27.奈落蚯蚓と砂漠渡り
ブオオオオンッ!!
三つに分かれた巨大な口が迫る。
アビスフォームの全開した口は端から端まで五メートルはありそうだ。
びっしりと生えた無数の歯も、一本一本が二十センチはある。
雄たけびとともに、紫色の汚らしいよだれをまき散らしながら、怒号の飛び交う隊商の中心に向かってその口が振り下ろされた。
なんとか統制を保っていた隊商はその接近に混乱し、多くは蜘蛛の子を散らしたように四方に逃げ惑う。
だが列の後半にいた一騎が砂に足を取られ、動きが止まる。
馬上の男は、商人と言うよりは隊商に雇われた用心棒と言ったいでたちだった。
蒼白な顔で悲鳴を上げながらも離脱を諦め、アビスワームに正対すると大剣を構えた。
その男に、巨大な口が迫る。
ドスッ!ザザンッ!ゴウッ!ドンッ!
だが、アビスワームが逃げ遅れた用心棒を捉える直前、その全開の口内に、輝く矢が、風と水の刃が、火球が、光弾が立て続けに着弾する。
ブオオオオオオオオオォォォォォォォン!!!
苦痛の咆哮とともに、三十メートルを優に超えるその巨体がのたうつ。地面が激しく揺れる。
「「「うわわわわっ!」」」
逃げ遅れた男の後ろで武器を構えていた隊商の用心棒や商人たちが、慌てて巨大な魔物の胴体から離れたところへ避難していく。
「ジルさんの魔法が一番しょぼいよ!」
「すまん、俺はお前たちみたいに精霊魔法は使えないし、エイリークのように矢を光剣化することもできないんでな」
「もージルさんったら」
「いや、単純な威力ならローズの風魔法もジルさんの《光弾》の次に弱かっただろ!」
「あはは、バレてた?あたしも攻撃魔法はあんたやリリィほど得意じゃないんだよねー。あたしってほら、中距離専門だからさ?」
「知るか、そんなの」
ローズ、ジル、アリスが高速で馬を走らせたまま軽口を叩きあっている間に、アビスワームがまたゆっくりと鎌首を擡げ始める。
一度散開した隊商の用心棒たちもなんとか平静を取り戻し、体制を立て直して再集結していた。
「私たちは〈星芒騎士団〉七番隊です!ここは危険です、離れて!」
軍馬を駆って用心棒の一団の前を横切ると、アリスは男たちに向かって叫んだ。
「たった五人だけでアレとやり合う気かよ!?」
用心棒の一人が叫び返す。
「大丈夫!何とかします」
アリスがさらに叫び返す。
「それなら、微力ながら我々も手伝いましょうぞ」
唐突に、アリスの後ろから声がかかる。
振り返れば、アリスの眼前にいる用心棒の一団とは分かれて離れたところへ避難していたはずの隊商の中から十騎のみ、アリス達のもとへ近づいてきていた。
多少の武装してはいるものの、その出で立ちは商人のそれだ。
「ご救援に感謝いたします、星の騎士様がた。ワタシの名はグンゼル。この隊商の長をしておる者です」
アリスが何かを言う前に、先頭にいた恰幅の良い男が言葉を重ねた。
年の頃は五十手前と言ったところか。
日差し除けのターバンをかぶり、焦げ茶色の口髭を蓄えている。
右手には刃幅の広い片刃の曲刀を抜き身で持っていた。
「あなた方が来なかったら間違いなく我々は全滅していたでしょうからな!少しでも恩を返させていただきたい」
「貴方たちは戦士ではないでしょう。危険すぎます」
「舐めてもらっちゃあ困ります。ワタシらは『砂漠渡り』の自由商。商人がてらにそれなりの修羅場を潜り抜けてますとも」
そう言って、ニカッと不敵に笑う。
なるほど確かに彼も彼の後ろの商人達も、馬上で得物を構える姿はそれなりに様になっている。
隊商の中でも選りすぐった十騎という訳だ。
