↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/3

第2話 ことば

鏡の向こうに突然現れた、見知らぬ青年。

神々からのお告げなのか。それとも、まったく別の何かなのか。

恐怖のあまり鏡を閉じてしまったアウレリア。

一方の拓海も、突然通信を切られて戸惑っていました。

もう一度、話してみたい。

でも、相手は自分をどう思っているのだろう。

そんな二人が再び向き合ったとき、思いがけない方法で心の距離が縮まり始めます。

第2話『ことば』。

言葉の通じない二人の、小さな一歩が始まります。

挿絵(By みてみん)


通信が途切れた。


鏡から少女の姿が消え、そこには拓海自身の姿だけが残っている。


拓海はしばらく、その場に立っていた。


「……切れた?」


鏡に近づいてみる。


何も起こらない。


「なんだよ……」


さっきまで映っていた少女を思い出す。


自分が「Hello?」と言った直後だった。


少女は何かを言い、両手を動かした。


そして、


パン。


「あれ……?」


拓海は眉を寄せた。


自分も何度か、同じ操作をしている。


両手を下から上へ動かす。


そして、一拍。


それで通信が終了した。


ということは。


「……あの子、自分で切った?」


少しへこんだ。


鏡の前にしゃがみ込む。


「俺、なんかしたかな……」


パチン。


左手の指が、無意識に鳴った。


もう一度、記憶をたどる。


少女の顔。


怒っていた?


