15.荒野の三人
そこは王都レグルスから遥か東。
春だというのに周囲には草木は少なく、土色の地面が露出しているところがやたらと目立つ。
ここから南に百キロも進めばやがて砂漠に到達する。
またさらに東に数百キロ行けば、ローエンデール皇国との境界となる険しいオルスター山脈がある。
一番近い村でもここから数十キロ。
街道も近くにはなく、ナディア領内とは言え、本来ならおおよそ人が足を踏み入れるような場所ではない。
だが今、そこに一つの人影があった。
吹き荒ぶ風の中、崖の淵に立ったまま微動だにしない。
「……これは正直予想外でしたね」
その人物は、誰にともなく呟いた。
……いや、手に持った何かに向かって話しかけているようだ。
身にまとった漆黒の分厚いローブの裾が、強い風に吹かれてバタバタとはためく。
「【宵闇の魔王】……でしたか。人間界の魔王もどきと侮っていましたが、まさかここまでとは……ね」
彼の眼前にはとてつもなく巨大な大穴が広がっていた。
直径は五十メートル以上はあるだろうか。
深さも同程度はありそうだ。
『おい、これはどういうことだ!……一体何がどうなっている!?』
彼の手元から別の男の怒鳴り声が聞こえる。
魔力の輝きを湛えた水晶から発せられるそれは、吹き付ける風の中にあってなお、耳障りなほど響き渡る。
彼は僅かに眉をひそめたが、すぐにいつもの柔らかな微笑みを浮かべて答えた。
「……お目覚めのお祝いにとびっきりの品を、と思ったのですがね。【宵闇】は中身を奪っただけでは飽き足らず、わざわざご丁寧に入れ物まで跡形もなく破壊していったようです。やれやれ、見つけるのもこちらへ繋ぐのも、随分と苦労したと言うのに」
『なん……だと!?貴様、あの『魔剣』を奪われたと言うのか!』
「手に入れたところで、私が封印を解いてやらねば本領も発揮できないのですがねぇ。まあ、それでもそこらの魔剣よりはよほど切れるでしょうが」
『そんなことはどうでも良いわ!話が違うではないか!一体何をやっている!何度しくじれば気が済むのだ!』
水晶越しの怒声は、さらに音量が上がっていく。
「まあまあ、落ち着いてください。別のものを用意するとしましょう。多少劣りますが、実はもう一つアテがありましてね」
『分かっているのか!?時間はないのだ!あの無能な田舎者の失態のせいで、王宮にも知られてしまった上に〈漆黒の牙〉もそのほとんどを失ったのだぞ!』
「そうでもありませんよ?王宮の皆さんもまだまだ真相までは分かっていないでしょうし、それに彼は彼なりにちゃんと役割を果たしてくれました。何も知らないなりにね。……貴方が何も話してあげないから、彼もかわいそうに」
彼は顔に憐れみを湛えて答える。
『黙れ!血の奇跡も使えないあんな出来損ないが、すべてを知る必要などないわ。黙って言われたことだけをやっていればよいものを、それすら満足に果たせんとは、まさに一族の面汚しよ』
「ですが彼が目立ってくれたおかげで残りを静かに進められましたよ。今さら、野盗まがいの兵隊など失っても痛くはないでしょう?」
彼の声は変わらず穏やかで涼し気だ。
『何を悠長なことを言っている!まだ封印はたった一つしか解けていないのだぞ!しかもあの田舎者は無様にも生きたまま拘束されたではないか。貴様らは何をやっているのだ!王宮は間違いなく警戒し始めている。やつらも……あの女どももいずれ動き出すはずだ!『光の乙女』に浄化されたら、全ての計画が水の泡になるのだぞ!』
逆に水晶越しの声は激昂したままだ。
「まあまあ、そんなに心配なさらず。あまり怒ってばかりだと、身体に障りますよ。……人間は繊細ですからね」
『貴様!この私を馬鹿にしているのか!?』
「これは失礼。そんなつもりはありませんよ」
彼は少しだけ困ったように水晶に向かって苦笑して見せ、
「何も心配はいりませんよ。多少想定外なこともありましたが、計画に支障はありません。寧ろ封印については、都合よくあちらも誤解してくれているようですしね。それに彼女たちの相手はちゃんと用意してありますから」