隊商の残りの商人達——恐らく非戦闘員だろう——は、かなり離れたところまで避難して待機しているが見える。
「……分かりました。でもくれぐれも無理はしないでください」
「ええ、分かっとります。これでも我々は商人ですからな。慢心でせっかく拾った命を無駄遣いするようなこたあ、しませんとも」
焦げ茶の口髭の商人はまたニカッと人懐っこい顔で笑った。
「——アリス、また来るよ!」
背後からローズの警告の声が飛ぶ。
振り返ればアビスワームの頭部が、七番隊・用心棒・隊商の戦士部隊の三つの勢力が集結しているところを一網打尽にしようと迫ってくる。
「《水流刃》!!」
リリィの掌から放たれた巨大な水の刃がアビスワームの頭部の真下——人間で例えるなら首のあたり——を切り裂いた。
アビスワームが悍ましい悲鳴を響かせながら、その巨体でのたうち回る。
地響きとともに、砂地が激しく揺れ地形そのものが形を変えていく。
だが、局地的な大地震にも動じず、グンゼルと名乗った男が馬上で歓声を上げた。
「おおお!?あんな大量の水をこの砂漠で……!?お嬢さん、この戦いが終わったら少しビジネスの話しをさせてもらえませんかね?」
「おじさん、この状況で商売の話なんて度胸あるわね」
目を丸くしながらも儲け話のタネを見逃さないその商売人根性に、ローズは半ば呆れ、半ば感心したような顔をしている。
「ご、ごめんなさい。今のは別の場所から召喚した水で、短時間で元の場所へ消えてしまうから、飲み水とかにはならないですよ?魔法で作り出せる永続的な水の量って限界があって、私の魔力では一日に五人分の飲み水を作るのが精々で……普通に水の精霊石を使った魔導具の方が効率がいいと言うか……」
「ほうほう、別の場所から召喚とな。なるほど、なるほど。では飲み水にはならないけれど、逆に言えば顔を洗ったり体を洗ったり、ということには使えるのですかね?」
「え?あ、はい……常温で良ければシャワーぐらいの水量ならそんなに魔力を使わないし、温める手段や水を溜められる岩場とかがあれば、簡易のお風呂を作ることも……」
「おおお、砂漠でシャワーに湯船とな!?その話、もっと詳しく——」
「——ちょっと!?二人ともそれ後にしてくれますっ!!?」
根っからの商人気質が抑えられないグンゼルと名乗った男と、何事にも律儀に答えてしまうリリィの会話を、アリスが横から強引に中断させる。
リリィの強力な水魔法もあまりに巨大な魔物にとっては致命傷とはならず、アビスワームは再び距離を縮めてきている。
「エイリーク以外の七番隊は散開して正面四方向から接近!エイリークは高台から隙を伺って。隊商の方々は右から大回りして目標の背後に回ってもらえますか!皆さんは、間違っても怪物の頭部に近づかないようにお願いします!」
アリスの声にもう一度頷くと、用心棒の長と思われる男と、グンゼルと名乗った男が同時に部下に号令をかけた。
一拍の後、両部隊の全騎が右側へ勢いよく出撃する。
「こりゃあ、後でゆっくりビジネスの話をするまで死ぬわけには行きませんなあ!」
去り際グンゼルも声を張り上げる。
(すごいな、商人魂……)
内心呆れながら、アリスは馬を駆って右方向へ向かう。
ジル、ローズ、リリィがそれに続き、その数秒後に、少し距離を取りつつ隊商の戦士たちが後を追う。
エイリークのみ別行動で、全体の戦況を見渡せる場所に移動しながら弓を引く。
「一人も死なせるなよ!エイリーク、援護は任せた!」
アリスの声と、隊商の戦士たちの鬨の声が乾いた砂漠に響きわたった。