いや。


違う。


後ずさっていた。


「……怖がってた?」


考えてみる。


見たこともない男が突然鏡に現れて、意味不明な言葉を喋っている。


「そりゃ……怖いか」


拓海は鏡の中の自分を見る。


「でも俺、何した?」


少し考える。


「Helloって言っただけだよな……」


間。


「発音?」


首を傾げる。


「そんな悪かった?」


違う気がする。


もし、もう一度つながったら。


謝りたい。


何を謝るのかも分からないけれど。


少なくとも、怖がらせるつもりはなかったことくらいは伝えたい。


問題は。


「……どうやって?」


* * *


「なあ」


拓海が妹の部屋を覗いた。


「なに?」


「ちょっと頼みがあるんだけど」


「やだ」


「まだ何も言ってないだろ」


妹は端末から顔を上げる。


拓海は少し言いにくそうに口を開いた。


「……ぬいぐるみ貸して」


「…………は?」


「ぬいぐるみ」


「聞こえた。なんで?」


「ちょっと使いたい」


「何に?」


「……人と話すのに」


妹の手が止まった。


「ぬいぐるみで?」


「そう」


「誰と?」


「外国人」


「なんで外国人と話すのに、ぬいぐるみがいるの?」


拓海は少し目を逸らした。


「……ちょっと怖がらせたっぽくて」


沈黙。


妹がゆっくり兄を見る。


「…………兄ちゃん、何したの?」


「何もしてないよ!」


「何もしてないのに怖がられたの?」


「だから困ってんだよ!」


妹はますます怪しいものを見る目になる。


「相手、女?」


拓海が一瞬止まった。


「……まあ」


「何歳?」


「知らない」


「どこの国?」


「知らない」


「名前は?」


「知らない」


妹が、すっと後ずさった。


「怖いの、相手じゃなくて兄ちゃんじゃない?」


「違う!」


妹は笑いながら、棚から猫のぬいぐるみを取った。


大きな丸い目。


丸い頭。


短い手足。


「これなら?」


拓海は受け取った。


「お。いいじゃん」


「絶対変なことに使わないでよ」


「使わねえよ」


拓海は猫を見る。


「……これなら怖くないだろ」


「何する気なの……」


* * *


その夜。


アウレリアは寝台の中で目を閉じていた。


眠れない。


浮かぶのは、鏡の向こうに現れた青年。


最後に聞こえた声。


『Hello?』


目を開ける。


寝返りを打つ。


また目を閉じる。


今度は、自分が通信を閉じた瞬間が蘇った。


アウレリアは身体を起こした。


「……なんということを」


もし、あの方が九神に関わる者だったなら。


神々から何かを伝えるために現れた者だったなら。


自分は、その声を恐怖だけで閉ざしたことになる。


けれど。


あの青年の顔も思い出す。


怒ってはいなかった。


むしろ困惑していた。


自分に何かを伝えようとしていた。


「……あなた様は、何者なのですか」


独り言にしてみる。


当然、返事はない。


聞きたいのなら。


もう一度、鏡を開かなければならない。


* * *


翌日。


アウレリアは神託の間にいた。


鏡の前まで来る。


止まる。


鏡を見る。


手を上げかける。


「…………」


下ろした。


数歩離れる。


そして、また戻ってくる。


同じ頃。


拓海も鏡の前にいた。


隣には、妹から借りた猫のぬいぐるみ。


椅子に座る。


鏡を見る。


立ち上がる。


「……こっちから、つないでみるか?」


鏡の前まで行く。


手を上げる。


止める。


「いや……」


昨日の少女の怯えた顔を思い出す。


「また俺からやったら、余計怖いよな」


戻る。


座る。


数秒。


また立つ。


「でも、なんかしたなら謝りたいしな……」


鏡を見る。


「……怒らせたかな」


猫のぬいぐるみを見る。


猫も当然、何も答えない。


拓海は猫を持ち上げた。


「どうする?」


猫を少し動かす。


「……知らんにゃ」


自分で言って、自分で微妙な顔になる。


「ついにおかしくなったか、俺……」


猫を置いた。


アウレリアは、また鏡の前に立っていた。


今度こそ両手を上げる。


だが。


止まる。


「…………」


昨日の自分を思い出す。


通信を閉じた瞬間。


『Hello?』


「もし、お怒りでしたら……」


また手が下がった。


拓海は床に寝転がっていた。


猫のぬいぐるみを胸の上に乗せたまま、鏡を見る。


「……かかってこないかな」


間。


「電話じゃないけど」


猫を持ち上げる。


じっと見る。


「もし来たら……」


猫の顔を見る。


「お前に任せるしかないな」


猫の前脚を上げる。


「にゃん」


間。


「…………」


猫を下ろす。


「いや、これ大丈夫か?」


アウレリアは目を閉じた。


深く息を吸う。


吐く。


「このまま何もしないわけには……」


目を開く。


鏡の前へ。


今度は退かない。


決められた所作で、通信を選択する。


あとは決定するだけ。


