第3話 それとも……
第3話「それとも……」
鏡を通じて、少しずつ互いの世界を知っていく拓海とアウレリア。
自分にとっては当たり前の日常も、相手にとっては驚きの連続です。
今回は、そんな二人の交流に、拓海の友人・直樹が加わります。
不思議な出来事を前に、人は何を信じ、何を疑うのか。
どうぞお楽しみください。
翌日。
アウレリアは、鏡の前に立っていた。
昨日までとは違う。
最初にこの鏡が見知らぬ青年の姿を映した時、恐ろしかった。
九神の御姿なのかもしれない。
そう思ったことさえある。
けれど今は、その向こうに誰がいるのかを知っている。
タクミ。
父からも、対話を続けるよう命じられた。
それは巫女としての役目でもある。
だから、これは役目なのだ。
アウレリアはそう自分に言い聞かせながら、鏡に手を伸ばした。
いつもの所作で、右にあった読めない文字を中央へ移す。
そして、一拍。
パン。
鏡の表示が変わる。
やがて。
見慣れ始めた部屋が映った。
「あ」
拓海がこちらを見た。
昨日よりもずっと自然に笑った。
「アウレリア」
名前を呼ばれる。
「タクミ」
自分も名前を返す。
それだけのことなのに、
アウレリアは少し嬉しかった。
* * *
「ニホンについて、もっと知りたいのです」
「日本?」
拓海は少し考えた。
「何が知りたい?」
そう尋ねられて、アウレリアは困った。
何を尋ねればよいのかすら分からない。
昨日見せてもらった、小さな板。
スマートフォン。
あの中には、信じられないほど多くのものが入っていた。
文字。
絵。
地図。
動く映像。
それを、この国では子供まで持っているという。
「……タクミが暮らしているところを、見てみたいです」
「俺が住んでるところ?」
「はい」
「じゃあ、写真とか動画の方が早いか」
拓海がスマートフォンを操作する。
鏡の向こうに、別の映像が映し出された。
アウレリアは息を呑んだ。
空へ伸びる巨大な建物。
何十、何百という窓。
その間を縫うように、無数の乗り物が走っている。
「これが東京」
「トウキョウ……」
「日本で一番大きな都市……って言うと、ちょっと違うかな。まあ、首都圏の中心」
映像が切り替わる。
長い車体が、恐ろしい速さで走り抜けていく。
「これは?」
「電車」
「馬は?」
「いないよ」
アウレリアが拓海を見る。
「では、何がこれを引いているのですか?」
「誰も引いてない」
「…………」
その表情に、拓海が吹き出した。
「ごめん。でも、そうなるよな」
「これほど大きなものが、自ら走るのですか?」
「うん。電気で」
「デンキ……」
昨日から、分からない言葉が増える一方だった。
次の映像。
空を巨大な何かが飛んでいる。
アウレリアが固まった。
「……鳥、ではありませんね」
「飛行機」
「人が乗るのですか?」
「乗るよ。何百人も」
「何百人……」
拓海はだんだん楽しくなってきた。
驚くアウレリアを見るのが面白い。
ただ、笑っているわけではない。
自分にとって当たり前のものが、彼女にとっては奇跡に近い。
そのことが、不思議だった。
そして。
画面いっぱいに、淡い桃色が広がった。
枝という枝を覆う無数の花。
風が吹く。
花びらが舞う。
アウレリアが身を乗り出した。
「……これは?」
声が少し変わった。
「この花は何ですか?」
「桜」
「サクラ……」
「日本じゃ、春になると咲くんだ」
アウレリアはしばらく映像を見つめていた。
「とても……綺麗です」
「でしょ」
風に舞った花びらが、道を歩く人々の肩へ落ちる。
「ずっと咲いているのですか?」
「いや。結構すぐ散っちゃう」
「こんなに美しいのに?」
「だからいいって言う人もいるけどね」
アウレリアは、もう一度花を見る。
「実際に見てみたいです」
拓海は何気なく答えた。
「じゃあ、いつか見に来ればいいじゃん」
「ニホンへ?」