『……ふん、お決まりの高位悪魔か。気色の悪いことだ』
「ふふ、それは少し傷づきますね」
発する言葉とは裏腹に、彼は全く意に介した様子はない。
『貴様のことなど知ったことか』
魔水晶越しの相手は吐き捨てるように言うと、
『いいか、貴様にも意地があるというのなら必ず成功させて見せろ。失敗したらただではすまさんからな!』
脅すような言葉を最後に残し、一方的に通信を切った。
シュン……と小さく音を立てて、魔水晶から輝きが失われる。
「ふふ。『高位悪魔』、ですか……」
吹き荒ぶ嵐の中で、彼は小さく呟いた。
「メー様」
その時、大穴の淵に立つ彼の背後から幼い声がした。
いつの間にか小さな二つの人影が、彼の後ろに立っている。
年のころは十歳にも満たないと思われる、幼い少年と少女だ。
二人とも彼と同じフード付きの漆黒のローブを纏っている。
人里から遠く離れ、魔物が跋扈するこの闇の地にはあまりも不釣り合いな光景だった。
「『失敗したらただではすまさん』とか言ってませんでしたぁ?あんなゴミクズに、一体全体何ができるって言うんですかねえ」
少年がさも愉快そうな声で笑う。
その幼い顔には、しかし子どもとは思えないような恐ろしい笑みが浮かんでいた。
「たかが人間の分際で何様のつもりかしら……メフィ様、あの無礼者を今から殺してきていいですか」
少女が淡々とした声で言う。
少年とは対照的に、表情が全くない。
「おやめなさい。彼は私の大事な『同志』ですよ。……今はね」
彼は振り返らずに答えた。
「『忘却の秘術』と、えーと……『不可触の秘術』?でしたっけ?どれほどのもんですかねえ」
幼い少年が、頭の後ろで両手を組んで鼻で嗤うような言い方をするが彼は無言でそれを聞き流し、
「……さて、封印はあと二つ。首尾はどうかな」
そしてフフ、と小さく笑う。
「おいらがちょちょいと手伝ってきましょうか、メー様?」
少年が目をキラキラさせながら主へ問う。
だがその瞳の輝きはどこまでも暗く冷たい輝きだ。
「いりません。もう放っておいても『扉』は開く。すぐにね。お前たちは引き続き、ただ彼らを見て、状況を報告してくれればいい」
「ちぇっ、つまんないなあ。……そもそも、『魂贄の呪詛』だっけ?こーんな面倒で回りくどいやり方してまで復活を手伝ってやるほどの価値なんてあるんですかぁ?【王】なんて言ったってどの程度のもんですかねえ」
「アナタは文句ばっかりね。人間が作った低レベルな封印解除の『呪い』も、あいつらの【王】もどうだっていいけど、とにかく黙ってメフィ様に従えばいいの」
不満そうな声を出す少年に、隣の少女は無表情のまま静かに言い放った。
少年は悪びれた様子もなく「へいへい」と答える。
「【王】なんかより、おいらは『光の乙女』ってのに早く会いたいね」
「どうして?」
「そりゃ、おいらは悪いヤツより良いヤツが好きだからだよ。それにすっごい綺麗なお姉さんって言う話だしね」
「あっそ」
少女はすでに興味を失ったようだが、少年は構わず続ける。
「どうせなら、ブリュンなんとかってのと会いたいなあ。一番強そうだしね。だってさ、エイル?とかゲイルなんとか?って微妙じゃん?」
「……名前も覚えてないのに何言ってるの」
少女が呆れたように言う。
だがその表情にはほとんど変化はない。
まるで精巧な人形のようだ。
「安易にその名前を口にするのはおやめなさい。彼にまた叱られますよ」
彼が窘めるように言うと、少年は肩を竦めて「はーい」と答えた。
「馬鹿なことを言ってないでさっさといきなさいよ。アナタの仕事があるでしょ」
少女の言葉に「へいへい」ともう一度肩を竦めてから、少年はふと視線を逸らし、そして恐ろしく冷たい顔で笑った。
「……でもその前に——蠅がたかって来たみたいだよ」
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次回からはいよいよ七番隊の面々が登場します^_^