手が止まる。


一呼吸。


二呼吸。


パン。


鏡の枠が光った。


拓海が跳ね起きる。


「……来た! キターーーーーー!!」


表示を見る。


通信要求。


一瞬、顔が強張った。


「……マジか」


承認しようとして、


止まる。


猫を見る。


「…………」


猫をつかむ。


「頼むぞ」


承認。


アウレリアは鏡の前で待っていた。


何も起こらない。


一呼吸。


二呼吸。


三呼吸。


「…………」


表情に不安が浮かぶ。


――応じてくださらない。


昨日、自分が拒絶したから。


そう思った瞬間。


鏡の枠に光が走った。


アウレリアが息を呑む。


応答。


画面が開いていく。


身体が強張った。


怒っているだろうか。


何を言われるだろう。


光が収まる。


鏡いっぱいに、


猫。


「…………」


猫が、ぺこり。


「……にゃん」


「…………?」


猫の後ろから、青年が恐る恐る顔を出した。


「……Hello」


引っ込む。


また猫。


「にゃん」


アウレリアは目を瞬かせた。


昨日、あれほど恐れていた相手が、


今日は猫の人形の後ろに隠れている。


青年がもう一度、そっと顔を出す。


少し恥ずかしそうに笑っている。


アウレリアの口元が、


ふっと緩んだ。


* * *


少女が笑った。


拓海は一瞬、信じられないような顔をした。


「……笑った?」


もう一度、猫を動かす。


「にゃん」


今度は、少女がはっきり笑った。


拓海の肩から一気に力が抜ける。


「よかったぁ……」


もちろん、言葉は通じていない。


それでもアウレリアには分かった。


青年が安心した。


自分が笑ったことで。


猫を見る。


青年を見る。


昨日、自分が怯えたことを、この人は気にしていたのではないか。


だから今日は。


自分を怖がらせないように。


こんなことまで。


アウレリアは少し姿勢を正した。


胸元に手を添える。


「……あなた様は?」


拓海が首を傾げる。


「……?」


「あなた様は、どなたなのですか?」


「…………」


拓海は考えた。


「Can you speak English?」


今度はアウレリアが首を傾げる。


「申し訳ありません。何とおっしゃっているのか分からないのです」


「……英語もダメか」


拓海は少し驚いた。


外国人なら英語が通じる。


どこかで、そんな思い込みがあった。


「じゃあ……」


スマートフォンを取り出した。


アウレリアの目が、拓海の手の中へ向く。


薄い、小さな板。


黒かった表面に突然、光が宿った。


アウレリアの表情が変わる。


だが、拓海は気づかない。


翻訳アプリを起動する。


「何か喋ってみて」


通じない。


拓海は自分の耳を指し、アウレリアを指した。


「喋って。何か」


アウレリアは意図を察した。


「……私は、あなたのお言葉を理解することができません」


スマートフォンが音を拾う。


《LANGUAGE:UNKNOWN》


《既知言語と照合中》


複数の候補が表示される。


古代ギリシャ語。


アルバニア語。


地中海周辺のいくつかの言語。


だが、どれとも完全には一致しない。


「古代ギリシャ語……?」


AIが暫定的な意味を表示する。


《推定:私/あなた/言葉/理解できない》


拓海の目が輝いた。


「おお!」


アウレリアが驚く。


「……?」


「いや、ごめん。何でもない」


当然、それも伝わらない。


拓海は苦笑した。


「これじゃダメだな」


少し考える。


スマートフォンを横へ置いた。


そして、自分の胸を指す。


「拓海」


もう一度。


「拓海。た・く・み」


アウレリアが見る。


拓海は猫を指した。


「ネコ。ね・こ。にゃーん!」


自分を指す。


「拓海」


猫を指す。


「ネコ」


何度か繰り返す。


やがて、アウレリアの表情が変わった。


理解した。


自分の胸に手を置く。


「アウレリア」


「……!」


拓海は四本の指を揃え、手のひらを上にして彼女を示した。


「アウレリア?」


「アウレリア」


拓海は自分を指す。


「拓海」


アウレリアも拓海を示す。


「……タクミ?」


「そう!」


大きく頷く。


「拓海!」


アウレリアも笑う。


「タクミ」


二人とも笑った。


初めて。


一つの意味が、完全に通じた。


スマートフォンでは、


《固有名詞候補:TAKUMI》


《固有名詞候補:AURELIA》


と表示されている。


けれど二人は、


もう画面を見ていなかった。


* * *


そこから、奇妙な授業が始まった。


猫。


手。


髪。


目。


水。


食べる。


飲む。


笑う。


互いに指し示し、


ゆっくり発音し、


相手の言葉を真似する。


間違える。


直す。


また間違える。


そして笑う。


拓海が猫を指した。


「かわいい」


アウレリア。


「……カワイイ? ネコ?」


