68.ドワーフとセイレーン
「いらっしゃあい。って、あれ!セイレーンさんもいるじゃん。うっわ、間近で見るとめっちゃ美人ね!」
先ほどまで、貴賓席で常に優雅で穏やかな微笑みを湛えていた絶世の美女。
そして——暴走する『竜殺しの巨人』を止めたであろう、張本人。
今まさにアリス達が噂をしていたその人である。
ドワーフが部屋に一歩入り、続いてセイレーンが——
げしっ。
「うごぼっ」
唐突にドワーフの丸まった小さな背中を足蹴にした。
「え?」
目を見開くローズの足下に、ドワーフが四つん這いになって倒れる。
とんがり帽子が宙を舞い、ひらひらと床に落ちた。
だが、ボサボサの黒髪を振り乱しながら、ドワーフの大魔導はその両手を床に着いた姿勢のまま、額を勢いよく床に叩きつけた。
ガンッと鈍い音が室内に響く。
「ええ!?どしたの、おじいちゃん!」
「この度は、すまんかったぁあああ!まさかあんなことになるなんて思わなかったんじゃあ!今までこんなこと一度もなかったんじゃが……どっちにしろ本当に申し訳ない、この通りじゃ」
小柄なドワーフが地面に這いつくばって、土下座。
小さな身体が余計小さく見える。
「ああ、なーんだ、そんなことか。全然良いよー、別に。終わったことだし、あたし元気だし」
「そ、“そんなこと”、で良いんか……?」
カラカラと笑う赤毛の少女に、ドワーフは顔を上げて怪訝な顔をする。
「あ!でもあたしの可愛い妹が大怪我したんだった。アリスのポンコツ魔法で傷跡が少しでも残ったら、おじいちゃんに責任取ってもらわないと!」
ふと思い出したように人差し指を顎に当てて言うローズに、
「ポンコツってお前な」
「ローズ、わたしは大丈夫だから。自分じゃ見えないけど、アリスくんのおかげでもう全然痛くないし」
部屋の奥のカーテン越しから、不満そうなアリスと気を遣ったようなリリィの声。
「それにわたしが怪我したのはドラゴン・スローターが暴走する前だから、ガンドルさんのせいじゃないよ」
だが、ガンドルは四つん這いのまま、
「せ、責任を取ると言うのは……つまり、吾輩の、お、お、お嫁さ——ぶぐぼぁっ!!」
鼻の下を伸ばして見上げるドワーフが、編み上げられたブーツに勢いよく後頭部を踏みつけられて再び床に激しく頭突きする。
「じょ、冗談じゃあ……」
手足をぴくぴくと痙攣させながら呻くように言うが、ドワーフの老人はそのまま顔を上げることを許されない。
細く白くしなやかな脚が、ブーツのヒールでグリグリと後頭部を踏みしだく。
「ご、ごべんなざい……」
「お、お姉さん、すごいわね……ギャップが」
さすがのローズも心なしか気圧されている様子。
「あのセイレーン、なんかさっきまでと雰囲気が違いすぎませんか……?」
ローズの数歩後ろで成り行きを目撃していたエイリークが、小声で隣に腰かけるジルに尋ねる。
ジルも「あ、ああ、そうだな……」と小声で返すが、ふたりの会話が聞こえたのか、ドワーフの後頭部を踏みつけたまま、セイレーンがギロリと睨む。
「ん?ああ。こやつ……ミレイユはな。普段は猫かぶってるだけなんじゃよ。素はこっちじゃ。ただのヤンキーはぅあっ!!」
床に口づけしたままの姿勢で得意げに話し始めたドワーフの腹を、セイレーンのすらっと伸びた白い脚が乱暴に蹴り上げた。
ドワーフにしては華奢な身体がいとも簡単に宙に浮く。
「おのれ、どいつもこいつも吾輩を蹴鞠のように扱いおってからに……年寄りをいたわらんかい」
しかし、何故だか慣れた様子で着地と同時にすとんと床に胡坐をかいて落ちると、ドワーフは傍のとんがり帽子を片手でひょいと拾い上げ、パンパンと軽くはたいてから頭に乗せた。
「お、おじいちゃん、大丈夫?」
ローズが気遣うようにドワーフに声を掛けるが、
「ん?まあ、大丈夫じゃ。腕力と武器の扱いはからっきしじゃがな、これでも打たれ強さは生粋のドワーフじゃからな」
「あ、うん。いや。体もそうだけどさ。どっちかと言うとメンタルのほうが大丈夫かなと……」
「大丈夫じゃ。レンのクソガキはともかく、美女に足蹴にされるのは寧ろ、ウェルカムじゃ」
「あ。へーそうですか……」
嬉しそうなドワーフのだらしのない顔に、ローズの声がいつになく冷たくなった。
「ところで……ミレイユ殿は『呪言』の使い手、なのですね?」
ジルが皆の一番知りたいことを代表して口にする。
カーテンの向こうのベッドから、治療魔法の施術を終えたリリィとアリスも顔を出した。
七番隊五名全員の注目が片翼のセイレーンに集まる。
「ん?ああ……」
ガンドルは頷いてから、ちらっとミレイユの顔を窺う。
「……」
ミレイユはフイっと顔を背けると、部屋の端に置かれた小さな補助椅子にドカッと腰掛けてその長い脚を組むと、そっぽを向いたまま衣服の胸元から何かを取り出した。
「ふむ、話しても良いようじゃな。……正解じゃ。『呪言』——東方では『言霊』とも言う。より正確に言うなら、こやつの場合は『呪歌』じゃがな。——万物をを意のままに操る呪いの言葉。生物はもちろん、魔力を内包するものであればゴーレムのような無生物であってもな」
「万物を意のまま……って、なんですかその反則的な能力!?」
エイリークが眼鏡の縁をつまみながら驚愕の声を上げ、
「でも、ミレイユさんは……」
リリィはその先まで言わなかったが、誰もが同じ疑問を持っている。
ミレイユの喉には大きく深い傷がある。
斜めに切り裂かれたその傷により声帯に致命的な損傷を受けているのは明らかだ。
「いかにも。ミレイユは声を失っておる。……もっとも普通の声は、の話じゃがな。それを説明するにはこやつの過去も少々語らんとならんが……」
そう言って、ガンドルはもう一度片翼のセイレーンを見た。
その目線に気づいたミレイユは一瞬だけこちらを向くが、もう一度フイ、と興味なさそうにその整った顔をそむけた。
「お主らは随分と気に入られたようじゃな」
それを見てドワーフは鷹揚に頷く。
(さっきから、なんであの仕草が『OK』ってことになるんだろ……?)
アリスが内心抱いた疑問には気づいた様子もなく、ドワーフはこちらに向き直って言う。
「長い話になるが、かいつまんで話すぞ」
「あ、わたし、お茶入れますね!」
リリィが部屋の隅にパタパタと駆けていく。
リリィが飲み物を持って戻ると、ドワーフの魔導士はゆっくりと話し始めた。
「こやつの二つ名は【死を呼ぶ唄姫】。その名の通り、ミレイユはその歌声で人を呪い殺す——主に敵よりも、自分と、そして大切な者をな」




