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特別養護老人ホーム鴉の巣  作者: 福口哲郎


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長生きの秘訣

男は出勤して下駄箱に靴をいれ、正面にあるホワイトボードに目を移す。ここには、大事な事が書かれているから必ず見ろって事だが、毎回とくに大した情報はない。どこどこで、勉強会をやるからとか、どこどこの先生がきてためになるありがたい?お話をするからとか、そんな情報がいつまでも貼ってあったりする。事務所の人も忘れているようなやつだ。

ロッカー室に入り制服に着替える。ロッカーの鍵を前に忘れて、危うく遅刻しそうになったため、それ以来ロッカーに鍵をかけていない。どうせ財布も持ってきてないし、盗られるようなものは入れてないので。


 最近の流れでは、ユニットケアにするということは、家庭的な雰囲気を出すのが目的なので制服をやめて、私服で働くという所が増えてきているが、うちでは、他のグループとの兼ね合いもあり制服を用いている。どうせ、私服といっても動きやすいジャージや短パンにTシャツになるのだから、汚れてもいい制服のほうが、よっぽど仕事がやりやすいもんだ。

 襟のついたシャツとジャージっぽい紺のズボンをはく。そしてポシェットを付ける。ポシェットには、特に何も入っていないが、ナースコールなどの対応のためにPHS(内線専用電話)を持つのだが、それを落したり、運悪くトイレに落してしまったりする人(そんな漫画みたいな奴いないだろうと思ったが、そんなあり得ない事があるものである)等あり、破損が相次いだため、ポシェットに入れればいいだろという馬鹿な安易な考えで事務所が買ったものである。現場を知らないから、介助の時にどれだけ邪魔になるかわかってないのである。

自分一人ではベッドから車椅子へ移れない人の介助をする時に、どうしても密着する必要がある。そうすると、アクセサリーや時計などで利用者さんに傷をつけたりする可能性があるために禁止になっている。(例外で結婚指輪だけはいいという、羨ましい特例はあるが。)それなのに、ポシェットはいいというのもおかしな話だ。邪魔なだけである。

ある日、ポシェットをしないで働いていたら、主任の小山に、

「おい、鳩岡、なんでつけとらんのだ?なんの為につけるかわかっとるのか?規則でPHSを入れるようになっただろ?」

と注意される。(ち、うるせえな~、そんなことわかっとるわ。何が規則規則だよ。こんな矛盾した規則作りやがって。)頭にくるが、なんとか

「すみません、忘れていました。」

とりあえず早足でその場を逃げた。

「ったく、ちゃんと守れよ。守れんのなら規則はいらんだろ。」

(この規則事体おかしいんだよ。馬鹿が。)そう思いながら小山を睨む。

確かに規則が大事なのはわかるが、こちらの意見は聞きやしない。小さな反抗だがユニットに入るまでは付けていって、仕事をするユニットで外していた。


小山は、ここが出来る前からの先輩で大学卒業してからすぐ来た男である。福祉の世界ではエリートなのだろう。鳩岡よりも三つ年下である。出世のために、自ら新しくできるここに異動願いを出したらしい。


鳩岡が新人で入ってきた時、鴉の巣がオープンする前に地域清掃を皆で行った時、「しゃべっとらんで、ちゃんと掃除しろよ。」と注意を受けた。もちろん、仕事なので掃除をしっかりしなくてはいけないのはわかるが、なんでそんなに偉そうなのだと思っていた。確かに先輩だからだろうが。しかし、自分は見ているだけで何もしずに、「そこ汚いでしょ。」「もっとしっかりとれよ。」と指示だけだしているのをみて、すぐにこいつは「駄目な上司」「最低な先輩」との認識をもっていた。 

昔から人を見る目、洞察力は、割とあるほうだと思っていたが、予想通りどうしようもない先輩のようだ。同期の子がちょっとした事故を起こしただけで一時間以上理不尽な説教したり、暴言を吐いたり、パワハラをしているそうだ。そして自分は、全く仕事をやらないらしい。嫌な利用者さんがいると、本当は自分の担当なのに勝手に違う人に任せているらしい。こんな奴に誰も付いて行こうなんて思わない。さらに性質が悪い事に、上司の言うことは飼い犬みたいになんでも良くきき、ゴマすりの達人である。まあ、だからこそ出世できるのだろうが。



 着替えを済ませ、事務所に行き出勤簿に自分の名前を記入する。

もちろん着替えてから記入がどこの施設でも常識なのだが、本当は着替えていなくても出勤した時点で例え出勤時間前なら遅刻にはならない、つまり制服の着替えの時間も就労時間になるのが、一般的な常識、労働基準法なのだろうが、ここでは、あくまでも着替えてから事務所に名前を書いた時間が一分でも過ぎていたら問答無用で遅刻扱いになる。


「鳩岡」と書くのは、あまりにも面倒だったので、自然に崩したサインになっている。そっちのほうが真似できずにいいだろと、勝手に思っている。ようは、出勤したかどうかの確認だけなのだから。帰る時もその下に名前を書くだけだ。


