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  作者: ひな
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第1章 静かな地獄


プロローグ



しとしと。

雨が降っている。


黄色い長靴とおそろいの黄色い傘。

ランドセルがはみ出て雨にぬれている。


いつもの帰り道。


道の真ん中に石が落ちている。


歩きながら近づくと、それは石ではなかった。


ーー蛙だ。


子犬くらいの大きさの体には、びっしりとイボが生え、

全身がぬらぬらと光っている。


こわい


恐怖で傘を握りしめる。


息もできずに固まっていると、

蛙はそのままのしのしと道路を横断していった。



第1章 静かな地獄



2025年秋の早朝。

まだ薄暗い部屋にスマホのアラームが響く。


まぶたが重たい。


私はスヌーズに切り替え「あと5分……」と思いながら毛布にくるまる。

11月に入ったばかりの部屋の空気は冷たい。布団から出たくない……。


その作業を2、3度くり返し、やっとの思いで布団からのそりと起き上がる。

まだ瞼は閉じたままだ。


嫌な夢を見た。詳細は覚えていないが、心の中に鉛のようにずっしりと不快感が残る。

最悪な朝だ。


手を伸ばしベッドに腰掛けたままカーテンを開ける。

私の心と正反対にきれいな秋晴れだった。


「まぶしい」


顔をしかめて日差しで明るくなった自分の部屋を見渡す。


見慣れた殺風景な部屋。

ベッドの脇の本棚。小さなキッチン。部屋の隅の棚の上にポツンと骨壺だけ置かれている。その脇に飲みかけのペットボトルがゴミ袋から溢れていた。


片付けなきゃ。ラベルを剥がしてキャップを外して中身を捨てる。

飲んだあとにすぐやればいいのにどうしてもその作業が面倒くさくて貯めてしまう。


今度の休みにまとめてやろう。


その時、突然枕元のスマホが鳴った。

一瞬で眠気が吹き飛ばされた。


今まで閉じていたまぶたが、これでもかというくらい見開かれる。

じっと枕元で鳴り響くスマホを見つめながら、全身に力が入って身体が硬直してしまう。


全身の毛穴が開いて、身体中から脂汗が出てきて、今にも倒れそうなくらい心臓が跳ね上がる。


私は電話の音がこわい。


私には電話をかけてくるような親も友人もいない。

この歳になって、彼氏なんてものもまだできたことがない。


だから私に用事があってかけてくる人物など、居ないのだ。


どうせ迷惑電話だ。

そんなこと頭では分かりきっている。


それでも身体が、スマホの音に拒絶反応を示してしまう。


電話が鳴り止んだので、まだ震える手でスマホの画面を確かめてみる。

番号を調べると、案の定迷惑電話だった。


私は人間が怖い。


鳴り止まない心臓の鼓動を落ち着けながら、仕事に行く準備をする。


歯を磨こうと洗面所に向かい、歯を磨いているとき、

ふと小学生の頃、学校の教室の隅に飾られた笹の葉にぶら下がっていた、ピンク色の妙な癖字で書かれた短冊が脳裏に浮かぶ。


「世界が平和になりますように ◯◯」


この願い事を書いた子の名前は忘れたが、私はこの子に、いつだったか罵られたことがある。


「いい子ぶりっ子してんじゃねーよブス!!」


もう何年も前のことなのに、鮮明に思い出される。その時の心の痛みも。

言い返せなかった悔しさも。


「うるせえ!!」


私は、誰に言うわけでもなく叫ぶ。


しんとした、誰もいない部屋に虚しく放たれた言葉が、壁に吸い取られる。

その叫びとともに、脳内の映像は霧のように霞んでいく。


目の前には、口からだらしなく歯磨き粉の泡を垂れ流したボサボサ頭の自分の顔が、吐き出した言葉と一緒に出た飛沫で汚れた洗面所の鏡に映っていた。


もう昔のことだ。今の私はここにいる。


心の中で何回も自分にそう言い聞かす。

いつものことだ。


世界が平和を願いながら、クラスメイトに喧嘩を売る。

世界は矛盾だらけだ。


そんな矛盾に気が付かない人間が多くいることに、不快感を感じる。


だから私は人間が嫌い。


あの私を意味もなく罵倒してきた子は今頃何をしているのだろうか。

結婚して幸せな家庭を築いているのだろうか。


「不幸になっていればいい」


私は気が弱いからあの時も言い返せなかった。

だからこうして呪うことしかできない。


私は何事もなかったかのように顔を洗い、お弁当の準備をする。

準備と言っても、昨日の夜スーパーで買ったお惣菜とご飯を弁当箱に詰めて、適当な服に着替えて家を出るだけ。


家から歩いて5分の食品工場が、私の職場だ。


職場に着くとすぐ白い帽子とマスクと作業着に着替え、ラインに着く。

目しか出ない格好になるので、寝癖もメイクもしない。


ゴウン……ゴウン……という冷たく響く騒音の中、全身真っ白な人間が1列に並んで、レーンから流れてくるパッケージされたクッキーを箱に詰めている。


1日中ずっと。

誰とも話さず、ただ黙々と。


単純作業をしていると、頭が勝手に昔の嫌なことを思い出して苦しくなる。


母の死に立ち会ったときに、「この親不孝者!!」と私に怒鳴り散らした伯父の半笑いの顔。

ベッドで横たわる母。

ICUの独特な匂い。


その時の苦しみが鮮明に蘇る。

魂だけそこに強引に引き戻されたかのように。


俗に言うフラッシュバックというものだ。


フラッシュバックは、突然来て、霧のように消えていく。

仕事中でも食事中でも、いつでもそれはやってくる。


母のことだけではない。


昔の学校でのこと、子供の頃のこと。

私が生きた人生の分だけ、澱のように積み重なった嫌な思い出が鮮明に引きずり出されるのだ。


その度に後頭部に棍棒で殴られたような衝撃が走る。

何度も、何度も、何度も。


叫びたくなるが、職場なので叫ぶわけにもいかない。

奥歯をギリギリと噛み締めて耐えるしかない。


誰にも分からない、気付かれない、私だけの葛藤。

こうした毎日を、もう何年も続けている。

代わり映えのない、地獄のような毎日。


1日誰とも話さず仕事をして、スーパーによって惣菜を適当に買って食べて、シャワーを浴びて寝る。

朝が来たら昨日とまた同じ1日が始まる。


生きるために働いているのか、働くために生きているのか、もはや分からないし、どうでもいい。


今日も仕事を終え、スーパーで半額シールがついているお惣菜を適当にカゴに入れている時、

不意に名前を呼ばれた。


「りさ?」

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