銃爪
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月は確かに出ていた。先までアスファルトを打ち付けていた雨も疾うに止み、噎せ返る様な湿気を立ち上げていた。それは九月だった。気紛れな天候が季節の挾間を告げていた。
少年は走っていた。茶に染まった短い髪を逆立て甲高い声で奇声を上げながら走っていた。返り血に染まる手には黒鉄に鈍く光る銃がしっかりと握られていた。
事件は既に始まっていた。全ては雨の激しさに掻き消された。路地隅の交番で悲鳴とナイフが眠たげな警官の首筋辺りを引き裂いた。たった一瞬の出来事。
少年は高笑いしながらナイフを何度も何度も警官に突き立てた。腰に下がる警棒を抜き取り滅多やたらに頭を打った。骨の崩れる鈍い音にも構わず、動かなくなるまで激しく打った。胸の辺りに立たるナイフから勢い良く血が吹き出した。鉄っぽい噎せる匂いが周囲に立ち込め少年は声を上げて笑った。
「簡単なもんだぜ」
少年はピクリとも動かぬ警官のポケットや机の中まで手当たり次第にまさぐり銃弾のありったけをポケットに突っ込む。最後に銃を取り何度も眺め蛍光灯にかざしニヤニヤしながら丁寧に弾を込める。
「ヒャーヒャーッ、試し撃ちだぜえ」
少年は警官の目を撃ち抜く。銃声と笑い声、激しい雨音の不安定な不協和音。
吹き上がる血の赤が少年の胸を高揚させる。煙草に火を点け立ち込める紫煙で興奮を落ち着かせる。
「服が汚れちまったぜ」
舌打ちをし、それでも自然と笑みが込み上げてくる。抑え切れずに歓声を上げ、少年は交番を飛び出し路地から街に向かって走り出す。
もうすっかりと雨が止んでいた。月は確かに出ていた。
風が高揚する、雲が高揚する、街が高揚する、サイレンが鳴り響く。行き交う人に何度もぶつかりながら少年は滑る様に人混みを駆け抜ける。
顔の壁の群れは血まみれの風体を素知らぬ顔で歩いている。街路樹の脇を交差点の隅を明滅を繰り返すネオンを常習の状態のクラクションを雑音にまれ少年は走る。あちこちに巻き散らかる無気動は何でもかんでも無関係に抱擁する。全てが点の存在で少年もそれ以上でも以下でも無く噎せ返る人息れの渦だけが生物と云う事実で、だから少年は何事も無く歩道橋を駆け昇る。
気が付けば少年は、通り一面見渡せる良い雰囲気の中二階のオープンカフェのテラスで勝手に煙草を一服キメていた。
「ザマあねえぜ」
音の無い世界、紫の空。個性的な灰色。ゼリービーンズ、箱庭、目的の無いネズミ。イメージの風景。全ての煙は少年の手の中。ガラス玉の瞳に紫煙越しの街が映る。
少年は鼻を啜りくわえ煙草のまま銃に弾を込める。ふうと一息煙草を吐き落とす。湿気たアスファルトのテラスが少年の足下でジュッと小さく音を立てる。誰一人少年の違和感に気付かない。
少年は涼しい顔で腕をすっと伸ばし歩行者天国の顔の壁に向かって銃爪を引く。銃声が金切り声が裂ける。少年は構わず二、三と引き金を引く。シューンと銃声が中空に吸い込まれる。
少年はきびすを返しテラスに向かって銃を放つ。悲鳴が響き、ガラスがカップがテーブルが叫ぶ。テラスから逃げ出す人を横目に再び弾を込める。
「今度はちゃんと狙わなきゃなあ」
手首を左手で押さえ、通りに向かって立て続けに六発、弾を放つ。辺りに散らばる金切り声に血が吹き上がる気がする。
「ヒャーッ、ヒャーッ」
サイレンが響き警官達が人波を掻き分ける。右手が火薬の匂いと振動にジンジン震える。
「今度はアレでも狙おうかな」
弾を込め、銃声と同時に警官の脇の女が倒れる。
“早く避難して下さい。”
拡声器とジュラルミンの盾が人波を押し返す。赤く爛れた担架がサイレンの向こうに消えて行く。
怒声、歓声、野次馬、拡声器。ひっきりなしにサイレンが行き交う。
「早えとこ終わらさなきゃなあ」
少年はそそくさと最後の弾を込め、比較的野次馬が多い所に銃を撃ち込む。もうテラスの下までジュラルミンの盾が近付く。
「ヒャーッ、ヒャーッ」
残りの全部の弾を人混みに向かって撃ち込む。階段を登る靴音が整然と慌ただしい。少年はガクガク震える手で銃を握り締めもう片方の手で器用に煙草に火を点ける。ドアが激しく開き盾がテラスを埋める。
「手を上げろ、抵抗すると撃……子供?」
「遅いよアンタら、もう全部終わりだぜ」
少年はくわえ煙草のまま両手を上げる。
「銃を捨てろ、早く観念してこっちに……うわっ」
盾が下がると同時に少年は引き金を引いた。銃声と同時に眉間から血を流し警官がスローモーションで倒れる。
「最後に一発残ってたぜ。ちゃんと人が死ぬとこ見たかったんだよ」
バタリと同時に少年の手から銃が滑り落ちた。
「ヒャーッヒャーッ面白かったぜえ、チンポが立っちまったぜ」
瞬間ジュラルミンの盾が少年に被さり折り重なり少年を押さえ付け、そしてありったけに小突き回した。
「落ち着けーッ、制裁は止めるんだ、相手はまだ子供だ」
ガチャリと後ろ手に少年の手首に手錠が巻かれた。少年の右手は銃の熱に火傷してベロベロに皮がめくれていた。
「ふざけやがって何が子供だ……」
街のあちこちでサイレンが鳴り響いただけの、いつもと変わらぬ夜だった。
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