 出勤簿に名前を書いたらホワイトボードに貼ってある磁石の名前を裏返す。それにより今出勤しているかどうかがわかる仕組み。なぜこんなものがあるのか?それは、防災委員会の誰かが、すぐに人数を確認できると自信満々に作ったのだろう。しかし、ただ手間なだけである。施設長ですら常に出勤になっており全く機能していない。たぶん考え出した人は、そこまで考えていない馬鹿な奴だろう。

 男のユニットは四階にあるのだが、エレベーターは基本的に利用者さんや家族さんのためのものだから使うなとのこと。見つかるとすぐに上司に怒られる。電気代が一回動くだけで一〇〇円かかると言われたが、本当かどうか定かではない。

 階段で四階まであがる。すぐに息が切れる。便利になりすぎた代償だろう。生活習慣病、運動不足、文明の進化は確実に現代人の体力を削いでいる。ひょっとしたら、今ここに入所している人よりも、五〇年後の人達はもっと足腰が弱く今以上に寝たきりや、車椅子の生活を送っているのではないかと考えるとぞっとする。

バリアフリー(物理的なものと、心理的なものがある。車椅子などの段差をなくしたり、つまずかないようにするなど)バリアフリーとしきりに言われているが、障害をなくす、住みやすくするということは、結局楽をするということである。確かに段差がなくて、つまずく危険はなくなるかもしれないが、その分足を上げることもなくなる。つまり、足腰が弱り、足が上がらなくなるということである。一概に、なんでも便利がいいとはいえないのだろう。

 エレベーター横にある、介護室に入り、連絡帳を見る。

「おはようございます。」

もうすでに早番の職員が三人きていた。鳩岡を入れて全部で四人である。といっても、ユニットが魚、鳥、蝶、虫と四つあるため、一人一ユニットだ。しかし、夜勤は二ユニットで一人のため、二つを把握しなければいけないから、たいてい交代とかで両方みている。今日は、魚、明日は鳥、明後日はまた魚という感じだ。


 連絡帳には、挨拶をしっかりしろとか、誰々さんの事故があったから気をつけろとかそのような事が書いてある。そして、朝礼の紙もみる。何日に工事があるとか、今日はナースが少ないから協力してくださいとか、挨拶をしっかりしろとかである。

はあ・・・・回挨拶あるんだって突っ込んでしまう。とくにたいしたことはなかった。とりあえず読んだというサインをしなければならい。


そして、ユニットの利用者さんのファイルを見る。これには、日々の利用者さんの介護記録を綴ってあり、食事量や排泄時間などが記入されている。そして、おおまかなその人の流れが書いてある。朝ごはんをしっかり食べたとか、何時から買い物へいったとか、昼寝したとか、誰々と言い争っていたなどである。申し送りで、説明されるから別に読まなくてもいいのだが、一応あらかじめ頭にいれておけというのが暗黙の規則みたいなもんだ。

 それらをざっくり読み、厨房から台車(朝食が入っている)を持ってきて各ユニットへ配る。

「おはようございます。」

魚のユニットはほとんどというか誰もリビングにいない。そして、台車を反対の鳥へ持っていく。三人ほどリビングにいる。

「おはようございます。」 

とくに返事はない。ウトウトしている人もいる。

「野山さん、おはようございます。」 

多くの人は耳が遠いため、大き目の声でいうと、

「おはよう。」

と返してくれた。

「はやくせんか!のろまが!」

と奥のテーブルから声がする。柏木さんだ。とにかく身勝手極まりない人で、我が儘を擬人化にしたような人である。ごはんも「早くだせ!」とか、「こんなまずいもん食えるか!」と、いつも怒っている。そして、プライドが高いためか、何でも自分でやろうとする。車椅子への移乗など。その結果過去に六回ほど転倒転落し二回骨折している。たいていは、一度骨折すると寝たきりになるパターンがほとんどだろうが、プライドの高さでかリハビリをし、また元の生活をなんとか送っていた。それでも、いまだに調子がいいと自分で移乗する、こりない人である。

「好きでこんな体になったんじゃないわ!」「はよう死にたいわ。」「いつお迎えがくるのか・・・。」と愚痴をいつもこぼしている。

トイレも頻尿で、二時間に一度ぐらいのペースで行く。何よりもその介助が大変である。パンツ、ズボン下、またズボン下、またまたズボン下、そしてズボン、またズボン、またまたズボンという、笑い話のようなありえない履き方をしている。とにかく寒がりで、夏でも冬物のジャンパーを何枚も着ているような94歳の女性である。


だから介助は、何枚もおろさないといけないが、「もっと丁寧にやらんか!」「はやくしろ!しっこがでちまうわ!」と矛盾するようなことばかりである。

全体の介護量の三分の一を確実についやしてしまうだろう。以外にしっかりしている分やっかいなのである。夕食を食べ終わったあと、いきなりパンを焼いてくれと言ったり、忙しい時に限っていきなり、買い物に行くと言いだしたりする。他人に合わせない。自分は自分。やはり、それぐらいの唯我独尊、気の強さが長生きの秘訣なのだろう。


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