「うん」
アウレリアが微笑んだ。
「はい。いつか」
その言葉を、
二人とも疑わなかった。
* * *
「そうだ」
拓海はスマートフォンを何度か操作した。
「家族も紹介しようか」
「カゾク?」
「俺の家族」
写真が表示される。
少し前に撮った家族写真だった。
「これが母さん。鳴海」
「ナルミ」
「で、妹の美波」
「ミナミ」
「そう」
アウレリアは写真を覗き込む。
「タクミと似ていますね」
「どっちが?」
「……どちらも、少し」
「それ一番困る答えだな」
アウレリアが笑う。
拓海は写真を指で動かした。
「それから、父さん。拓哉」
「タクヤ」
アウレリアは写真の中の一人一人を、確かめるように見た。
「そういえばさ」
拓海が写真を見ながら言った。
「俺の名前、父さんと母さんから一文字ずつもらってるんだ」
「お二人から?」
「うん。日本の名前には、文字そのものに意味があるんだけど」
拓海は紙に三つの名前を書いた。
拓哉。
鳴海。
拓海。
「父さんの『拓』と、母さんの『海』。それで拓海」
アウレリアは三つの文字を見比べた。
意味までは分からない。
けれど、同じ形が使われていることは分かった。
「では……」
アウレリアは拓海の名を指した。
「タクミというお名前の中に、お父様とお母様がいらっしゃるのですね」
拓海は一瞬、言葉を止めた。
「……そういう言い方すると、なんかいいな」
「良いお名前です」
「ありがとう」
拓海は照れ隠しのようにスマートフォンをいじった。
「あ、ちなみに美波の名前には、ちょっとした裏話がある」
「ウラバナシ?」
「父さんが若い頃、好きだった女優さんがいたんだよ」
「ジョユウ?」
「映画とか物語の中で、人を演じる仕事」
「なるほど」
「その人が、沖 美波っていう人でさ」
拓海は妹の写真を指差した。
「そこから『美波』」
アウレリアは少し考えた。
「お父様は、その方をお好きだったのですね」
「まあ……ファンって意味でね」
「ナルミ様は、ご存じなのですか?」
拓海が止まった。
「…………たぶん」
「たぶん?」
「アウレリア。この話はここまでにしよう」
「なぜです?」
「家庭の平和のためです」
アウレリアは意味が分からず首を傾げた。
拓海は笑った。
* * *
今度は拓海が尋ねた。
「俺ばっかり見せてるけど」
「はい?」
「アウレリアのところも見てみたい」
「私の……?」
「うん。街とか。みんながどういう生活してるのかとか」
アウレリアは少し考えた。
鏡そのものを外へ持ち出すことはできない。
だが、見せられるものはある。
アウレリアは部屋を離れ、しばらくして戻ってきた。
手には数枚の図と、薄い板に描かれた絵があった。
「これは王都です」
鏡の前に広げる。
高台から街を描いたものだった。
石造りの建物。
広場。
市場。
港。
海には帆を張った船。
拓海は画面を拡大した。
「……すげえ」
「こちらが港です」
「これ、今も使ってるの?」
「もちろんです」
「この船も?」
「はい」
拓海は黙った。
次にアウレリアが見せたのは、祭りの時に描かれた街の様子だった。
長い衣。
革の履物。
荷車。
家畜。
石造りの道。
「…………」
「どうしました?」
「あ、いや」
拓海は頭を掻いた。
「なんか……すごいなと思って」
「トウキョウほどではありません」
「いや、そういう意味じゃなくて」
どう説明すればいい。
まるで映画のセットだ。
いや。
歴史を再現したテーマパーク。
そういう場所なら、2035年にもいくらでもある。
世界中から観光客を呼ぶため、町そのものを昔の姿に再現している地域も珍しくない。
日本にだってある。
電柱のない蔵だらけの町。
藁ぶき屋根ばかりの集落。
最近では、見るだけではなく、その時代の暮らしそのものを体験するツアーも人気になっていた。
古代の衣服を着る。
火を起こす。
当時の道具で料理をする。