「そう。猫だけど、かわいい。可愛い猫!」


アウレリアは猫を見る。


次に。


自分を指した。


「……カワイイ?」


拓海が固まる。


「え?」


アウレリアは、もう一度自分を指す。


「カワイイ?」


「いや……」


拓海は困った。


そして少し照れながら、


「まあ……かわいいけど……うん、可愛い!」


アウレリアには、まだよく分からない。


ただ、拓海の顔を見て笑った。


スマートフォンには、


《KAWAII》


《意味候補:小さい/好ましい/美しい/愛らしい》


《信頼度:低》


二人が言葉を増やすたび、


AIもまた、二人の間にある言葉を学習していった。


やがて、スマートフォンの表示が変わった。


《既知言語との完全一致なし》


《独立言語として解析を継続》


《語彙対応データ蓄積中》


《構文パターンを推定》


二人がやり取りを続ける。


水を指す。


飲む仕草をする。


拓海が尋ねる。


アウレリアが答える。


AIはその声を拾い、


二人の指先を見て、


表情の変化を追い、


言葉と意味の組み合わせを少しずつ修正していく。


《暫定翻訳モデルを生成中》


拓海が画面に気づいた。


「……お?」


表示を覗き込む。


《TEMPORARY LANGUAGE PROFILE》


《AURELION》


「アウレリオン……」


拓海は小さく呟いた。


「国の名前と同じか」


もちろん、それが本当に言語の名なのかは分からない。


AIが便宜上つけた仮の名前にすぎない。


続いて表示される。


《双方向翻訳:試験運用可能》


《翻訳精度:低》


《会話データの蓄積により継続学習します》


「マジか」


拓海はアウレリアを見る。


スマートフォンを指し、


次に自分の口を指した。


「これで……少し話せるかも」


アウレリアにはまだ、その言葉そのものは分からない。


けれど。


拓海の顔を見て、


何かが一歩進んだことだけは分かった。


アウレリアが微笑む。


拓海も笑った。


二人が教え合った言葉を材料にして、


ようやくAIも、


二人の間に立つ準備を始めていた。


* * *


ある程度、言葉が蓄積したころ。


拓海はスマートフォンに世界地図を表示した。


自分を指す。


「拓海」


日本列島を指す。


「日本。ニホン」


アウレリアも繰り返す。


「……ニホン」


「そう」


今度はアウレリアを指す。


「アウレリア」


そして地図。


「どこ?」


アウレリアはしばらく考えた。


自分の胸に手を置く。


「アウレリア」


そして、自分のいる場所を示すように周囲へ手を広げた。


「アウレリオン」


「……アウレリオン?」


「アウレリオン」


拓海は検索する。


出ない。


「……ない」


国旗の一覧を表示する。


次々にスクロールする。


「この中?」


しかし、アウレリアは国旗ではなく、拓海の指を見ていた。


スッ。


指が動くと、画面が動く。


もう一度。


アウレリアの顔から笑みが消えた。


驚き。


鏡を見る。


スマートフォンを見る。


そして、自分の手を動かす。


鏡を指す。


スマートフォンを指す。


同じ動作。


拓海も気づいた。


「……これ?」


スマートフォンをスクロールする。


アウレリアが頷く。


「……同じ?」


まだ未熟な翻訳が、どうにか意味を拾う。


二人は顔を見合わせた。


* * *


拓海は、日本の映像を見せた。


東京。


高層ビル。


電車。


夜の街。


巨大な映像広告。


行き交う人々。


アウレリアは声も出ない。


逆にアウレリアも、自分のいる場所を拓海に見せる。


窓の向こうに広がる石造りの王都。


港。


帆船。


遠くにそびえる山。


拓海は画面に顔を近づけた。


「……どこだよ、ここ」


石造りの街。


港に並ぶ帆船。


見える範囲に、高層建築も自動車もない。


「映画のセット……?」


さらに覗き込む。


人が歩いている。


荷を運ぶ者。


港では船が動いている。


街の奥まで建物が続いている。


「いやいや……規模でかすぎだろ」


もう一度、港を見る。


帆船。


石造りの建物。


人々の服装。


拓海の頭に、海賊映画の光景が浮かぶ。


「パイレーツストーリーまんまじゃん!」


アウレリア。


「……?」


「いや、こっちの話」


もちろん通じない。


拓海はさらに考える。


「テーマパーク?」


少し間を置く。


「……ネズミーシーの、お姫様とか?」


自分で言っておいて、首を振る。


「いや、こんなとこあったら知ってるよな……」


どこかの島。


外界との交流をほとんど持たず、昔ながらの生活様式を守っている共同体。


そんなものだろうか。


「……アーミッシュみたいな感じなのかな」


けれど、それにしては規模が大きすぎる。


王都らしき街が丸ごと存在している。


知れば知るほど、


分からなくなる。


一方、アウレリアにとってニホンは、


まったく逆の意味で理解できない国だった。


