第2章 再会
閉店間際の店内は人影もまばらで、呼び込み君の音だけが虚しく鳴っていた。
その静けさを破るように、よく通る男の声が私の名前を呼んだ。
飛び上がるほど驚いた。
心臓がきゅう、と縮む。
名前を呼ばれるのなんて、いったいどれくらいぶりだろう。
反射的に振り返る。
そこには大柄の、スーツ姿の屈強そうな男性が立っていた。
思わず怯んでしまう。
でもよく見ると懐かしい顔だった。
大人びた雰囲気をまとってはいるが、その表情には、あの頃の、人懐っこい笑顔の「たっくん」の面影がしっかり残っている。
「たっくん?」
「おー! 久しぶり! こんなところで会うなんて奇跡だな! 仕事帰り?」
たっくんは学生時代の同級生で、いわゆる“陽キャ”だった。
教室の隅で本を読んでいた私にも分け隔てなく話しかけてくれる、珍しいタイプの人間。
――いや、生き物と言ってもいいかもしれない。
一生分かり合えないだろう。
そう思っていた相手だ。
突然の再会に頭が追いつかず、
「あ……う、うん……」
と意味のない返事しか出てこない。
しかも今の私はボサボサの髪に小汚い格好。
できることなら、今すぐここから消えたかった。
たっくんは相変わらず眩しかった。
太陽とモグラ。
そんな比喩が自然と頭に浮かぶ。
私の挙動不審さなど気にする様子もなく、たっくんは軽快に話し続ける。
「あ、これから晩飯? だったらさ、こんな奇跡の再会祝って飲みに行くべ!
よし、それ置いて──行こ!」
「えっ、あっ、あ……!」
まともな言葉にならない声を漏らす私の手を強引に引き、
彼は半ば誘拐のように私をスーパーの外へ連れ出した。
近くのチェーン居酒屋に入り、ようやく落ち着いた空気が戻った。
たっくんは卒業後に大学へ進み、そのまま有名企業に就職。
最近、たまたま転勤で地元に戻ってきたらしい。
対して私は……と考えると、胸の奥にみすぼらしい感情が沈む。
たっくんは昔からクラスの人気者で、みんなの太陽のような存在だった。
地中深くで穴を掘るしか能のないモグラの私が、直視できるような光じゃない。
同じ場所にいても、まったく違う種類の人間だ。
それでも、久しぶりの会話は不思議なくらい弾んだ。
お酒の力も手伝って、緊張はいつの間にか薄れていった。
こんなふうに誰かと笑いあうのは、いつ以来だろう。
しかも引っ越し先が、私の家の近くだったという。
「うわー! すげー奇跡! こんなことあるんだな!」
大袈裟に驚く彼の顔がおかしくて、つられて笑った。
自分が笑ったのも久しぶりだと気づく。
ビールの三杯目を飲み干した彼が、ふいに尋ねてきた。
「そういえばりさって、本よく読んでたよな。どんな作家好きだったっけ?」
思わず息をのむ。
あの頃の私は空気みたいな存在だったのに、そんな細かいことを覚えていてくれたなんて。
胸の奥がふっとほどける。
「図書館で適当に借りてた本だよ。江山薫さんの物語が好きで」
と答えると、彼は目を丸くして叫んだ。
「まじか! 俺も! 『赤い家』のラストのどんでん返しやばいよな!」
この人本読むんだ……陽キャなのに……と考えた瞬間、
「今“こいつ本読むのかよ”って思っただろ!?」
と心を見透かすように突っ込まれ、思わず笑いがこみ上げ、ビールを吹き出しそうになった。
かつての同級生と、こうしてお酒を飲んでいる。
当時は男の子と話をするのも恥ずかしかった。
お酒の力に頼っているとはいえ、こんなにぺらぺらと言葉が出てくることに驚いた。
10年という月日がいつのまにか私を成長させてくれたのかな。
気づけばラストオーダーの時間。
話は尽きなかった。
学生時代のこと、仕事のこと、趣味の小説のこと──
どれだけ話しても足りなかった。
「家近いし、女の子ひとりで帰らすわけいかねーから! 送ってく!」
その言葉に甘えて家の前まで送ってもらい、番号を交換してその日は別れた。
ふわふわした酒気と幸福感の余韻を抱えたまま、私はベッドに沈んだ。
頭の中でさっきの会話を何度も反芻する。
自然と笑みが漏れる。
からっぽだったスマホの電話帳に「たっくん」という名前がひとつ増えただけなのに、胸がほわほわと温かくなる。
スマホを抱きしめるようにして目を閉じた。
そのとき、スマホが小さく震えた。
“ピコン”という通知音。
スマホの画面に「たっくん」という文字が浮かんでいる。
その文字を見るだけで、胸が小さく跳ねた。
さっきまでの幸福感は一瞬で消え去り、緊張で手に汗が滲んでいる。
恐る恐るメッセージを確認するとそこには、
「今日は楽しかった! 明日空いてる!?
調べたらさ、うちらの好きな作家の原作、アニメ化してるらしいんよ!
明日金曜だし、一緒に観に行かん?」
もちろん断る理由なんてない。
私に予定などあるはずもない。
即決で「行く」と返した。
楽しみすぎて寝返りばかり打ちながら、しばらくベッドの中でじたばたと転がっていた。
居ても経ってもいられず、私は飲みかけのペットボトルの残骸を片付け始めた。