復元された住居に泊まる。
場所によっては、電気もスマートフォンも使わずに数日間生活する。
いわば、
古代生活体験ツアー。
一方、日本では、学校生活そのものを体験する外国人向けツアーまで人気だ。
制服を着て授業を受け、部活動を体験し、学園祭に参加する。
アニメで見た「日本の学校」を実際に体験したいのだという。
拓海自身、大学の学園祭で外国人観光客の集団を見たことがある。
軽音サークルのステージから、少し懐かしいヴィジュアル系バンドの曲が流れていた。
VELNICA。
直樹が好きなバンドだ。
だから、こんな場所があったとしても不思議ではない。
古代生活体験ツアー。
歴史を再現したテーマパーク。
昔ながらの生活を守っている共同体。
そう考えれば、まだ説明はつく。
ただ。
アウレリアは、そこで暮らしている。
演じているようには見えない。
* * *
「……で?」
直樹は、腕を組んだ。
「俺にこれを見せて、どうしろと?」
拓海はスマートフォンを直樹の前に置いた。
「だから、どう思う?」
「どうって」
直樹は映像をもう一度見る。
アウレリアから見せてもらった街の絵。
文字。
道具。
そして、拓海が保存していた会話の一部。
「まず確認するけど」
「うん」
「お前、これ本気で信じてんの?」
「……何を?」
「この子が、本当にこういうところで暮らしてるって話」
拓海は少し考えた。
「分かんない」
「おい」
「分かんないから、お前に見せてんだよ」
直樹はため息をついた。
「生成映像は?」
「リアルタイムで話してる」
「それだけじゃ否定できない」
「映画の撮影とか?」
「可能性はある」
「テーマパーク?」
「それもある」
「古代生活体験ツアーとか」
「あるな」
「なんか、昔の生活を守ってる集団とか」
「そっちの方がまだ現実的だな」
拓海は腕を組んだ。
しばらく考えてから。
「……異世界とか」
直樹が顔を上げた。
「出たよ」
「いや、冗談だって」
「お前、異世界もの見すぎ」
「でもさ、謎の古代っぽい女の子と鏡で話せるんだぞ? 設定だけなら完全にそっちだろ」
「じゃあ次はお前がトラックにはねられるのか?」
「それは現世で死んで異世界に転生するやつね!」
直樹は鼻で笑った。
だが、すぐ真顔に戻る。
「分からないものを異世界って箱に放り込んだら、そこで調査終了だろ」
「はいはい」
「とにかく、もう一回話させて」
「アウレリアと?」
「その子以外に誰がいるんだよ」
* * *
神社。
拓海に案内され、本殿の奥へ入った直樹は、
鏡を見た瞬間に足を止めた。
「……待て」
「ん?」
「これ?」
「そう」
直樹は鏡へ近づく。
古い神社。
何百年も受け継がれてきたという神器。
そこにあるのは、
どう見ても古代の工芸品ではなかった。
滑らかな金属のフレーム。
継ぎ目のほとんど見えない構造。
そして起動すると現れる、英語の文字。
直樹の目の前で、拓海が手を動かす。
表示が滑るように移動した。
直樹の眉が動く。
「……おい」
「何?」
「これ、非接触?」
「そうみたい」
直樹も手を動かしてみる。
表示が追従する。
「マジかよ」
「Orange Computerの展示会でやったやつに似てるだろ?」
「あったな」
拓海が笑う。
「あの時、俺ぜんぜんダメだったんだよ。感度もいまいちだったし」
「機械のせいにすんな」
「だって、狙ったところじゃなくて、ほとんど隣の文字列選んでたぞ?」
直樹が拓海の手を見る。
「お前、手首が固いんだよ」
「関係ある?」
「ある。余計なところまで腕ごと動かすから、センサーが拾うんだよ」
直樹は、もう一度鏡へ手を向ける。
表示が正確に追従した。
「……でも、こっちの方が精度いいぞ」
「Orangeより?」
「少なくとも、俺たちが触ったやつよりはな」
直樹の表情が変わった。
鏡の全体を見る。
