私は自分の望みのために、してはいけないことをしたから」
「ローレライ……?」
ジェラールが信じられないものを見るかのように彼女を見た。
失望と怒りがない混ぜになった、初めて彼から自分に向けられる瞳。
ローレライは、少しだけ笑った。
「私は、便利でしたでしょう?」
山から強風が吹き、ローレライのヴェールが飛ばされた。
冷ややかにジェラールを見据える目が露わになる。
「君は、私を騙していたのか……!」
ローレライはどうでも良さそうに首を振った。
「その話は後にしましょう。今は彼女を何とかしなければ」
鋭い目でデルフィナを見上げる。突き放すような声が漏れた。
「邪魔をしないで、帝国で大人しくしていたら良かったのに」
彼女の視線を受け止め、デルフィナは杖をローレライに向ける。その顔に浮かんでいるのは、静かな決意だった。
「あなた方は、ここで止めます」




