74.召喚士モニカ
激戦の果てに大破し、もはや原形を留めていなかった筈の闘技場は、褐色のエルフの指示通りたった一時間足らずで完全に元通り——と言うより、むしろジルとエイリークが戦った一戦目の試合開始前より綺麗なくらいだ。
地属性の精霊魔法や造形魔法、その他複数の高度な魔法や魔導具が駆使されたのだろう。
行使された魔力の残滓が、白い石畳の上に立つアリスにははっきりと感じられる。
再構築された巨大な楕円形のリンクの中央には、アリスの他にグレイハウンドの獣人、そして青い髪をした女——召喚士モニカ。
「初めまして、素敵なナイトさん。私はモニカ。よろしくね」
試合前には必ず、お互いに誓約を込めた護符のついた質素な首飾りを交換する。
『不殺の契り』が宿る魔導具。
戦いの勝者と敗者が、どちらも人殺しにも死人にもならないための、大事な命綱だ。
アリスが雫の形をした小さな青い石がはめられた護符を手渡す際に、黒いドレスをその身に纏ったモニカは、妖艶に微笑んだ。
「あなた、とても綺麗な顔してるわね」
「あ、貴方こそ……!」
アリスは半ば無意識にそんな言葉を返していた。
そのくらいモニカは美しかった。
なんというか、恐ろしい程に、だ。
人間離れしている、と言った方がいいかもしれない。
「あら、嬉しい。良かったら、あなたのお名前も教えてもらえないかしら?——まあもちろん、知ってはいるのだけれど」
「——し、失礼しました。私はアリスです。〈星芒騎士団〉七番隊のアリス=レーゼ」
「ありがとう、素敵なお名前ね。改めて、お会いできて嬉しいわ、【星屑】のアリスさん」
「そ、そんな。こちらこそ光栄です……!」
緊張して思わず恐縮するアリスに、モニカはクスクスと笑った。
「そんなに畏まらなくていいのよ。私なんてただの冒険者なんですから。【女王】なんて呼ばれてるのも、ただの不名誉な二つ名なの」
『——なな、なんとおおおおおおおおおお!?今日は最終戦も、まさかのモニカだぁぁぁ!!我らが【呪われし女王】!!女王御自らご登壇っっ!!!』
アリスとモニカの会話を遮るように、会場中に響き渡るナレーション。
「ね?酷いでしょ?」
そう言って、モニカはおどけるように肩を竦めて見せた。
『この世の者とは思えないほどのその美貌!それでいて聖者たちの中でも一、二を争う実力者!!なんとそのモニカがぁぁぁ!?初めてリンクの上にぃぃぃ!降り立ったぁぁぁっっ!まさかモニカが戦うのかぁぁ!?』
「……うーん、まあ、それでもいいのだけれど」
青い髪の女は、会場に木霊すナレーションに、少し悪戯っぽく笑う。
もちろんその声はナレーターにも観衆にも届かないが、アリスと審判役の獣人には聞こえていた。
「——こんなに可愛い子の相手は、私なんかよりもっと迫力があるほうが、会場も盛り上がるでしょう?」
「!!」
次の瞬間、モニカの緩やかにウェーブがかかった長く青い髪が、大きくスリットが入った黒いドレスの裾が、ざわざわと激しく波打ち始めた。
彼女の周囲だけ、風が吹き荒れているかのようだ。
魔法使いの端くれとして、アリスには当然分かる。
これは魔法を行使する際に生じる、ごく普通の余剰魔力の奔流だ。
だが、今までに見たこともないほどに——強い。
そして超局地的な暴風の中で、彼女の胸の前に小さな光が産まれた。
その光は急速に輝きを増していき——
「——おいで、荒ぶる凶嵐の牙獣よ」
青い髪の女の声に呼応して、彼女の前で轟音とともに閃光が炸裂した。
「!」
『うおおおおおお!?』
アリスが眼前の光景に目を見開くと同時に、ナレーターのもはや何の解説にもなっていない絶叫が木霊する。
光が収束すると、モニカの前には一体の巨大な獣。
それは獅子のようでもあり、狼のようでもある。
後ろ脚は鳥類のそれに似ている。
体長は五メートルを優に超え、四足歩行の姿勢であるにもかかわらず、その体高もアリスの頭よりはるかに高い。
全身がぼんやりと緑色に輝き、そして何より、先ほどまでの暴風を全て吸収したかのようにその身に荒れ狂う風を纏っていた。
『な、な、なんだあれはぁぁぁ!?』
「ウガルルム……!」
貴賓席で、褐色のエルフが驚いたように呟く。
「なんだあれは!?」
「ま、魔物だと!?」
「まさか、あの女、魔族を呼び出したのではあるまいな……!?」
警護長の騎士ハルドールと銃士のメーリック、エーヴェルが目を見開き、
「あれは……精霊召喚、ですか?」
ローエンデール勢では唯一魔法の心得のある第三皇子も、興奮気味に聖者たちに尋ねた。
「聖霊じゃ。中でもあれはモニカのお気に入りじゃよ」
とんがり帽子のドワーフが、ローレンスの疑問に答えた。
「魔物もそうだけど、魔族なんか呼ぶわけないだろ」
貴賓室の端で、オルフェが不機嫌そうにつぶやいた。
無論、誰にも聞こえないように、だ。
最近不満のはけ口に利用している少女のような後輩騎士は、今は彼の隣ではなく、眼下の盤上にいるからだ。
「……にしても、けっこう凄そうなのが出てきたな。今のあいつには、ちょっと荷が重いでしょ」
これは負けたかな、とオルフェは他人事のように思った。
「コロッセオで、モニカがあの十一体のうちの一つを出すのなんて初めてだね」
「というか、モニカがリンクに立つこと自体が初めてじゃろ。……やれやれ、観客どもにも解説してやらんとな」
兎人の少女もドワーフの大魔導も少なからず驚いているようだった。
「ア、アリスさまは、あんな大きくて強そうなワンちゃんと戦わなきゃいけないのでしょうか……?お、お怪我をしてしまいそうな……」
「……あれを“ワンちゃん”とな」
「大きさで言うなら、もう少し小さい“ワンちゃん”になるから大丈夫。……中途半端に善戦しちゃうと、大怪我くらいはするだろうけど。一発で即死しなければね」
幼い皇女が自分の胸元を掴んで不安げに言うと、ドワーフが苦笑し兎の亜獣人がセシリアには意味の分からない回答をした。
「お、お怪我はするのですね……」
余計に不安そうな表情を浮かべる皇女の肩に、片翼のセイレーンが優しく手を乗せる。
「『もし怪我をしても、私が全部治してあげるから大丈夫』って言ってる。たぶん」
ククルが声を失った仲間の代わりにその意図を伝える。
「ミレイユさま」
憧れの眼差しを向ける隣国の幼い皇女に、ミレイユは無言で微笑む。
「ハッ。その『代償』は高くつくけどな」
「なあに優しいお姉さんぶっとるんじゃか。猫かぶりおってヤンキ……ぶごぉ!?」
レンとガンドルがチャチャを入れる。
直後、幼い少女には視認できない速度でドワーフの鳩尾にセイレーンの肘鉄が刺さる。
「なんで吾輩だけぇ……!?」と呻く隣のガンドルを涼しい顔で無視して、褐色のエルフはその双眸を再び眼下に向けた。
「つうかモニカの野郎、あの小娘みてぇなガキに結構本気じゃねぇか」
お手並み拝見、とばかりに腕と脚を組んで闘技場を見下ろすレンの横で、セシリアは小さな胸の前で手を組んで呟いた。
「アリスさま、どうかがんばって……!」