「これ、本当に御神体なんだよな?」
「そうだけど」
「いつから?」
「知らない。ずっと昔からあるって聞いてる」
「ずっと昔って……」
直樹はフレームを覗き込む。
「何百年も前から神社にある物に、英語のユーザーインターフェースが出て」
指を動かす。
表示が滑る。
「ジェスチャー操作ができて」
鏡面を見る。
「知らない女の子とリアルタイムで話せる?」
少し考える。
「……宇宙人が昔置いてった?」
拓海が吹き出した。
「お前、さっき俺が異世界って言った時、散々バカにしたよな?」
「異世界より宇宙人の方がまだ地球にいる」
「そういう問題?」
「少なくとも同じ宇宙だ」
「急に雑になってない?」
直樹は鼻で笑った。
だが、すぐに鏡のフレームへ視線を戻した。
「……冗談はともかく」
指先を近づける。
触れはしない。
「これ、どう見ても古代の加工じゃない」
「そうなの?」
「継ぎ目もほとんどないし……これ、材質は?」
「材質までは知らねぇよ、製造元じゃねぇーし!」
「まあ、そりゃそうか」
直樹は、もう一度フレームを見る。
「見た感じ、金属っぽいけどな」
「でもさ」
拓海が、にやっと笑った。
「こいつ、ちょっと面白いんだぜ」
「何が?」
拓海は工具箱を開けた。
取り出したのは、カッターナイフだった。
カチ、カチ。
刃を出す。
直樹の顔が変わった。
「……おい。何する気だ?」
拓海は答えず、そのまま鏡へ近づいた。
「あぁあぁ! お前何やってんだ!」
「まあ待て待て。大丈夫、大丈夫」
「何が大丈夫なんだよ! それ御神体だろ!」
「種も仕掛けもございません!」
「そういう問題じゃねぇ!」
拓海は刃をフレームへ当てようとする。
直樹が慌てて腕を掴んだ。
「待てって! 傷ついたらどうすんだよ!」
「大丈夫だって」
「だから!」
直樹は拓海の持つカッターを見る。
「なんで傷つかないって自信持ってんだよ?」
「ああ、それ?」
拓海が手を止めた。
「実はですね」
「何だよ」
「オフレコでお願いします」
「嫌な予感しかしねぇ」
「これ、前に掃除してる時に落としたことがある」
「…………は?」
「結構派手に」
直樹が固まった。
「お前……御神体を?」
「いや、わざとじゃねぇよ!」
「当たり前だ!」
「その時はマジで終わったと思った。鏡割った、父さんに殺される、俺の人生終わったって」
「で?」
「恐る恐る見たら……」
拓海が鏡を指差す。
「何ともなってなかった」
「何とも?」
「割れてない。欠けてもない。傷一つない」
直樹が鏡を見る。
「……たまたま上手く落ちたんじゃないのか?」
「俺も最初そう思った」
「最初?」
直樹が嫌そうな顔をする。
拓海が笑う。
「いや、気になるじゃん?」
「何が」
「これ、本当に傷つかないのかなって」
「……お前」
「で、ちょっと試してみた」
「何で?」
「カッターで」
「御神体を!?」
「だからオフレコだって!」
直樹は額を押さえた。
「お前、たまに本当に怖いな……」
「まあまあ。百聞は一見にしかず」
「その使い方、絶対違う」
拓海はカッターを構え直した。
「というわけで、再現します」
「再現すんな!」
ギッ。
刃をフレームへ強く押し当てる。
「おい!」
拓海が刃を離す。
「ほら」
直樹が恐る恐る覗き込む。
「…………」
傷がない。
「マジか」
「だろ?」
直樹は角度を変えて確認する。
擦り跡すら見つからない。
「いや……でも、フレームが硬いってだけなら……」
「直樹君」
「何だよ」
拓海が楽しそうに笑った。
「もっと衝撃だぜ!」
「は?」
拓海は鏡の表示を一度切った。
青白い画面が消え、
黒い鏡面に二人の姿が映る。
「おい。まさか……」
ガリッ。
「お前!」
ガリガリガリガリッ!
「ちょっ、やめろ! 本気でやんな!」
「大丈夫だって! これ前にもやってるから!」
「前にもやってんのかよ!」
ガリガリッ!