天を突くほどの建物。


信じられない速度で走る乗り物。


夜でありながら昼のように輝く街。


巨大な絵が動いている。


そして、その世界を、


タクミはまるで珍しくもないものとして見せている。


ニホン。


未知の国。


九神の伝承に匹敵するような技術が、当たり前に存在する国。


二人ともまだ、


相手は世界のどこかにいるのだと思っていた。


* * *


アウレリアには、ずっと気になっているものがあった。


拓海が手にしている、小さな板。


「タクミも……神官なのですか?」


翻訳が、不完全ながら意味を伝える。


「神官?」


拓海は自分を指した。


「俺?」


アウレリアが頷く。


「違う違う」


拓海は首を横に振った。


「親父は神主だけど、俺は違うよ」


細かな意味までは伝わらない。


アウレリアはスマートフォンを指した。


「では、なぜそのような神器をお持ちなのです?」


「神器?」


拓海はスマートフォンを見る。


「これ?」


アウレリアは真剣に頷いた。


「いや、これ普通のスマホだよ」


《普通》


「……普通?」


「うん」


「ニホンでは……皆が?」


「まあ、だいたい」


拓海は考えた。


「十人いたら、九人くらいは持ってるよ」


アウレリアの動きが止まった。


「……十人のうち、九人?」


「うん」


「子供も?」


「持ってるよ。普通に」


アウレリアはスマートフォンを見つめた。


自分の知る神器。


国の未来に関わるもの。


巫女ですら、定められた方法でしか扱わないもの。


それと同じような力を持つ品を、


子供が持つ。


「皆は、どのように使っているんですか?」


「え?」


「子供たちは……特に」


拓海は考える。


「ゲームしたり」


「……?」


「動画見たり」


「……?」


「友達と話したり」


アウレリアは困惑する。


拓海も説明に困った。


「まあ、いろんなことできるんだけど」


スマートフォンを持ち上げる。


「これ、もともと通信機器だよ」


「ツウシン……?」


「電話機」


伝わらない。


拓海は考えて、言い直した。


「遠くにいる人と、話すための道具」


翻訳が表示される。


《遠く離れた人物と言葉を交わす道具》


アウレリアの表情が変わった。


「……遠くにいる人と、話せる力?」


「うん」


「離れた国でも?」


「外国? 普通に話せるよ」


アウレリアが動かなくなった。


幼い日の記憶が蘇る。


祖母の隣に座る、五歳のアウレリア。


『ヘルメス様はね、どれほど遠く離れた者とも、言葉を交わすことがおできになったのですよ』


『どんなに遠くても?』


祖母が微笑む。


アウレリアは現在へ戻った。


拓海の手の中にあるスマートフォンを見る。


「……ヘルメス様の力……?」


「ヘルメス?」


拓海には分からない。


アウレリアは、


スマートフォンを見る。


鏡を見る。


そして、拓海を見る。


タクミは神には見えない。


自分が怯えていれば気にする。


猫の人形を使ってまで、自分を笑わせようとする。


言葉が通じれば、自分と同じように喜ぶ。


私たちと同じ人。


それなのに。


彼の国には、


ヘルメスの奇跡と同じものがある。


しかも。


子供まで持っている。


* * *


会話の途中。


拓海は何気なくスマートフォンを後ろのポケットへ入れた。


「……!」


アウレリアが目を見開く。


「タクミ!」


「ん?」


アウレリアは拓海の後ろを指した。


「それを……そこへ?」


「え?」


拓海はスマートフォンを取り出した。


「これ?」


アウレリアが強く頷く。


「うん。ポケットだけど」


アウレリアは絶句した。


拓海には、何が問題なのか分からない。


「……?」


アウレリアはスマートフォンを見る。


そして、ようやく理解し始めた。


この人は神器を粗末に扱っているのではない。


本当に、


神聖なものだとは思っていないのだ。


ニホンでは、


これほどのものが、


それほどまでに日常なのだ。


* * *


随分と時間が過ぎていた。


アウレリアは鏡を見る。


そろそろ戻らなければならない。


拓海を見る。


昨日と同じように、通信終了の所作へ入る。


拓海の身体が、一瞬だけ強張った。


昨日の記憶。


けれど。


アウレリアは操作をする前に、拓海を見た。


そして手を振る。


「タクミ」


拓海の表情が緩んだ。


手を振り返す。


「アウレリア」


少し考えて。


「またな」


アウレリアは、その言葉の意味をまだ知らない。


けれど。


昨日とは違うことだけは分かる。


アウレリアも微笑んだ。


パン。


通信が閉じる。


鏡が暗くなる。


拓海はしばらく鏡を見ていた。


昨日とは違う。


「……切られた」


少し笑う。


「でも、なんか……違うな」


猫のぬいぐるみを見る。


「お前のおかげか?」


猫を持ち上げる。


「やるじゃん」


猫。


「…………」


拓海。


「……やっぱりいかれたな、俺」


