73.狂人の末路
「いったい……貴殿らは何の話をしている……?」
二人の話が全く理解できず、エクレウスは怪訝な表情を浮かべる。
——理解はできないが、焦燥と言いようのない不安だけは、確実に募っていく。
「要するに、貴方は何も失敗などしていないと言うことですよ。予定通り小鬼の魂も【王】に捧げることができたし、貴方の言動から王国側も都合よく誤解してくれた。おかげでもう間もなく二つ目の扉が開くでしょう。そうなれば残るは一つ。あとたった一つで、『彼』を目覚めさせることができるのですから。貴方のお陰です——感謝を」
黒ローブの男が静かに微笑んだ。
「な、なに?そ、そうか……よく分からんが、つまりは私の功績ということだな!では一刻も早く、いや一秒でも早く、この国の腐りきった蛆虫どもの粛清を始めようではないか。……と、とりあえず、まずはさっさとここから出してくれないか。臭くてかなわんわ」
エクレウスはまた唾を飛ばしながら、鉄格子を両手で掴みガシャンガシャンと鳴らす。
「本当にありがとう」
だが、黒ローブの男はそう言って穏やかに微笑むだけだ。
「ふん。貴様の言う通りだ——蛆虫は、粛清せねばな」
フードの男が、冷徹な笑みで口元を歪める。
そしておもむろに踵を返すと、
「貴様らの不始末だが、特別に我が秘術を使ってやる。——音くらいは消しておけ」
という、おおよそ意味の分からない言葉を残して、エクレウスの牢の前から離れていく。
「な!なに!?どういうことだ!」
エクレウスの叫びが地下牢全体に木霊す。
押し殺していた不安がついに噴出する。
「おい……おい!ふざけるな!ここから出せ!まさかこの私を裏切る気か!!」
だが灰色のフードの男は振り返らない。
背を向けたまま「行くぞ」と短く声を発し、そのまま歩を進める。
その言葉はもちろん、エクレウスではなく同行していた男に向けられたものだ。
「ど、同志よ!?た、頼む!出してくれ!!」
エクレウスは鉄格子の前にいる黒いローブの男に向かって懇願した。
「……残念ですが、主の命ですのでね」
男はもう一度、穏やかに微笑んだ。
凍り付くように残酷な笑顔だった。
「——!!」
エクレウスの蒼白な顔が、さらに恐怖で歪んでいく。
「さようなら。愚かで愛しい人の子よ。せめて安らかな最期を……というのはいささか意地の悪い話ですがね」
そう言って、黒いローブの男も歩き出す。
「ザガン、セーレ。一応言っておきますが、散らかしたままはダメですよ。ちゃんと終わったら後片付けもするように」
コツコツと靴音を鳴らし、黒いローブの男までもが去っていく。
「ま…待て!待ってくれ!!」
エクレウスの声は掠れてほとんど聞こえないくらいだ。
「はーい」
突然、鉄格子の外を凝視するエクレウスの真後ろから子供の声がした。
エクレウスの背後——つまり、牢の中だ。
(こ、子供……!?)
振り返ると、エクレウスの瞳に二つの人影が映った。
幼い少年と少女だった。
年のころは七、八歳と言ったところか。
二人とも恐ろしく整った顔立ちをしている。
「な、なんだ貴様らは……!?」
エクレウスの誰何の問いは、しかし二人にはまるで聞こえていないかのようだった。
「私、こんなまずそうなのいらない。ザガン、アナタにあげる」
「えー、オイラだってあんまり食欲そそられないけどなあ。こんな元から汚れきってる魂なんてさ」
長い髪の幼女が無表情のまま少年に言うと、少年も両手を頭の後ろに組んで退屈そうに答えた。
「うーん……でもまあ、小腹の足しくらいにはなるかな。ちゃんと下拵えしてから、よくかき混ぜれば」
オレンジ色の髪の幼い少年は無邪気に笑う。
「な、何を、言っているのだ貴様らは……」
エクレウスは全身からあふれ出す冷や汗を感じていた。
膝ががくがくと震えている。
「後片付けも自分でやってね」
そう言うと、幼女は小さな両手を胸の前に掲げた。
まるで何か目に見えない球体を両手で持っているようだった。
次の瞬間、彼女の長い髪がふわりと靡き、一拍の後、ブウウウウンッ——とかすかな音とともにエクレウスが監禁されている牢全体を、得体の知れない空間が包む。
「はいはいはい~」
幼女の抑揚のない話し方と、少年のクルクルと目まぐるしく変わる表情は対照的だ。
「さあてと」
そして少年はエクレウスの前に歩み寄る。
エクレウスは立っていられずに膝を折り、その場に座り込んでいた。
「ねえ、オジサンはさあ」
少年はうずくまるエクレウスを下から覗き込むように、しゃがんでエクレウスの顔に自分の顔を近づける。
そして正面からその大きな瞳でエクレウスの目を見つめ、無邪気ににっこりと笑った。
「——皮を剝がされてから目ん玉をほじくられたい?それとも先に目ん玉を繰り抜いてから皮をちょっとずつ剝いだ方がいいかなあ?」
……ああ、そうか。
「うーん、それかちょっと邪道だけど、先に内臓だけ食べちゃうのもありかな」
理解してしまった。
これから何が始まるのかを。
「……ああ、大丈夫、大丈夫。途中でショックで死んじゃっても、ちゃんと食べ終わるまでは何度でも蘇生してあげるからさ」
ただひたすら、終わりを待ち望むだけの時間が始まることを。
——数分の後、この世の者とは思えない絶叫が、延々と地下牢全体に響き渡った。
だが、誰一人——牢番も、隣の牢に収監されていた囚人でさえ、誰一人——その声に気づく者はいなかった。
Ψ
「やつらのほうはどうなっている」
地下牢の長い廊下を歩きながら、灰色のローブの男が隣の男に冷たい声を放った。
「残念ながら、市内での暗殺は諦めたようですよ。何せ物騒な〈聖者たち〉に守られているようですからね」
「ふん、随分話が違うではないか。何故わざわざ猛獣の巣になど踏み込んだのだ、愚か者どもめ」
「どうやら件の皇子殿下が、なかなかどうして曲者のようでしてね」
「くだらん。……あの男は一体何をしている」
「さあ?あちら様と仲良くしてはいるようですけどね」
「ちっ。どいつもこいつも、使えん無能ばかりだな」
「まあまあ、あちらのほうはそう焦らずとも。皇族方の滞在はもうしばらくありますからね。それに彼らには、ちょっとした力添えもしていますので」
「ふん。親ナディア派の雑種どもは我々にとっても邪魔な存在だが……まあ今はどうでも良い。その曲者とやらも後回しだ。仮に能無しどもが失敗しようが、大した問題ではない」
そう言ってフードの男は歩を早める。
「——まずはアレを叩き起こすのが先だ」