「はい、終了~」
拓海がカッターを離す。
鏡面を見る。
何もない。
傷一つない。
「そして、こちらをご覧ください」
拓海はカッターを直樹の目の前に差し出した。
「…………」
刃先が潰れている。
ところどころ欠け、明らかに傷んでいた。
拓海が芝居がかった声を出す。
「カッターの刃がボロボロになりました~。拍手~!」
パチパチパチ。
拓海が一人で拍手する。
「…………」
「ここ拍手するとこ」
「するか!」
直樹はカッターを受け取った。
さっきまでの呆れた顔が、
少しずつ変わっていく。
刃を見る。
鏡を見る。
もう一度、刃を見る。
「……待てよ」
「ん?」
直樹は鏡面を斜めから覗き込んだ。
指先で表面をなぞる。
「本当に傷、ねぇな……」
「だから言ったろ?」
「ガラスだって硬いものはある。でも、硬いことと割れにくいことは別だ」
「そうなの?」
「ダイヤモンドだって硬度は高い。でも特定の方向から力を加えれば割れる。硬いイコール絶対壊れない、じゃねぇ」
直樹は鏡を指差した。
「なのにこいつは、派手に落としても割れねぇ」
ボロボロになったカッターを見る。
「これだけ刃を押しつけても傷つかねぇ」
再び鏡を見る。
「しかも、刃の方が負けてる」
英語表示。
非接触操作。
2035年の製品より正確な反応。
異常なほど滑らかな加工。
そして、
この耐久性。
直樹は大きく息を吐いた。
「はぁ~……」
鏡を見つめる。
「なんだこれ?」
* * *
アウレリアは、鏡の向こうに現れた二人目の青年を見ていた。
「アウレリア。こいつ直樹」
拓海が隣を指す。
「サクラバ・ナオキ」
直樹が軽く頭を下げる。
翻訳アプリが、その言葉をアウレリアの理解できる形へ変換する。
アウレリアも頭を下げた。
「アウレリアです」
直樹は画面を見つめる。
じっと。
「……何ですか?」
アウレリアが少し困ったように尋ねた。
「あ、ごめん」
拓海が直樹の肩を小突く。
「見すぎ」
「確認してんだよ」
「何を」
「いろいろ」
直樹は質問を始めた。
「アウレリアさん」
「はい」
「あなたの国では、電気は使いますか?」
「デンキ……?」
「昨日俺が説明したやつ」
拓海が補足する。
「ああ。あの光や、乗り物を動かすものですね」
「はい。ありません」
「自動車は?」
「ジドウシャ?」
「やっぱ知らないか」
質問は続いた。
船。
暦。
文字。
金属。
建築。
農業。
直樹が尋ね、アウレリアが答える。
時折、質問そのものが理解できず、拓海が間に入った。
しばらくして、
アウレリアが小声で拓海に尋ねた。
「タクミ」
「ん?」
「ナオキは……いつもこのような方なのですか?」
拓海が吹き出した。
「うん。疑うのが趣味みたいなやつ」
「お前が信じるの早すぎるんだよ」
アウレリアも、少し笑った。
* * *
それから数日。
直樹は何度か通信に同席した。
調べれば調べるほど、妙だった。
ひとつひとつなら説明できる。
古い衣服を着る人々はいる。
電気を使わない共同体もある。
歴史的な街並みを保存している地域もある。
古い船を復元する人間だっている。
古代生活を再現した施設もある。
だが。
全部が揃っている。
しかも、誰もそれを「古い」と思っていない。
アウレリアにとって、それが普通なのだ。
ある日の通信は、いつもより長くなった。
拓海の側ではまだ夕方だった。
アウレリアの側では、すでに夜になっていた。
「今日は、ここまでにしますか?」
アウレリアが尋ねる。
「そうだね。遅くまでごめん」
「いいえ」
その時。
アウレリアが少し横へ動いた。
鏡の向こう。
開かれた窓の外に、夜空が見えた。
拓海が何気なく言った。
「うわ」
「?」
「星、すげえな」
アウレリアが振り返る。
「星?」
「めちゃくちゃ見えるじゃん」
「いつもこのようなものですが」
「東京じゃ、そんなに見えないんだよ」
「なぜです?」
「街が明るすぎるから」
直樹は黙っていた。
窓の外を見ている。
「……アウレリアさん」
「はい」
「その窓、もう少し外が見えるようにできますか?」
「ナオキ?」
拓海が見る。
直樹の顔つきが変わっていた。
アウレリアが、可能な範囲で窓の外を見せる。
満天の星。