* * *


「父上。鏡のお告げの件で」


王が顔を上げた。


「何か動きがあったのだな?」


「はい」


「して、どのような?」


アウレリアは一度考えた。


「まず……あの方ご自身は、九神のお一人ではないと思われます」


「なぜ、そう思う?」


「私たちと同じ人なのだと思います」


王の表情がわずかに変わった。


「同じ?」


「はい」


アウレリアは、昨日、自分が恐れて通信を閉じたことを話した。


「そのことを、あの方は察しておられたようなのです」


思い出して、少しだけ笑う。


「今日は私を怖がらせないよう、愛らしい動物の人形をお持ちになりました」


「……人形?」


「はい。おそらく猫をかたどったものです」


「猫……」


「その陰から顔を出したり、人形に話をさせるような仕草をしたり……」


アウレリアの口元が、また少し緩む。


「人形劇のような……道化のようなことまでして、私に話しかけようとなさいました」


「……道化か」


「はい」


「それで、お前はもう恐ろしくないのか?」


アウレリアは少し考えた。


「……はい」


一拍。


「少なくとも、タクミという方は」


「タクミ」


「はい。あの方の名です」


「では、そのタクミという者は、九神とは無関係だと?」


アウレリアの表情が引き締まった。


「いいえ」


王が見る。


「むしろ……九神様と無関係とは、私には思えなくなりました」


「どういうことだ?」


アウレリアは説明した。


手のひらほどの小さな板。


無数の絵。


地図。


知らない国々。


言葉を調べる力。


そして。


「その品を操る所作が、鏡とよく似ているのです」


アウレリアが指を動かしてみせる。


「……鏡と?」


「はい」


「偶然ではないと?」


「分かりません。ですが、それだけではありません」


アウレリアは続けた。


「あの品は、遠く離れた者と言葉を交わすために作られたものだそうです」


王の目が変わる。


「……遠く離れた者と?」


「はい」


アウレリアはゆっくりと言った。


「父上。ヘルメス様の伝承を覚えておられますか」


王は答えない。


だが、その表情で分かる。


「ヘルメス様は、どれほど遠く離れた者とも言葉を交わすことがおできになった」


沈黙。


「私は……同じものなのではないかと思いました」


王はしばらく考えた。


「その品は、ニホンでは特別な者だけが持つのであろうな?」


「いいえ」


「では?」


「タクミによれば……」


アウレリア自身、まだ信じ難そうに、


「十人のうち、九人ほどが持っているそうです」


「……九人?」


「はい」


「神官が?」


「いいえ」


「王侯が?」


「いいえ」


「では、誰が?」


「普通の民です」


一拍。


「子供たちも持っているそうです」


王は黙った。


やがて、窓の外へ視線を向ける。


「九神の奇跡に等しいものを、子供まで持つ国……」


「はい」


「ニホン」


「はい」


「お前は、その国を知っていたか?」


「いいえ。名すら初めて聞きました」


「向こうはアウレリオンを?」


「知りませんでした」


王は考え込む。


「その者は、お前を害そうとしたか?」


「いいえ」


アウレリアは即答した。


「むしろ、私が恐れていることを気にかけてくださいました」


王が娘を見る。


「アウレリア」


「はい」


「まだ、何も決めつけてはならぬ」


「はい」


「タクミという青年が何者なのか。ニホンという国が何なのか。そして、九神との関わりが本当にあるのか」


王は少し間を置いた。


「知らぬものを恐れるだけでは、何も知ることはできぬ」


アウレリアが頷く。


「そのタクミという者との対話を続けよ」


アウレリアの目が、ほんの少し明るくなった。


「……はい」


「恐れる必要はない。だが、軽んじてもならぬ」


王は静かに告げる。


「知りなさい。その者を。そして、ニホンという国を」


「はい。父上」


アウレリアは深く頭を下げた。


* * *


王の部屋を出る。


アウレリアは一人、長い廊下を歩いていた。


王から命じられた。


これで、


また鏡を開くことができる。


歩きながら、


ふと気づいた。


自分が少し嬉しいことに。


足を止める。


「…………」


小さく。


「タクミ」


そして、また歩き出す。


今度は、


ほんの少しだけ軽い足取りで。




第2話 了

言葉が通じなくても、気持ちが伝わることってありますよね。

怖がらせてしまった相手を笑顔にしたくて、猫のぬいぐるみを持ち出した拓海。

そんな彼の不器用な優しさが、アウレリアの心を少しだけ動かしました。

ようやく名前を知り、言葉を交わし始めた二人。

でも、そもそも鏡の向こうは、どこなのでしょうか。

第3話『それとも……』では、二人の何気ない交流をきっかけに、これまで考えもしなかった疑問が浮かび上がってきます。

どうぞ、引き続きお楽しみください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。