直樹は自分の端末を操作した。
「これ……使えるかもしれない」
「何が?」
「星だよ」
「星?」
「一日だけじゃ足りないけど」
直樹は画面から目を離さない。
「何日か、同じ場所から空を見せてもらえないかな」
アウレリアが首を傾げる。
「空を?」
「できれば、同じくらいの時刻に。あと、方角が分かる目印が欲しい」
「何をなさるのですか?」
「あなたがどこにいるのか、調べられるかもしれない」
アウレリアが拓海を見る。
拓海の顔が明るくなる。
「じゃあ、アウレリアがどこにいるか分かる?」
「うまくいけばな」
* * *
それから数日間。
通信の終わりに、
アウレリアは窓の外を見せた。
同じ窓。
同じ建物。
同じ山影。
そして、
少しずつ位置を変える星々。
直樹は記録を取った。
一日目。
二日目。
三日目。
四日目。
星が動いていく。
しかし、
すべてが同じように動くわけではない。
ある一点を中心に、
夜空全体が回っているように見える。
「これなら……」
直樹は複数の日の映像を重ねた。
星の軌跡。
回転の中心。
地平線との角度。
「少なくとも緯度の手掛かりにはなる」
「場所分かりそう?」
「まだ」
「まだかよ」
「天文学なめんな」
直樹はさらに計算を続けた。
だが。
合わない。
「……おかしい」
「何が?」
「合わない」
「だから何が」
「星だよ」
直樹は条件を変える。
北。
南。
緯度。
季節。
時刻。
海に近いことも考慮する。
アウレリアから得られる時刻は、現代の時計ほど正確ではない。
方角にも誤差がある。
それを含めて幅を持たせる。
それでも。
合わない。
「……なんでだ?」
直樹は椅子にもたれた。
「場所が違うんじゃないの?」
「だから場所を変えてんだよ」
「南半球とか?」
「やった」
「島とか?」
「それも含めてる」
拓海には、
直樹が何を計算しているのかほとんど分からない。
ただ、
直樹が本気になっていることだけは分かった。
しばらくして。
直樹の手が止まった。
「……待てよ」
「何?」
返事はない。
直樹は別の項目を開く。
「北の基準になる位置そのものが……」
「何言ってんの?」
「黙ってろ」
「はい」
直樹は計算をやり直した。
地球の自転軸は、
永遠に同じ方向を向いているわけではない。
長い年月をかけて、
ゆっくりと首を振るように向きを変える。
歳差運動。
それなら。
星空の回転中心も、
時代によって変わる。
直樹は現在の星空を基準にするのをやめた。
時間という条件を加えた。
さらに、
星そのものの固有運動による位置の変化も補正していく。
精密な年代測定などできない。
観測条件が粗すぎる。
けれど。
ある程度の範囲なら、
比較できる。
* * *
拓海は途中で飲み物を取りに行った。
戻ってきても、
直樹はまだ端末と睨み合っていた。
「なあ」
「ん?」
「今日はもうやめたら?」
返事がない。
「直樹?」
直樹が画面を見たまま言った。
「……なぁ拓海」
「あ?」
少し間があった。
「今までの考え方、もしかしたら改めないといけないかも」
拓海は直樹を見る。
「どういうこと?」
「俺さ」
直樹が画面を回した。
「ずっと場所を動かしてたんだよ」
「場所?」
「アウレリアが地球のどこにいるのか。緯度とか方角とか、そういうのを変えて、あの空に近づけようとしてた」
「うん」
「でも、どうしても合わない」
「じゃあ、星じゃ分からないってこと?」
「そう思った」
直樹は一度、言葉を切った。
「でもさ」
画面に星図が表示される。
「もう一個、動かせるものがある」
「何?」
直樹が指を滑らせた。
数字が変わる。
2035。
2000。
1500。
そこで、
直樹の指が止まった。
星図がゆっくりと姿を変える。
「この辺が、コロンブスが大西洋を渡ってアメリカに到達した頃の星空」
拓海が画面を見る。
「……これでも今と違うの?」
「500年くらいじゃ、見た目が全部ひっくり返るほどじゃねぇよ。でも、計算すれば違いは出る」
直樹が再び指を滑らせる。
1000。
800。
600。
また止まる。
「この辺なら、聖徳太子が見てた星空」
「聖徳太子……」
拓海は画面を見る。
さっきまで、
ただの数字だったものが、
急に人間の歴史になった。
コロンブス。
聖徳太子。
教科書の中にいる人間たちが、
実際に見上げていた夜空。
直樹は、
その向こうへ時間を巻き戻していく。
500。
100。
そして。
紀元前。
1000年。
2000年。
5000年。
「ちょ、ちょっと待てよ」
拓海が笑った。
だが、
その笑いは続かなかった。
直樹が笑っていない。
「直樹」
「ジャストじゃない」
「え?」
「先に言っとく。場所が正確に分からない。方角も時刻も、現代みたいに測れてない。観測した日数だって少ない」
「……うん」
「歳差も固有運動も計算に入れてる。でも、星だけで年代をピンポイントに出せるわけじゃねぇ」
「うん」
「だから、これは仮説」
さらに数字が動く。
直樹は何度か条件を変えた。
戻す。
進める。
また戻す。
「ただ」
直樹が止めた。
「この辺まで遡ると、かなり近くなる」
拓海は数字を見た。
すぐには意味が分からなかった。
「……これ、いつ?」
直樹が拓海を見る。
「何度も言うようだけど、正確には分からねぇぞ?」
「分かったって。いつなんだよ」
「かなり幅はある」
「分かったから」
直樹は一度、画面を見る。
そして答えた。
「……一万年前あたり」
沈黙。
「…………は?」
拓海は笑おうとした。
でも、
笑えなかった。
「いやいや……一万年前って」
「俺もおかしいと思ってる」
「だって……」
拓海は鏡を見る。
通信はすでに終わっている。
そこには、
自分と直樹の姿しか映っていない。
ついさっきまで、
その向こうにアウレリアがいた。
笑っていた。
話していた。
桜を見て、
いつか日本へ行ってみたい、と言った。
拓海は、もう一度直樹を見る。
「……一万年前?」
「だから、正確に一万年前って意味じゃない。かなり幅はある」
「いや、そうじゃなくて」
拓海は鏡を指差した。
「じゃあ……死んでる人?」
直樹が黙る。
「さっき話してた女の子が?」
その言葉を自分で口にして、
拓海の表情が曇った。
「俺たち……霊界と話してたってこと?」
「…………」
「この鏡、神社の御神体だぞ。そっちの方がまだありそうじゃん」
直樹は少し考えた。
「それで星の位置まで説明できるならな」
「できない?」
「少なくとも俺には、死んだ人間が一万年前の星空つきでリアルタイムに会話してくる仕組みは説明できねぇ」
「そりゃそうだけど……」
拓海は頭を掻いた。
「じゃあ何なんだよ」
「分からない」
「異世界?」
「分からない」
「霊界?」
「分からない」
「一万年前?」
「それも、まだ仮説」
「何にも分かってねぇじゃん」
「だから調べてんだろ」
「……そうだけどさ」
直樹は鏡を見る。
「ただ」
「何?」
「俺たち、ずっと彼女が『どこにいるのか』を探してたじゃん?」
「うん」
「現代のどこかに、ああいう暮らしをしてる場所があるんじゃないかって」
「テーマパークとか、古代生活体験ツアーとか」
「そう」
直樹は星図へ視線を戻す。
「でも、場所をどれだけ変えても合わなかった」
画面には、
時間を遡ることで少しずつ重なっていった星々が映っている。
「だから」
直樹は二人を映す鏡面を見る。
「どこじゃなくて」
一拍。
「いつ、なのかもしれない」
拓海は何も答えなかった。
鏡の向こうには、
もう誰も映っていない。
ただ、その言葉だけが、
いつまでも部屋に残っていた。
第3話 了
第3話をお読みいただき、ありがとうございます。
今回描きたかったことの一つは、「当たり前」という感覚の違いです。
拓海にとっては見慣れた東京の街並みも、アウレリアにとっては驚くべき光景。
反対に、アウレリアにとっての日常も、拓海には不思議な世界に映ります。
そして、そこに加わった直樹。
拓海が好奇心で未知の世界に近づいていくのに対し、直樹は疑問を一つずつ確かめようとします。
二人の考え方は違いますが、どちらも未知のものを理解しようとしている点では同じなのかもしれません。
さて、鏡の向こうにあるのは、いったいどんな世界なのでしょうか。
皆さんなら、どう考えますか?
次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。




